芸談
lampsprout
芸談
暖かい空気に包まれる古びた縁側で、1人の青年が新聞を眺めていた。座布団の横に投げ出されたスマートフォンには余りにも似付かわしくない光景だ。
そんな青年の真横では、大きな黒猫が寛いでいる。ただし、その尻尾は二又だ。
所謂、猫又である。
猫又はのっそり顔を上げると、尻尾をゆらゆらと揺らして青年に語りかけた。
『――時に御主、こめでぃ、とやらに詳しいか?』
「……何だって?」
面食らった様子の青年に構わず、猫又は言葉を続ける。
『こめでぃじゃ、こめでぃ』
「無理にカタカナを使うなよ、なんか発音が変だぞ」
『失敬な。余計なことを言わんでよい。それより早う答えんか、詳しいのか詳しくないのか』
猫又の尻尾が苛立ったように揺れている。
「詳しくないぞ、お笑いの勉強なんか終ぞしたことがないんだからさ」
『何じゃ、面白うない。儂のほうが詳しそうじゃな』
「……発音も怪しいのに?」
懐疑的な青年に対し、猫又は随分自信満々だ。
『儂は1番古い娯楽から眺めてきたからの』
「本当か……?」
『おう、あめりかのやつも観たぞ』
「だから発音が違うって。それより、本当に外国に行ったのか?」
青年の言葉に、心無しか自慢げな表情になる猫又。ふすー、と鼻息が荒くなった。
『当然。儂はどこにでも行ける。日の本の国とは随分趣が違って面白かったぞ』
「……猫なのに人間の笑いが解るのか」
『御主は先刻から嫌味しか言わんな』
ばしん、と尻尾が青年の背中を叩く。
いてっ、と声を漏らしつつ、青年はひりつく背中を擦った。もふもふしておきながら信じられないほどの衝撃だった。
『あめりかの芸者はの、政治家に散々噛み付いておって新鮮じゃった』
「へえ……」
猫又が、じろりと青年を睨めつける。
『御主らは無意味な話ばかりするからの』
「……まあ反論できないな」
『責める気は無いぞ、儂だってこのように何もせずだらだらするのが1番好ましいからな』
ゴロゴロ喉を鳴らす猫又に、青年はあることを思い出した。
「おい、そういえば芸者じゃなくてコメディアンだろ」
突っ込んだ途端に、ばしん、と尻尾が再び振り下ろされる。いてっ、と同じ声が響いた。
『大体、こめでぃとはぎりしあ由来らしいぞ。あてね王朝とか言ったか。中々に由緒正しいものじゃ』
またしてもアクセントが気になったが、青年は一先ず無視しておくことにした。
「……どこから拾ってくるんだ、その知識」
ネットも使わないくせに、と青年は独りごちる。
『詳しくは知らん。兎も角、その古いものも最近の海外のものも風刺が一般的な話らしい』
「お前の話は根拠が無いんだよなあ」
『やかましい、ちょっとした与太話じゃ、黙って聞かんか』
三度、ばしん、いてっ、というやり取りが繰り返される。いい加減腫れ上がっているかもしれない。
『漫才も元は萬歳といってな、儂も平安あたりの世で楽しんだものじゃ。農夫が家々を渡り歩くものじゃったが……』
「ふうん……」
何やら懐かしむように目を細め、猫又は上機嫌そうである。こいつは一体何年生きているのだろうか。
訝しむ青年の横で、2本の尻尾がぴん、と突然立ち上がった。
『そうじゃ御主、歌舞伎に行かんか。落語でも良いぞ』
唐突に目を輝かせた様子に、青年はびくりと肩を揺らす。全く話の流れが読めなかった。
「何でだよ、お前は1人でどこにでも行けるんだろ。しかもタダで」
金が無い、と青年は誘いを一蹴する。不満そうな顔の後ろで、尻尾が不穏に揺れた。
『つれない奴じゃのう、折角この儂が誘ってやったというのに』
「……怖いから尻尾を振り上げないでくれ」
『あれこれうるさいぞ、御主』
今度はぺしぺしと頬を叩かれた。因みにふかっとしていて柔らかかった。
『仕方ない、儂1人で行ってくる』
くああ、と欠伸をして、猫又は徐に立ち上がろうとした。その背中に目を遣り、青年は一言付け加える。
「……土産話、宜しくな」
『おう、首を長くして待っとれ』
――そして猫又は、陽に照らされる中庭へと姿を消していったのだった。
芸談 lampsprout @lampsprout
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