笑い種

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

鏡を見よと 笑う噺家

 今最も世界で有名なコメディアンと言えば、ウクライナのゼレンスキー大統領であろう。

 大国ロシアを前にして退かず、戦う国民を鼓舞し続けるというのは大変なことであるが、その前身をこのように設定するのは如何なる創作家でも難しい。

 正に、事実は小説よりも奇なりと言うべきであろうが、これを「人を笑わせる人間と人に笑われる人間との違い」と形容した一節にも舌を巻かされた。

 確かに、お笑いというのは自ら「人を笑わせるために動く」者のことである。


 人に笑われるというのは、本来あまり心地の良いことではない。

 しかしながら、人を笑わせようとする時には少なからずその覚悟をしなければならないことがある。

 それがお笑いの場に引き摺り出されると、その熾烈なつばぜり合いが起きることとなり、時には他者を「人に笑われる存在」として意識づけねばならなくなる。


 考えてみれば恐ろしい話であるのだが、この時に相手をどのように見ているかによって、後味ではないが残る印象というのは大きく異なるようだ。

 お笑いコンビであればボケ役とツッコミ役とが存在するものだが、この関係に信頼や一定の敬意がなければいかに寒いものとなるか、私はここ二年ほどで存分に知った。

 その一方で、相手への敬意ないしは競争心がある場合、笑わされながらも垣間見えるものに心を打たれてお後がよろしい。

 この恒例が六代目三遊亭円楽師匠と桂歌丸師匠であったが、表面で罵倒を繰り返しながらもお互いの関係の深さは何とも快いものであった。


 歌丸師匠追悼の大喜利にて、円楽師匠が声を精一杯に張り上げ、

「ジジイ――早すぎるんだよ」

という答えを出した時、私は泣きながら笑っていた。

 現代の人情噺というのはこういうものであるのかもしれない。


 辛い時や悲しいときであっても、笑わせに行かねばならぬことがある。

 と同時に、笑わせるという覚悟が憂さを慰めることもある。

 学生時代に塾講師のアルバイトをしていた私は、授業の方針として分かりやすさは当然として愉しさを掲げていた。

 そのため、各授業において笑わせる場面を作るようにしていたのだが、人を笑いものにするよりも自分を笑い物にする方を選び、それに尽力していた。

 それが三年の冬に母が鬼籍に入り、私は火葬場からそのままアルバイトに向かうこととした。


 無論、忌引きを使うべきタイミングであり、後輩などには真似をするなと釘を刺したほどである。

 当時の職員の方からも心配されたが、生徒らには何も伝えず同じように笑われ、笑わせて帰った。

 気落ちしてなかったと言えば嘘になるが、あの時の授業は何よりも私のためになったように思う。

 思い返す度に当時の生徒には少し申し訳なく思うところもあるが、緊張漂う受験生にもらった笑顔のおかげで、私は同じように生活することができた。


 少々話が逸れてしまったが、これはお笑い芸人にとっても同じような意味合いを持つことがあるらしい。

 なぜこのような時に人を笑わせなければならないのか、笑わせて良いものかという思案の中で自分を保つ方もいらっしゃると伺った際には、思わず頷いてしまった。


 一方、苦しい時や悲しい時にこうしたお笑いを我慢するというのはかえって、そういったものを増長させることがある。

 東日本大震災の直後、報道はそれ一色となり、テレビで流れるものから笑いが消えた。

 宴会や催しも自粛され、遠く離れた地に在りながら強い閉塞感を覚えたものである。

 しかし、実際に被災者となって大きく逃げた熊本地震では、広域避難の先で見たお笑い番組に活力をもらった。

 死神が隣で手ぐすねを引くような体験の後で漏れ出た笑いは、何とも温かく、何とも安心感を与えてくれる。


 噺家は世相の粗で飯を食いとは言うものの、東日本大震災直後の「笑点」では各師匠がいつものように笑わせにかかったが、いつもとは大きく異なる点があった。

 歌丸師匠への死去ネタがなかったというのもその一つであるが、それは時節柄不謹慎としたためであろう。

 それよりも、自虐がいつもより多かった。

 それは笑わせるべく笑われようとした師匠たちの覚悟が透けて出たものであろうが、非常時においてこそその本質が見える。

 なんと強いことかと心打たれたのを昨日のことのように覚えているが、それからもう十一年が過ぎた。


 この時の笑点において、三遊亭小遊三師匠は次々と下ネタに走っていたのだが、果たしてこれは編集のみによるものであったのだろうか。

 初めに出したウクライナの大統領も裸ギターや男性器でのピアノ演奏などをネタにしていたというが、これは笑わせるにしてもより覚悟を求められる在り方である。


 そう考えてみると、画面を通して笑っていた私にそれほどの思いがあったのだろうか。

 人を見て笑っているつもりが、その実の在り方はどうなのかという警鐘が鳴り響いていたのかもしれない。


 東日本大震災から今日で十一年目を迎える。

 熊本地震からも間もなく六年を迎える。

 そして、現在進行形の危機もある。


 その中で私は誰かを笑わせる方に立てるよう、少しでもできることをしていきたい。

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