笑いの方程式

結騎 了

#365日ショートショート 070

「もう僕は嫌です!文化祭でコントなんて、そんな恥ずかしいことできません!」

 田中の家を尋ねると、大声でそう返された。なんだ、それが登校拒否の理由か。お前には悪いが、理由がいじめじゃなくて、俺は内心ほっとしているよ。

「でも、みんなで決めたことじゃない。先生にアドバイスをもらって、ステージを成功させようって」

 いいぞ南川。お前の声はよく通る。クラス委員の片割れである田中が休んだとなれば、責任感の強いお前はきっと心配する。案の定、南川本人からお見舞いの提案があった。担任とクラスメイトの女子がそろって訪問だなんて、贅沢だぞ田中よ。

「いいですよね、先生は気楽で。前に芸人を目指していたんだから。コントなんてお手の物じゃないですか」

 整理整頓が行き届いた田中の自室で、俺と南川は並んで座っていた。ベッドに身を寄せる田中をなんとか説得し、文化祭の練習に戻さなくてはならない。3年1組の全員で挑むコントだ。芸人の夢が破れ、数学教師になった俺を気遣ってか、シナリオと監督を任されてしまった。生徒たちの想いには応えたい。しかし、俺があまりに出しゃばってはいけない。田中、南川、お前たちクラス委員が率先して皆を引っ張るんだ。こんなところで躓いてどうする。

「そんなことないぞ、田中。前に話しただろう。俺は芸人を目指していたといっても、大勢を笑わせることはできなかった。才能がなかったんだよ。でも、そのおかげで教師になれた。お前たちと過ごせて、今はとても充実しているぞ」

 嘘偽りない、俺の本心だ。

「それに、コントというのは難しいんだ。舐めるんじゃない。ただ面白おかしいことをやるのとは違うぞ。笑いというのは、複雑な方程式だ」

「じゃあ、先生がやって見せてください。僕の役、もちろん知っているでしょう」

 おっと、そうきたか。確かに、田中には少し難しい役を与えてしまった。コントの設定はオーソドックスなものだ。コンビニ店員の役である南川のもとに、クセの強い客が次々と訪れる。コンビニあるあるを交えながら、すれ違う接客模様で笑わせる。そういった内容だ。田中には、『やたら筋肉を見せたがる青年』をあてがってある。

「田中くん、そんなに先生を煽っちゃだめだよ。いくら先生でも、こんなところでやってくれるわけないじゃん」

 どうした南川、スマホなんていじって。そんなにこの場がつまらないか。それとも、男子の家で手持ち無沙汰になったか。しかし、そんなご丁寧な前振りをされてしまっては、元芸人(予備軍)として反応してしまうではないか。

 俺はその場ですっと立ち上がった。

「じゃあ、見ておけ田中。これが、『やたら筋肉を見せたがる青年』だ」

 勢いよく袖をまくり、腕の筋肉を露出させる。大きく息を吸い……

「お会計は、ん~~~、マッスルペイでお願いしますっ!」

 決まった。全身でボディビルのポーズ。どうだ田中。見たか、俺の雄姿を。

 しかし、ふたりから反応は返ってこない。南川は相変わらずスマホの画面とにらめっこ、田中は下を向いている。おいおいお前たち、どうしたっていうんだ。

 ほどなくして、田中が顔をあげた。

「先生、コツを教えてくださいよ。マッスルペイの台詞、僕はどうしても自分で笑ってしまうんです」

 なるほど。それは大問題だ。

「いいかい田中、お笑いの方程式で最も大切なことを教えてやろう。それは、本人がいたって真剣にやることだ。やっていることがヘンテコでも、本人は真面目にやる。その一生懸命な姿が笑いを誘うんだ」

 スマホを構えていた南川が、ふっと笑ったような気がした。なんだお前、しっかり聞いていたのか。

「分かりました。じゃあ先生、せっかくですから他の役も見せてください。先生のお手本を見れば見るほど、僕、やる気が出るかもしれません」

 なんだその理由は。しかし、生徒に求められては仕方がない。お前たちの最後の文化祭だ。3年間、お前たちの担任をした教師として、絶対にステージを成功させて笑って卒業してほしい。高校生活、最後の晴れ舞台だ。ここで俺が一肌脱いで、それで丸く収まるのなら……。

「ようし。じゃあいくぞ。まずは『全て一円玉で払おうとする細かい老人』だ!」


 文化祭当日、体育館のスクリーンに映し出されたのはだった。ある教師が、生徒を学校に来させるために、ヘンテコなキャラクターを次々と演じてみせる。その真剣で一生懸命な姿は、全校生徒を爆笑の渦に巻き込んでいた。

「先生、3年間、本当にありがとうございました!」

 一流役者の田中と一流カメラマンの南川を先頭に、3年1組の皆が教室で俺を出迎えた。まったく、やってくれる。俺は涙をこらえながら、『何度も何度もしつこくお礼を伝える低姿勢の男性』を演じた。

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