俺はお前を笑わせたい

金澤流都

裏切り、そして再生

 あいつが笑わなくなったのは、俺のせいだ。

 俺は、あいつを裏切ってしまった。あいつと、あいつの好きな女の子をくっつけようとしているうちに、その女の子が俺に惚れてしまって、俺も断れず、あいつを裏切ることになってしまったのである。

 俺はあの事件のちょっと前、

「だーいじょうぶだって。俺がぜったいあの子とお前を付き合わせてやるよ」と安請け合いした。そんな安請け合いをして、こういう結果になってしまった。

 なんで俺はあのときあの女の子に、「あいつが君のこと好きだって言ってる」って言ってやれなかったんだろう。俺はひどいやつだ。当時中学生とはいえあんまりだと自分でも思う。あんまりだ。

 その女の子とはあっさり別れた。あいつが好きだって言っていた、と言ったが時すでに遅しというやつで、あいつは失意のどん底、だれかを好きになるなんてごめんだ、というまで落ち込んでいた。俺は苦しかった。自分の口から手をつっこんで、内臓を引き摺り出したような苦しさが、何日も、何週間も、何ヶ月も続いた。

 だから俺は、あいつを救いたい。

 裏切った人間が言えることじゃない。だけど、俺はどうしても、かつて親友だったあいつのために、あいつを笑わせる方法をずっと考え続けた。

 俺が、学園祭のコントで面白いことをしたらあいつは笑うだろうか。笑わなかった。

 俺が、面白い漫画でも薦めたら、あいつは笑うだろうか。笑わなかった。

 卒業式で、卒業証書を受け取りながらずっこけたら、あいつは笑うだろうか。笑わなかった。

 結局中学校を卒業しても、あいつを笑わせることはできなかった。だが天は俺の味方をした、あいつと同じ、わりと賢くないといけない高校に、俺も入れたのだ。


 高校の教室で、俺はネタ帳を見ていた。あいつを笑わせるための渾身のギャグを集めたものだ。まあ高校生の考える笑いだ、大したことはないと今なら言える。

 なんとかしてあいつを笑わせられないか、そればかり考えていたので成績はあまりよくなかった。でも、毎日新ネタを披露していたので、クラスのやつらからは「陽気で面白いやつ」と認識されているようだった。

 ネタ帳を睨んで難しい顔をしていると、クラスでも優等生の女子が声をかけてきた。

「草加部くん、お笑い好きなの?」

 イエスともノーとも言いかねる質問だった。俺の目的はお笑い芸人になることでなく、あいつを笑わせることだからだ。悩んでいると、その女子はにこりと笑って、

「草加部くん、そんなに真剣にネタをつくってどうするの? テスト勉強しなきゃだめよ」

 と、笑顔で言うには現実的すぎることを言ってきた。俺の成績がグダグダなのを知っているのだろう。

 三者面談のとき、担任教師は、

「草加部くんはずっとお笑いのネタを考えているようですが、お家ではどうですか? 将来の話はされていますか?」

 と、明らかに「お笑い芸人は笑われることでお金をもらっている人」という認識を感じるセリフを言ってきた。うるせえやい、俺だって笑われたくてやってるわけじゃねえんだ。

 ぜんぶ、あいつを笑わせるためだけにやってるんだ。

 あいつを笑わせることができたら、それで笑いのネタを考える旅は終わるのだ。だというのに、それは終わらない。あいつが笑ってくれないから。


 それを自分だけの秘密にして、毎日ネタを考え、そのうえで勉強し、あいつと同じ大学に行けることになった。あいつは法学部、俺は文学部なので、実際同じ大学とはいえ顔を合わせる機会は少なかろう。


 高校の卒業式の日、俺はめそめそ泣いていた。

 結局、あいつをなんとかして笑わせることはできなかった。大学で一緒に笑えるとは、とてもとても思えなかった。

 そもそもあいつとは頭の出来が違う。

 同じ大学に行けたのが、そもそも奇跡だったのである。

 奇跡がここまで起きたなら、諦めるしかない。俺はあいつのことを忘れたほうがいいのかな、と考え始めていた。

 校舎から俺たち卒業生が出ていき、学ランの胸のところに花をつけて歩いていると、あいつが下級生の女子に捕まっているのが目に入った。

「八代先輩。第二ボタンください」

「……いいよ。はい」

 あいつは器用に学ランの第二ボタンをむしって、その下級生の女子に渡した。

 俺はあいつを追いかけた。今日が、今日が最後だぞ。同じ大学に入っても、仲間でいられるかどうかはわからない。俺はあいつを捕まえて、

「これ! 中学から書き溜めたネタ帳だ! お前にやる!

 と、強引にネタ帳を渡した。

「……草加部。お前お笑い芸人になるんじゃなかったのか」

「そんな不安定な職業に就く気はない。でもお前を笑かしたくて、中学のころからずっとずっと書き溜めたネタ帳なんだ。頼む、受け取ってくれ。これが最後なんだ」


 それから10年ほど過ぎた。

 俺とあいつは、漫才の権威ある大会の舞台上にいた。ここで優勝をもぎ取れば、冠番組と賞金と、とてもとても食い切れない量のインスタント麺がもらえる。

「緊張してるか?」

「いや。俺はお前を信じるよ。俺のネタ帳を見て笑ってくれたお前を」

 司会の女子アナが、高らかに俺たちのコンビ名を呼ぶ。出囃子が鳴り始める。

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俺はお前を笑わせたい 金澤流都 @kanezya

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