笑い上戸の友人

沢田和早

笑い上戸の友人

 ボクには親友がいた。笑太郎しょうたろう君だ。幼稚園の頃からの幼馴染だ。

 素顔の状態ですでに笑顔な彼は、本当に笑うと出来損ないの福笑いみたいな面白い顔になる。それを見るのが楽しくて、親も親戚も近所の子たちもみんな笑太郎君を笑わせてばかりいた。するとほんの些細なことでもすぐ笑い出すようになってしまった。


「隣の家に塀と囲いができたってね、へえ~かっこいい」

 みたいな使い古されたダジャレはもちろん、

「竹藪焼けた」

 みたいな別に面白くもなんともない回文でさえ、

「お笑いだよね、あはあは」

 と言って笑い出してしまうのだ。


 その笑顔があんまり面白いので、ついこっちも一緒に笑い出してしまう。笑太郎君の周りはいつも笑顔に溢れていた。


 しかしそれが裏目に出ることもある。

 小学校に入学して初めての朝礼。校長先生が台の上で話を始めた途端、

「お笑いだよね、あはあは」

 と笑い出してしまったのだ。

 しかも後ろに並んでいたボクまで釣られ笑いしてしまった。その後、担任の先生に叱られたことは言うまでもない。


「このままでは笑太郎君だけでなくボクまで酷い目に遭ってしまう。なんとかしなくては」


 そう考えたボクは笑太郎君に忠告することにした。


「ねえ笑太郎君、ボクたちはもう小学生なんだし、これからは時と場所を考えて笑ったほうがいいと思うんだ」

「そうだね。所構わず笑っていたらお笑いだよね、あはあは」

「ほら、そういう所だよ。今は笑うような場面じゃないでしょ」

「うん、わかってる。でも笑わないでおこうとしても笑っちゃうんだ。お笑いだよね、あはあは」


 これには少し同情してしまった。人には制御できない感情というものがある。例えばゴキブリを見ただけで絶叫する人に、

「あんなのただの虫だよ。驚くようなものじゃないから驚くのはやめなよ」

 と忠告したところで、

「絶対無理!」

 という言葉しか返ってこないことは火を見るより明らかだ。笑太郎君も同じようなものなのだろう。


「じゃあ、笑うのは仕方ないとして、声に出さずに笑えないかな。それなら叱られるようなことはないと思うから」

「できるかなあ、あはあは」


 なんとも頼りない笑顔で答える笑太郎君。ボクは紙を取り出した。


「いい考えがある。宣誓書を作ろう。誓いの言葉を文字にして残しておくんだ。そうすれば少しはヤル気が出ると思うよ」

「それは名案だね、あはあは」


 作った宣誓書はつたないものだった。『笑ってはいけない時は声を立てずに笑います』という誓いの言葉と笑太郎君のサイン。証人であるボクのサイン。

 それだけでは余白が大きすぎるので、年齢、住所、電話番号、趣味、好きな食べ物なんかも記入しておいた。


「今日から努力してみるよ、あはあは」


 笑太郎君は頑張った。もちろん最初からうまくいくはずがない。どんなにこらえても笑い声が漏れてしまう。それでも諦めずに無言笑いに励む笑太郎君。

 やがて含み笑いができるようになった。さらに薄ら笑いを会得した。そして微笑ほほえみという高度な技術を手に入れた時には、ボクらは高校生になっていた。


「あ、あの、これ読んでください、あはあは」


 放課後の体育館の裏で意中の女子生徒にラブレターを手渡す笑太郎君。最近はスマホで告白するのが主流なのにわざわざ手紙を書いてじかに渡すのは、自分の笑顔が武器になると知っているからだ。

 ボクを同伴させたのも自分の笑顔を際立たせるため。ボクの素顔はどちらかと言うと無愛想なので、笑太郎君の引き立て役には持って来いなのだ。


「ごめんなさい! お付き合いできません。ふふふ」


 予想外の返事だった。しかも女子生徒は笑っている。笑太郎君の笑顔を見れば嫌でも笑いたくなるから仕方ないのだが、笑顔で拒絶されたらショックも二倍である。


「えへへ、振られちゃった。お笑いだよね。あははあはは」


 笑太郎君は思いっ切り笑い始めた。普段は声を立てずに微笑で我慢しているので、声を出して笑う時にはこれまで以上に盛大に笑うのだ。


「笑太郎君、どうして笑っているの。初恋が破れて悲しくないの。本当に可笑おかしいの」

「可笑しいよ。可笑しくて仕方ないよ。お笑いだよね、あはははあははは」


 それが笑太郎君の本当の気持ちなのか、それとも悲しい気持ちをごまかしているだけのか、ボクには判別できなかった。


 笑太郎君の悲しい笑顔はそれから何度も見ることになった。


 大学受験の合格発表で受験番号がなかった時、

「あーあ、落ちちゃった。お笑いだよね、あはあは」

 と言って笑太郎君は笑っていた。


 仲の良かったおばあちゃんが亡くなった時、

「これで内緒のお小遣いをもらえなくなっちゃった、お笑いだよね、あはあは」

 と言って笑太郎君は笑っていた。


 入社二年目の会社が突然倒産した時も、

「今日から優雅なニート生活だよ。お笑いだよね、あはあは」

 と言って笑太郎君は笑っていた。


 父親が連帯保証人になっていたため、家も財産も全て失くしてしまった時も、

「この年で無一文だよ。お笑いだよね、あはあは」

 と言って笑太郎君は笑っていた。


 彼の笑顔とは裏腹にその人生は到底笑えるものではなかった。それ以後、笑太郎君の消息は途絶えてしまった。


 最後に見た彼の笑顔は病室のベッドの上だった。路上生活者になっていた笑太郎君はある2月の寒い朝、公園のベンチで冷たくなって事切れていたのだ。


「彼の所有物はこれだけでした」


 警察から手渡されたのは小学一年生の時にふたりで作った宣誓書だった。そこにはボクの氏名も住所も電話番号も書かれている。それでボクに連絡が来たのだ。


「こんな昔の約束を後生大事に守り通そうとしていたのか、笑太郎君」


 彼は肝心な所で約束を守れなかった。受験に落ちた時も、祖母が亡くなった時も、失業した時も、無一文になった時も、笑ってはいけない場面なのに彼は声を出して笑っていた。

 ボクとの約束を守り通したい、それは笑太郎君の最後に残った生き甲斐だったのかもしれない。だからこそ全てを失ってしまってもなお、この宣誓書だけは肌身離さず持っていたのだ。


「でも、今、君はようやくボクとの約束を果たすことができた。もう二度と笑い声を出すことはできないのだから」


 眠っているような彼の顔はもちろん笑っていた。それは安らかで幸福な笑顔だった。見ているだけで笑いが込み上げてくる笑顔。無条件で周囲を幸福にできる笑顔。それなのに自分自身は少しも幸福にできなかった笑顔。


「死んでもなおボクに笑いをくれるのか。笑太郎君、君は本当にお笑いだよね、あははあははは」


 ボクは泣きながら笑った。声を出して笑った。笑ってはいけない場面でも声を出して笑っていた笑太郎君、その気持ちがようやくわかったような気がした。

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