第十五章:新たな魔法

【メネルドール視点】


 王都に攻め入ったその日から、いったい何年の月日が経っただろう。俺はたくさん、失くしてきた。大切な人…たった一人の友人…未来に於ける希望も、失った。どれだけ大事であったか、失ってから気がついた。


 あれから俺は取り憑かれたように、復活呪文の研究に没頭した。残されたのは、サキのカケラと、エステルが身につけていた魔導書。エステルは自分が研究していた、復活魔法やその他の魔法について、魔導書にメモを残していた。


 俺は正直、難しい術式や理論は苦手としていた。しかし俺はずっと、前人未到の困難な課題に挑むことで、助けられなかった罪滅ぼしをしているのだ。取り返しのつかない結果を、取り戻すために。


 王都はあの後、乱心したビビアラたった1人に滅ぼされた。隣の山ごと抉られた王都には、微生物1匹すら存在しない。魔境以上に荒廃した更地と化した。その後、ビビアラは消息を断ち、龍人族と人間の溝は深まるばかりだ。


 俺はビビアラに合わせる顔がない。だけど、あの優しいビビアラが人を蟻のように踏み躙るなんて…全ては俺がエステルを守れなかったせいだ。そのせいで予言の通り、王都が壊滅してしまった。そんな拭いきれない罪悪感が襲うたびに、俺は魔導書に貪りついた。


「そんなに引きこもってばかりじゃ、そのうち根っこが生えちゃうわよ。」


「フーリン…」


「少しは休んだら?いい天気なんだし。」


「これ見て。」


 俺は長い年月の集大成、新しい魔法術式を見せた。


「これって…できたのね…」


「あぁ、これでやっとやり直せる…」


「復活魔法を研究していたと思ったのに、よくこんな魔法を考えつくわよね。」


「ただの復活では意味がないんだ。」


「それにしても、まさか本当に作り上げるなんて思わなかったわ。いつ、行くの?」


「今からだよ。」


「もし失敗したら…」


「フーリン、ずっとこの時を待っていたんだよ。俺はもう待てない。」


「そう…それなら、気をつけてね。」


 もう会えないみたいな言い方をするフーリン。あながち間違いではない。これから俺は、人生を賭けた大魔法を行使する。その前に…

 

 俺は魔王城のすぐそばにある墓地に、挨拶に来た。


「みんな、行ってくるよ。」


 墓跡の周りに咲く薬草が、そよそよと風にたなびく。サキもこの下で眠っている。みんなと騒いだ日常が懐かしい。俺はテレポートして、アラニオンに立ち寄った。


 アラニオンの中心に聳える大聖堂。一般解放されている2階の植物園の、そのまた奥にある神官室に、あの娘がいる。俺が前世で恋焦がれた、近くて遠い存在。扉を開けると、分厚い本を片手に、髪をたくし上げページを捲るその娘がいた。後ろに飾られた花と本が、絵画のようにその娘を着飾っていた。


「何をしに来たの?」


「咲…」


 俺が部屋に入るのに気がつくと、咲は本を置いてこちらに向き直った。


「その呼び方、やめてちょうだい。ゆぅ以外は知らないんだから。」


 こうして咲と向き合うと、嫌でも思い出す。本来なら存在しない思い出。この娘の幻影と海に行ったこと、一緒になってバカな遊びをしたこと、共に戦ったこと…。偽物だったかもしれないけれど、俺にとっては全てが大切な思い出だ。一緒に過ごしたサキを守りきれなかった不甲斐ない自分自身に、胸を締め付けられる。もう、そんな後悔をしたくない。


「何よ…ジロジロ見て…」


「ずっと好きだった。」


 しっかりと目を見て伝える。自分の気持ちを無視したままの方が、傷つかないのかもしれない。だけど、いなくなってからでは遅いのだ。好きなものは好きと、楽しいことは楽しいと言えない自分にずっと嫌悪感を抱いてきた。今日俺は、素直でない自分自身に別れを告げにきた。俺の言葉に咲は、下唇を噛み視線を逸らした。


「遅すぎるのよ…ばか…」


「確かに伝えたぞ。」


 俺はそっと部屋を出た。答えは重要ではなかった。ただ俺は、昔そうでありたいと思った自分像に少し近づきたかった。好きな人に気持ちを伝えられないままなんて、情けなく思っただけだ。植物園からフライで飛ぼうとすると、咲が追って出てきた。


「ちょっと!いきなり来たと思えば、今度は何をするつもり?!」


「とびきりバカなことをしてくる!」


 俺は今できる満面の笑みを見せて、飛び上がった。晴れやかな空を時々揺蕩う雲に触れて、下を見下ろす。世界は厳しい冬を終え、所々で新たな命が芽吹きだしている。開花を迎えたエスプレ草の花が、風に乗って香ばしい香りを届けて回る。それらの生命が全て尽き果てた荒野、旧王都領の中心部に俺は降り立った。


 見渡す限り、焦げた地面以外何もない。抉れた山の向こうから、海風に運ばれて微かに塩の香りが感じられる。さて、この世界に転生してから一世一代の大魔法の始まりだ。


 俺は入念に術式の範囲指定の計算を確認する。7つの時間魔法の陣に272の空間魔法を重ねる。出来上がった陣の中心に展開する世界の情報を置く。魔王城の書庫に据えられた質素な寝室、そこに落ちていたエステルの髪の毛から抽出したDNAだ。魔法で結晶化したDNAを陣の中心に据えると、荒野の全体を覆う巨大な魔法陣が展開された。今から迎えに行くよ。陣の中心で呪文を唱える。


「ワールドハック。」


 魔法陣が高速で回転し始め、身体全身が浮遊感に包まれる。次第に視界が光に覆われ何も見えなくなる。目を閉じ、宇宙に投げ出されたかのようなふわふわした感覚に耳を傾ける。今、心にあるのは信念。いや、生涯をかけて助け出すと誓った執念だ。これは新たな旅の始まりに過ぎない。


 全身が空間に溶けるように、ぼんやりとした「意識」に飲み込まれるのを感じる。感覚を取り戻す頃には、はっきりと潮風の香りを感じた。ゆっくりと目を開けると、キラキラしたクリスマスのような電飾、少し離れたところに人だかりと波の音。揺れているのは自分の魔法の浮遊感ではなく、船の上だからだと認識した。


 とても大きな客船、かっちりとしたドレスコードのスーツやドレスに身を包んだ、いかにも富裕層といった人々が、グラスを片手に船上を往来している。まだ少し意識がぼんやりしていて夢を見ているような感じだ。だが、わかる。ここにいる。俺は船を散策し始めてすぐに、甲板の先に懐かしい面影を見つけ出した。

 

 二人の女性に囲まれて、楽しそうに談笑する青年。その天使のような笑顔に、俺も釘付けになった。ビシッとスーツに身を包み、物腰柔らかな態度。女性をエスコートする紳士は、俺が命懸けで探し求めていた人物だ。


「エステルっ!」

 

 思わず声をあげてしまった。青年はこちらを見て、両脇の女性に外国語で何やら説明し始めた。その後、俺にも外国語で話しかけてきたが、全く理解できなかった。


「お前…それ何語?ニホンゴデオケイ…」


「驚いた、日本人だったんですね。」


「探したぞ、エステル。本当に…」


「えぇ〜と、人違いでは?僕はエステルではありません。あなたはここの従業員の方ですか?その格好、下の大ホールでやっているショーの宣伝ですか?」


 しまった、色々順序を間違えてしまった。それにしても元は髪が黒いのか。あの白銀の髪は守護晴天の影響だったということか。


「えぇ〜と、なんだっけ…本名忘れちゃった…藤宮?ふじ〜…もり?だいし?」


「藤巻です。どこかでお会いしたことありましたか?失礼ながら僕の記憶にはないのですが…」


 目の前のイケメンは、二人の女性に外国語で何かを伝えた。女性たちはフラフラと甲板で振舞われている軽食を取りに行った。


「あぁ、お前には世話になったぞ。俺たちは長い時間を共に過ごした。正確には別の次元、異なる世界でな。俺はお前を迎えにきた。全てをやり直すためにな。」


「異なる世界で…ですか?」


「そうだ。俄かに信じがたいだろうが、俺たちは共に戦ったのだ。」


 青年は少し考えるように下を向いた後に、はちきれんばかりの笑顔で答えた。


「じゃあ、僕たちは友達ですねっ!」


 その言葉に、今まで抑圧されていた俺の心が一気に解放され溢れ出てきた。自然と涙が流れていた。普通なら、突然異世界から来たなどと妄言を語り出す俺は、不審者扱いされて当然だ。それなのに、俺の話を真摯に聞き、その上受け止めてくれる。


 あぁ、こいつはエステルだ。目の前にいるのは、俺の生涯唯一の友人。もう二度と会えないと諦めていた。自分自身、頭では理解していたことを、もう一度会いたいという心に従って無視し続けてきた。何年も何年も後悔に苛まれては、八つ当たりするように魔法の研究に没頭した。ついに再開した感動に、二の句が告げられず、弾む呼吸を抑えるのに必死だった。


「え…大丈夫ですか?もしかして酔ってます?」


 エステルは優しく俺の肩に手を添えた。最期に触れたエステルの冷たい肌が、ずっと忘れられなかった。今、人の温かみのある手が触れられている嬉しさが、込み上げてくる。俺が言葉にできない感動に打ちひしがれて、喋れないでいると、遠くの方でボチャンと何かが海に落ちる音がした。エステルは俺から手を離し、失礼。と一言残して走っていってしまった。俺も滲む視界の中、エステルの後を追った。


 見ると、甲板には人混みができていて、皆一様に下の海を覗き込んでいた。ざわざわ騒ぎ、海の方を指さす人々の目線の先には、先ほどエステルと話していた女性が海に落ちている姿が目に入った。波が荒く、女性は流され今にも岩礁にぶつかりそうだ。


 俺が人混みをかき分けて手すりの部分まで到達した頃に、再びボチャンと何かが落ちる音がした。女性の左側から、浮き輪を持ったエステルが泳いで近づいている。エステルが女性に浮き輪をかけた直後に、大きな波が二人に覆い被さった。人々が息を呑む音が聞こえる。


 しばらくすると女性が浮き輪と共に、少し離れたとことに流されているのを見つけた。浮き輪にはロープがついていたので、甲板の男たちが声をあげて、協力して引っ張り上げている。エステルはどこだ?!目を皿のようにして海面を探しても、一向にエステルが浮上してこない。離れたところに流されたのかと、視野を広げてもエステルがいない。


 俺が船から飛び降りようとすると、外国人たちが訳のわからない言語を叫びながら、俺の服を掴んで離さない。


「うるさい!友人が困っていたら、助けるのが当たり前だろう!」


 俺は引っ張られる服を、無理矢理引き離し真っ暗な海へ飛んだ。夜の海は思いの外視界が悪く、海中は潮が渦巻いていて、潜るとどちらが海面かわからないほどもみくちゃにされる。俺は自分より深い位置の岩陰に、何かがあるのを視界に捉えた。必死にそこまで泳いで向かおうとするが、全く思う方向に進めない。


 潮の流れが不規則に渦巻く。奇跡的なタイミングで背中に何かが当たったのを引っ掴み、手繰り寄せる。これだ!俺は海面に向かって泳ぎ始めたが、案の定潮の流れは意思とは関係ない方向に二人を押し流す。まずい、息がもたない…。俺は薄れゆく意識の中、魔法を発動した。ワールドハック…。

 

 目を覚ました時、女性達の話し声が下の方から聞こえてきた。どうやら俺は屋根の上にいるようだ。たくさんの家にすぐ隣に大きな聖堂、少し離れたところに純白の城が聳える。記憶にある王都の街並みが広がっていた。なるほど緊急発動したワールドハックの時点が計算とズレて、予定よりも過去に飛んできてしまったらしい。


 エステルはどこだ!?俺は手探りでエステルを探して、すぐに気が付いた。ここは王都の外れにある古い教会だ。下を見下ろすと、洗礼の泉にエステルが落っこちていた。それを取り囲むように、シスターたちが獲物を見つけた猛獣のような目つきで、誰が世話をするか取り合っている。しばらくシスター達が揉めていると、位の高そうなシスターが現れ、他のシスターが散り散りに解散していった。エステルに手を添えて、光の魔法を行使している。


「おい。」


 俺が話しかけると、シスターは驚いた様子で手を止めた。


「ここは立ち入り禁止ですよ。そんなところで何をしているのですか。」


「用があるのはそいつだ。」


「洗礼の泉は乙女の心を清める聖なる泉。この方の処罰を考えていたところです。」


「そいつに罪はない。それにそいつは後に世界を救う存在だぞ。」


「どういうことですか?」


「いずれこの王都に避けがたい災厄が訪れる。そいつは救世主だ。」


「あなたは預言者か何かですか?そのようには見えませんが。」


「俺は…友人だ…そいつの。」


「でしたらこの方を連れてお引き取りいただけますか?」


「それはできない。」


 俺が答えに詰まって黙っていると、シスターは続けた。


「どのような事情であれ、ここは男子禁制。見つかれば死罪を免れませんよ。」


「そいつは異世界から来た。今お前が行使しようとした光の魔法は、記憶を探るものだろう?」


「えぇ、私も驚きました。まさか別の世界から来たなんて。」


「では、これから起こる災厄も見せてやろう。」


 俺は複写した記憶の一部を、転

移魔法でシスターの記憶回路に直接送り込んだ。直後にシスターはその場に倒れ込んだ。


「そんな…こんな恐ろしいことが…神よ、救いはないのですか…」


「救えるのはそいつだけだ。未来の希望、そいつだけが状況を打開できる。」


 シスターは考え込んだ後、藁にもすがるような目つきで聞いて来た。


「私はどうすれば…」


 今まで信じてきた神が、王によって作り上げられた偶像だと知った彼女の目は、今にも溢れそうな涙で満たされていた。


「全て教えてやれ。お前も心の内では分かっていたはずだろう。シスター達の最終的な境遇を。」


「えぇ、私は神に身を捧げることに疑いを持ちませんでした。奉仕することこそ我らの喜びなのだと。しかしこれでは…あんまりです…」


「そいつが目覚めたらこれを渡してくれ。」


 俺はボロボロになったエステルの遺品、魔導書をシスターに渡した。そこには今までの研究成果と、起こった出来事が書き足されている。


「今の王都の実情を話すだけで、そいつはお前達を守るために立ち上がるだろう。そして西の果ての魔境に、異世界から来た魔王が住んでいる。そいつに会いに行くように伝えるのだ。」


 シスターは諦めたように笑ってみせた。


「わかりました。この方に私たちの未来を託してみるとしましょう。」


「ありがとう。」


 俺はエステルをシスターに預けて、その場を後にした。まだやることがある。これでこの世界線はエステルがどうにかしてくれるだろう。次は俺が長年やり直したかった間違いを是正しに行く。王都の上空で魔法陣を展開して、呪文を唱える。


「ワールドハック!」


 全身が浮遊感と光に包まれる。しばらくして感覚を取り戻すと、土埃と魔法硝煙の匂いが鼻腔に突き刺さる。下を見ると、城壁の外に大きな氷塊が見え、爆発音が王都に響いた。


 俺の後悔の記憶がフラッシュバックする。何度この時点をやり直したいと願ったかわからない。俺はたった今、窓ガラスが割れて飛び散った、城のベランダに降り立った。中を見ると、サキ分身体を召喚して、ホーリーライトドラゴンを戦っていた。


 あいつ…あのドラゴンを一騎討ちで討ち取っていたのか…。俺が部屋に入ると、サキの動きが著しく鈍くなったことに気が付いた。その直後、分身体がかき消され、本体が攻撃された。あのセンスがないドレスを着てる女が女王か?そんなことより…


「あなた、誰なのっ!?あたくしが今からそのメス犬に、誰が格上か教えて差し上げるところですのよ!」


 俺は女の前に立ちはだかり、呪文を唱える。


「カースドアクアプリズン…」


 こいつがサキを殺した。積年の恨みつらみを込めた魔法をかけた。水の牢獄の中で女が暴れまわっている。決して逃がさない。水牢にさらに魔力を込める。女の動きが次第にゆっくりになり、ついには動かなくなる。


「ブラックホール。」


 目の前から、目障りなキラキラドレスの女が消滅した。俺の心の中の闇も、少しだけ晴れた気がした。


「メネル…様…?」


 後ろにいるサキをそっと抱き寄せる。


「遅くなって、ごめんな…」


 俺の目から熱い水滴がこぼれ落ちた。ずっと後悔していた。何度も夢見た。幾度となくやり直したいと思って生きてきた。ようやく、あの時居られればと願った時、あの時居られればと願った場所に戻ってきた。


「ううん、必ず助けに来てくれるって信じてた。」


 サキは腕から血を流していたので、回復魔法をかけた。瞳も白く変色していたけれど、すぐに色彩を取り戻した。するとサキは少し驚いた様子で、スッと俺の腰に手を回して抱き寄ってきた。


「やっぱり。」


「ん?」


「おじさんになってもかっこいい。」


 そうか。夢中になるあまり、月日の流れに気がつかなかった。俺もすっかり歳を取ってしまったようだ。それにしてもエステルもサキも、こんな姿になった俺でも構わず受け入れてくれるんだな。俺にはなかった器の大きさに魅力を感じていたから、俺はこいつらを尊敬していたのかもしれない。


「サキ、俺にはまだやることがある。お前はメイベルとフーリンを連れて避難していろ。」


「私も戦うっ!」


「頼む。避難してくれ。お願いだ…」


 サキは遊園地に行きたい子供が、衝動を抑えるような仕草を見せ、答えた。


「しょうがないなぁ、絶品スイーツと一日デートで手を打とう。」


「ありがとう。」


 俺はサキの頭を撫でて、テレポートで1階に飛んだ。地下へとつながる道を探して、魔法を行使した。


「ハイドアンドシーク。」


 魔法陣を展開すると、思った通り、地下へと伸びる魔力の流れが見える。そこから伸びている魔力は、あっちか。長い回廊を進み、部屋の扉の前に来たときに大きな爆発音が城に響いた。まさか…急がなければ。部屋に入ると、たくさんの本が飾られている。その中の一つから、魔力が流れている。その本を手に取り、魔法を唱える。


「リヴィールマジカルエレメント。」


 本の周りに転移の魔法術式が広がった。術式のロックを解除して、テレポートを行使すると、あの無機質な部屋に転移した。俺の胸いっぱいに嫌な記憶と感情が蘇る。ぎゅっと心臓を握られたような感覚に、無意識に姿勢が前のめりになる。


 音を殺して前に進むと、記憶の中で何度も再生された声が聞こえてきた。その声の振動が鼓膜に伝わるたびに、憎悪の念が身体を満たす。俺が一際広い広間に着く頃には、サウロはヘルフレアで燃やされているところだった。しまった、少し遅かったか。過去の俺がエステルにパラレルジャックをかけようと、魔法陣を展開し始めた。


 まずい、あの魔法ではダメだ。俺は過去の自分自身に気付かれないように、不可視化した転移の魔法陣を敷いて、エステルの亡骸を安全な場所にテレポートした。すぐに過去の俺の悲痛な叫びが地下に反響した。うわ、俺ってこんな声出たんだ…。俺は物陰に隠れてじっと待った。心のどこかでは気が付いていたことを確かめるために。


 そしてすぐその勘が正しかったと確信した。俺が待ち構えていたところに、サウロが這ってきたのだ。


「どこかで生きているとは思っていたが、やはりな。」


「貴様…何…者だ…」


 瀕死のサウロの姿を見て、再び怒りが心に滲む。


「貴様って人に言うのは良くない。非常に高圧的に聞こえるぞ。」


 俺は長い年月を過ごす間、もしもこの時点に戻り、サウロにかける魔法があるならどんな魔法がいいかと、独りで何万回も試行錯誤していた。そして無意味と思われた実験的魔法と貯め続けた魔力を、やっと解放する時が来た。


「ディメンション…エリミネート。」


「なん…だと…」


 サウロは跡形もなく消滅した。肉体だけでなく、魂もどの次元にも存在できなくする魔法。もう、二度と会うことはない。存在自体が抹消されたのだから。俺はようやく解放された気がした。身を焼く憤怒の感情に支配され、突き動かされてきた俺は、予想外の虚無感に襲われた。


 まだ、終わっていない。王都の外れにある教会の洗礼の泉。その近くの椅子にエステルの亡骸が安置されている。俺は動かないエステルの前に立ち、魔法を発動する。


「パラレルハック。」


 エステルは魂を壊されている。魂の次元は肉体や精神よりも高い振動数を帯びている。波動は波のように上下する。前にパラレルジャックでエステルの精神が変容したのは、たまたま波が噛み合ったからに過ぎない。それでは魔法の波長が低過ぎて合わないのだ。魂の振動数に近づけたこの魔法なら、エステルの魂を別の次元から転移させる事ができるはずだ。光に包まれたエステルが、次第に生気を取り戻す。


「あれ…僕…」


 成功した。俺の長年の努力は今、報われた。目の前に立つ当時のエステルの姿に、胸がいっぱいになる。何度この光景を夢見てきただろう。


「どちら様ですか…?」


「俺は…ただのおじさんだよ。」


 俺はエステルに今までに起きた出来事を書き記した分厚いノートと、新しく開発した術式のメモをエステルに渡した。


「これは…?」


「おじさんからのプレゼントだ。ほら、友達が待っているのだろう?行ってやれ。」


「そうだ!すみません、急いでますのでこれでっ!」


 勢いよく飛び立つエステルの後ろ姿を、ずっと目で追っていた。終わったのだ。ついに。あの日、やり直したいと願ったことを、実現した。一気に肩の荷が降りた俺は、その場に転がった。空を見上げると、曇天の隙間から太陽の柱が降りている。


 これでこの世界線も無事。俺がやるべきことは全て終わった。帰ろう。あるべき次元へ。俺はワールドハックを発動した。とても満足な気分だ。浮遊感とともに、意識が空間に溶けてゆく。俺の抱いてきた負の感情たちも、溶けて消えていった。

 

 目を覚ますと、賑やかな歌声が聞こえてきた。人々は明るく踊り、店先には薬草の花が売られている。みんな笑顔で、街は活気にあふれている。どこからともなく、メイベル女王万歳と聞こえてくる。俺が世界をいじったせいで、おかしなことになっている!しかし…以前の王都にはなかった、とても自然な日常がそこにはあった。


 王都は破壊されていない。俺はフライで世界を見て回った。道端には薬草の花が咲き誇り、それぞれの街では子供達が外で遊び回っている。小さな田舎町でも、魔人と人間、エルフにドワーフなど、種族に関わりなく交流している。以前のピリピリしていた雰囲気はどこにもない。


 アイスロック山脈では人間たちの観光客が、列をなしてお土産を買っている。以前にはなかった、ビビアラの石碑が街の真ん中に建てられ、そこで様々な種族の人たちが待ち合わせをしている。俺とエステルが語り合った世界…限りなくそれに近い現実を目の当たりにして、夢なら醒めないでほしいと祈った。

 

 ついに魔王城に着いた俺は、その違いに驚いた。まず、城の周りには墓地ではなく、薬草畑が魔境全体に広がっている。その畑の中に、懐かしい姿が見える。メネル様!と俺を呼ぶ声に昔の楽しい記憶が蘇る。ザドン、カルロ、クロノス…俺が過去にお別れを告げた魔物達が、楽しそうに畑仕事に打ち込んでいる。


 城に入ると、おかえりなさいと沢山の魔物に挨拶される。それだけでなく、人間、ドワーフにエルフ、ホビット、龍人属など前にいなかったもの達も沢山いる。以前、城内にあったトラップはなく、代わりに魔法アトラクションが設置されている。子供達はとても楽しそうに、城内を遊び回っている。しげしげと変わり果てた城内を歩きながら、俺は13階層に到着した。


 扉を開けると、奥の玉座に、天使が座っていた。少し歳をとっている…だけどそのやわらかい雰囲気は変わらない。俺に気がつくと天使は優しく微笑み、手を振った。


「おかえり、メネル。」


 次第にこの世界線で過ごした記憶が頭に浮かび上がり、幸福で満たされる。俺は多分、ひどい顔をしていたと思う。涙と嗚咽で言葉になっていなかっただろう。


「あぁ…友よ…」


 この世界線では、俺とあいつが語り合った夢が実現している。沢山遊んで、いっぱい喧嘩して、なんでもない日常をともに過ごしている。今の感情を表す言葉が見つからないけれど、俺は必死に言葉を繋げた。


「ただいま。」

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