年末年始の梁山泊

@itan

第1話

 あの頃、僕が借りていた東京のS区にある2DKの五十平米ほどのちっぽけな――とはいえ、離婚したばかりで独り身になった僕にとっては十分な広さの――アパートは年末年始になると梁山泊みたいになっていた。

 僕は予備校の社員だった。かなり特殊な分野を対象にしていて、司法試験専門の資格試験予備校だ。あの頃はロースクールなんてものはなくて、大学の卒業資格をもってさえいれば誰でも受験ができた時代だ。ただし、超難関だった。出願者数が三万三千から三万八千人に対し、合格者は千人程度、合格率は三パーセント以下だった。受験回数が十回を超える猛者も多かった。大学を卒業しているから司法浪人だ。なかには結婚して子供までいる受験生もいた。子供が大きくなって友だちから「パパは何をしているの?」と聞かれて「受験生!」と無邪気に答える前に受かりたいなどという自虐ネタを口にするベテラン受験生もいた。

 僕は受験をしていなかったが、社内には受験生社員がたくさんいた。大学受験予備校と違って難関大学の学生がアルバイトで講師になるなんてことはない。講師は法学部教授をのぞけば、皆、司法試験合格者だ。裁判官や検察官は副業が禁止だから法曹三者の中では弁護士が講師を務めることになり、受講料はそれなりに高額だった。でも社員になればその講座をただで受けることが出来るからスタッフになりたがる受験生は多かった。最低限の収入を確保して合格を目指す彼らはとっとと合格して法曹三者になり、この会社を辞めることが夢だった。皆、カツカツの生活をしていた。

 司法浪人に土日祝日、盆暮れ正月はない。毎日が勉強だ。とはいえ、やはり息をつきたいときもある。それが年末年始だった。僕が独り身になったことを知った何人かが、血の臭いをかぎつけた鮫のように僕の家にやってくるようになったというわけだ。帰省した連中も実家での滞在を早めに切り上げて大晦日には東京に帰ってきた。僕の家で大晦日から正月を過して、食べて飲んだ後、下宿に帰って勉強を開始する。そういう習慣がいつのまにか定着していた。


「ピンポーン!」

 玄関のチャイムが鳴ったのは大晦日の夜十一時三十分だ。

「はい」

「Iです」

 富山出身のIがやってきた。部屋に入るなり「これ、おみやげです」といって富山名物「ますの寿司」を僕にわたした。一宿一飯の恩義にあずかる以上、手土産くらいは持ってくる常識はわきまえているのだ。

「ありがとう」

「すぐに食べてください」

「いや、明日でもいいんじゃないか」

「駄目です」

「なんで?」

「賞味期限を見てください」

 包みを引っくり返すと賞味期限が十二月三十一日二十四時とあった。

「すぐに笹ごと温めて食べてください」時計を見ながらIがいう。「あと二十五分しかありません」郷土愛あふれるIは富山県新湊の出身だ。

 僕は、港町出身で小さい頃から新鮮な魚を食べてきた連中は舌ができているという見解を有している。狭い交友範囲の中で青森や岩手、富山の出身者が皆、そうだったからだ。Iなどは夕飯をご馳走したとき、「Aさん、これはザシですね」と言ってテーブルに出てきたマグロの刺身に箸をつけなかったことがある。「ザシ?」僕の言葉に「カジキマグロのことです。私はこれを小さいときからいやというほど食べさせられてきました。だからザシはもう見るのも嫌なんです」とのたまったものだ。


「ピンポーン!」

 Iに遅れること三十分ほどでSがやってきた。Sも受験生社員だ。こいつは人に飯をおごらせるのに面倒くさい手練手管を使う。

「勉強のしすぎで目がかすむんです」と弱々しげに悩みをうったえてくる。「目薬は?」と聞く僕に、「どうやら目にはビタミンAがいいらしいんです」という。

「サプリを飲めばいいってこと?」

 首を左右にふりながら、サプリなんて役にたちませんとつぶやき、「ビタミンAを豊富に含む食材を見つけたんです」

「何?」「ウナギです」ハイ、ハイといってウナギを奢ることになる。


 やってくる連中は皆、年下だ。僕はできるだけ彼らに喜んでもらいたくて、正月料理の準備をするようになった。料理ビギナーなので失敗も多い。カズノコを塩抜きして薄皮をむいたあと、味つけをするのに調味料をあわせたダシ汁で煮込んでしまったことがある。

「ロウを食べているみたいですね」

 Iがまっしろになったカズノコを口に入れ、ペッと吐き出しながらいった。なにごとも経験が必要ということだ。でもカズノコに関してはその後、食卓の食材を組み合わせて傑作ができあがった。僕はそれを『カズノコ巻き』と命名している。

「カズノコって正月料理の定番ですが、そんなに食べないじゃないですか」

 黄色い小さなバナナのような魚卵の山を見ながらIがこんなに大量のカズノコをどうするつもりだといわんばかりにあきれている。

「おまえたち以外にも来るかもしれないから、数はそろえておきたかったんだ」

 その頃には大晦日から正月三が日まで、我が家を解放するということが社内では周知されていた。

「縁起物だしな。正月気分を出そうと思ってさ」「まあ、甘いやつよりはいいですけどね」Iは飲兵衛だ。

「食感だけの食べものじゃないですか」

 Sの言葉に僕もうなずいたが、なんとなく悔しい思いもある。テーブルの上には刺身や白菜の漬物なども並べてある。ザシに箸をつけないIのために用意しておいた本マグロの中トロだ。Iはそれを美味そうに口に入れている。白菜の漬物も自分で漬けたものではなく、老舗の漬物屋で買ってきたから味はいい。カズノコ、中トロ、白菜と口に入れているIを見ていてひらめいた。

「いろいろ巻いてみたらどうかな」と僕は、海苔をとり出して、それに白菜の漬物の葉っぱの部分を広げて載せ、その上にカズノコと中トロを置いてクルクルと巻いてワサビ醤油で食べてみた。

「イケルんじゃないか?」

 正直、かなりイケた。僕の指導でIとSが同じように海苔で白菜とカズノコと中トロを巻いて口にいれる。

「イケますねえ」二人が顔を耀かせた。

 プチプチとしたカズノコの食感と白菜のシャキシャキ感、中トロのねっとり具合、海苔のパリッとした香ばしさが一体となってえもいわれず美味かった。こうして我が家の正月の定番『カズノコ巻き』ができあがった。

 料理って平均点の高い皿を幾つ並べてもあとで印象に残らないことがよくある。全体の平均点が低くても、一皿、ガツンという料理があると『あの店にもう一度行ってみたい』ということになる。この一品がまさにそのガツン物件になった。皆で美味い、美味いとカズノコを消費していく。元旦に顔を出したFもやみつきになったようだ。「いくら食べても飽きません!」

 ガツン物件認定第一号は拍子抜けするくらい簡単にできあがった。


 寸胴の中にたっぷりと用意しておいたカレーを食べ尽くした――三日も居続けしてる――Fが炊飯器を開けて中をのぞきこみ、「ご飯しか残ってません」といった。

(まだ食うつもりか)いささか呆れ気味に僕は「TKG――タマゴかけごはん――でも食えば?」と投げやりにこたえる。「そうですね。タマゴいいですか」僕の返事も待たずに冷蔵庫の扉を開けたFはゴソゴソと中をかきまわす。

「カレーはなくなったけど福神漬けは残ってますね」

「TKGに入れたら?」カズノコのときとは逆に食感のないTKGの欠点を補強する提案をした僕だが、Fは「辛いもんが欲しいですね」といいながら豆板醤の瓶を取り出した。ごはんに福神漬けを載せ、タマゴを小鉢に割りいれ、豆板醤を混ぜるF。司法試験受験生の視野は広い。「うーん、中華かー」と調味料のカゴを眺めてそこからひっぱりだしたのは「やっぱ中華にはゴマ油っすね」とゴマ油の瓶。全部を混ぜ合わせて醤油をたらし、海苔をもみ散らしてF作『ピリ辛TKG』が完成した。これも我が家の定番にラインナップされることになった。


 賞味期限切れ寸前の「ますの寿司」を持ってきた翌年のIの手土産は「イカの黒作り」だった。これも北陸名物だ。イカの塩辛の黒い奴だ。酒の肴にちょうどいいが、これを使って何か作ってくれとなにごとにつけ面倒くさいSが甘えてくる。「ご飯とかは駄目ですよ」と釘をさされて僕が思いついたのは麺にあわせることだった。

「パスタだな」

 別にイカスミパスタみたいにする必要はない。オリーブオイルににんにくと鷹の爪で香りづけをして白ワインをちょっと。パスタの茹で汁少々と塩少々でペペロンチーノを作ったら、それにイカの黒作りをのせるだけ。『イカの黒作りペペロン』が完成した。どういうことでそうなるのかわからないが、イカの黒作りに甘みが生まれるから不思議だ。

「いけますね」持参したIも気に入ってくれたようだ。


 こうして毎年、年末年始に新しい料理のレパートリーが増えていく。

 いつのまにか、我が家の年越し行事は、皆が自分の考えた料理を披露する場になっていった。皆、独身でカツカツの生活を送っているから豪勢なものにはならない。それでも、実家から届けられた食品や、この日のために奮発して買ってきた食材で簡単料理を作り、集まってきた連中がワイワイいいながら食べて飲む、ホームパーティーみたいなものになっていった。パーティーに女性は欠かせないはずだが、我が家のパーティは野郎ばかりというのが難点ではあったが。

 Kは大根おろしが好きだった。老舗の天麩羅屋に連れていったとき、出された天つゆに天麩羅をつけることなく――Kは天麩羅は塩で食べる――おろしをつけて食べまくった。おろしが空になれば「すいません、おろしをください」といって女将さんを笑わせていた。だからKが『おろしホタテ缶蕎麦』を披露して皆から喝采をあびたときもむべなるかなと納得したものだ。

 帆立の水煮缶に大根おろしを混ぜて、醤油をたらし、濃縮のそばつゆを薄めずにかける、冷製蕎麦だ。もみ海苔と七味をかける。

「美味い、美味い」といって皆が蕎麦をすすっているのを見て喜んだKは翌年、帆立の水煮缶のかわりにカニ缶を使った即席蕎麦を披露したが、食材が高額になって困ると顔を曇らせていた。Kの新作『カニ味噌カニおろし蕎麦』はカニ缶に瓶詰めのカニ味噌をあわせて、やっぱり大根おろしと醤油を混ぜて蕎麦にかけるものだが、これがご飯にのせてもイケルとIが言い出し、炊飯器が空になってしまった。爾来、Kは『OROSHI』と呼ばれるようになった。ハワイでデビューしたジャニーズの『嵐』の人気が伸びはじめた頃だ。


「長いもの全般、なんでも好きです」といったS――そういえば、ウナギも長いな――はパスタを考案した。茹でるときに醤油をまぜて褐色となったパスタに大量の鷹の爪をいれて熱したオリーブオイルでマッシュルームをソテーして、だし醤油をまわしかけ、これまた大量の、細かく刻んだ大葉と大量のバジルをぶっかけた『大葉とバジルのピリ辛パスタ』が好評だった。


 男尊女卑的な育ち方をしたIは決して厨房には入らなかったが、毎年なにかしらの手土産を持参した。「くちこ」というナマコの卵巣を乾燥させた高級食材と甘エビの塩辛を持ってきたときは、酒の肴にした。火に炙ったくちこを細かく刻み、甘エビの塩辛に混ぜあわせるだけだが、これが酒のアテにピッタリだった。酒がススムこと、ススムこと。


『ピリ辛TKG』の作者Fの新作は、『ツナ缶ご飯』だった。ツナ缶を開け、網の上に載せて温め、醤油を山ほどかけてご飯にぶっかけるだけのものだが、これも大量の七味をふりかけるとワシワシとかっこむ美味さとなった。


 あれから二十年以上の年月が流れた。IもSもFもKも皆、合格して弁護士になった。事務所を持った奴もいればアソシエイト――勤務弁護士――もいる。パートナー――共同経営者――になっている奴、地方行政のトップになった奴、それぞれに活躍をしている。妻帯をして子供までいる。あんな年末年始の過し方はもう、二度とできないだろう。あの、梁山泊のような日々を思い出すと、三十代前半だったのにまるで青春時代のような懐かしさを覚える。

「そのほかの料理はないの?」

 二度目の妻――再婚をした――が正月になるといつも繰り返す僕の『水滸伝』話につきあって、そのころの料理を聞いてくる。

「まだあるよ。でもこれは僕が若い頃通った店のメニューだったんだ。今はもうないけど」といって幾つかの料理の話をする。

『ロースライス』は簡単だ。カレー風味のパーコー――豚肉の揚げ――を載せた皿飯だ。塩したほうれん草のソテーを添えるのがミソ。店では小松菜だったかもしれない。

『きのこ汁』も簡単。干ししいたけを一晩かけて戻して、このもどし汁を使った豚汁みたいなものだ。味噌仕立てにしてもどしたしいたけ、しめじ、まいたけ、えのき、にんじん、大根、油揚げ、白菜をぶちこむだけ。干ししいたけのもどし汁がバツグンの味を約束してくれる。

『スモークチキンサンド』だけは面倒くさい。トーストにバターを塗って、マヨネースとあわせたレバーペースト――レバーペーストは多目に――を塗って粗めの黒胡椒をまぶす。レタスをしいてスモークチキンを載せて、リンゴのコンポートを塗ってクローズするサンドイッチだ。これは皆に、いや、妻にも好評だ。

 でもやっぱり、年越しの準備をするときに必ず買い揃えるのは、カズノコと中トロ、白菜の漬物、そして備蓄を確認するのは海苔と山葵と醤油と酒。これがないと新年を迎えた気がしないのだ。

「『カズノコ巻き』がイチバンね」

 妻も太鼓判を押してくれる。

(了) 

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