我が唯一の願望

隠井 迅

クリュニー中世美術館のタペストリー

 私こと〈隠井迅〉は、一年生を対象にした必修の第二外国語であるフランス語の講義において、時間を設けて、様々なフランス関連の事象を取り上げる事にしている。それは、その言葉を使っている国への興味・関心なくして、言語の習得などあり得ない、と考えているからだ。

 そして、この日の講義の中で扱ったのが、パリの第五区に位置している〈カルチエ・ラタン〉であった。


 「エスカルゴ」という〈二つ名〉を持つパリは、二十の〈区(アロンディスマン)〉によって構成されている。そして、それぞれの区は、かつて、行政上、四つの〈街区(カルチエ)〉に分割されていた。カルチエは、四分の一を表わす「カール」と語源を同じくし、つまり、カルチエとは、区の四分の一を意味している。

 行政区分としてのカルチエは、現代のフランスでは、もはや用いられてはいないのだが、場の名称としては現存していて、その代表の一つが、「カルチエ・ラタン」である。

 ちなみに、「カルチエ」は四分の一区、「ラタン」とはラテン語のことである。


 パリの守護聖人である「サント=ジュヌヴィエーヴ」の名を冠した丘、その周辺がカルチエ・ラタンである。

 この界隈に、「ラテン語」という名称が付いているのは、中世時代、この辺りに、欧州最古の大学の一つであったパリ大学の神学部の学生寮があって、この界隈では、ヨーロッパ各地から集まってきた学生たちが、宗教や学問に関して、大衆には理解できない言葉である、ラテン語で会話をしていたからであった。

 そして、今なお、この界隈は、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館、コレージュ・ド・フランス、ソルボンヌ大学といった学問関連の施設が点在している、いわゆる〈文京区〉になっているのだ。


「みなさんにとって、パリの美術館と言って即座に思いつくのは、ルーヴルやオルセーかもしれませんが、今日、ここで取り上げたいのは、ソルボンヌそばのクリュニー中世美術館です」

「先生、ソルボンヌそばってのが、何気にツボりました」

 そう発言した学生は、蕎麦を啜るような仕草を見せてきた。

「その発想はなかったっ!」

 最前列の学生とそんな掛け合いをした後で、隠井は、以前、パリを訪れた際に撮影した、クリュニー中世美術館の外観の写真を、スクリーンに映し出したのであった。


「このフランスの国立中世美術館は〈クリュニー浴場跡〉に在ります。

 〈クリュニー〉という名称は、中世時代、この地に、クリュニー修道会の修道院長の別邸が建てられていた事が由来になっているのですが、クリュニー修道会の建物があった敷地とは、元を辿れば、〈ガロ=ロマン〉時代に建造された浴場だったのです。

 ガロ=ロマンとは、現在のフランスに当たる〈ガリア〉が、帝政ローマの支配下にあった時代を指しています。

 つ・ま・り、クリュニー浴場は、その呼び名こそ中世フランス由来になっているのですが、元々は古代ローマ人の浴場だったのです。

 とまれ、この中世美術館には、古代や中世の、様々な美術・工芸品が所蔵・展示されていて、これも、その一つです」

 そう言って隠井は、とあるタペストリーをスクリーンに映し出した。


「例えば、フランス語では『ラ・ジョコンド』と呼ぶのですが、いわゆる『モナ・リザ』がルーヴルの目玉の一つであるように、クリュニーと言えば、その目玉は、この『貴婦人と一角獣』というタペストリーなのです。

 クリュニーでは、このタペストリーは円形の部屋で展示され、そこは、常に照明が落とされています。この展示室の照明が暗くされているのは、このタペストリーを守るためなのです」


「先生、わたし、そのタペストリーを、『ガンダム・ユニコーン』で観ましたっ!」

 そう言った学生は、肘を直角にして、両腕を何度も何度も上下に振っていた。

「そうなのです。この『貴婦人と一角獣』は、『ユニコーン』のモチーフになっているんですよね。自分も『ガンダム』好きなので、当然、観ていますよ。

 で、実は、このタペストリーは国宝級の工芸品で、フランスから出される事は極めて稀なのですが、なんと、二〇一三年に、日本でも展覧会があったのです」

「先生、わたし、観に行きましたっ!」

 先ほど、『ガンダム・ユニコーン』との関連を発言した学生が、勢いよく返事をした。

 隠井が、その展覧会に行った者が他にもいるかどうか尋ねてみた所、一割程度の受講生が手を挙げていた。

「次に日本に『貴婦人と一角獣』が来る機会があるかどうかは分かりませんが、もし、君たちがパリに行く機会があったら、ぜひ、クリュニーに観に行ってくださいね。

 さて、それでは、このタペストリーについて、少し語りましょうか」

 それから、隠井は展示室全体の写真を見せた。


「『貴婦人と一角獣』は、十五世紀末の物で、パリで下絵が描かれ、フランドルで織られました。

 そして、『貴婦人と一角獣』というのは、これら六枚のタペストリーの総称で、その一枚一枚には、若い貴婦人に連れ添うユニコーンが描かれていて、それぞれが、人間の五感を象徴している、と言われています。

 左から、触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚になっています。

 それでは、一枚一枚をじっくり観てゆきましょう」

 隠井はスライドをめくった。


「〈触覚〉では、貴婦人がユニコーンの角に触れているのが分かりますか?

 〈味覚〉では、貴婦人は、侍女が差し出す盆の中の飴を手に取っていて、その足元では、そこからこぼれ落ちた飴を猿が食べています。

 〈嗅覚〉では、貴婦人に、侍女が花が入った籠を差し出していて、その花の香りを猿が嗅いでいますね。

 〈聴覚〉では、貴婦人は、小型のオルガンを弾いていて、おそらく、ユニコーンだけではなく、周囲の動物たちもオルガンの音を聴いていますよね?

 〈視覚〉では、貴婦人は手に鏡を持っていて、その鏡にユニコーンが映っているのが分かりますか?」

「なるほど。でも、先生、これらのタペストリーが五感を表わしているのならば、一枚、多くないですか?」

「その通りです。

 この六枚目、最後のタペストリーは、他の五枚に比べて、ひと際大きく、さらに、謎多き一枚とみなされています。

 誰か、この六枚目の中央にある、青色のテントの上の金色のフランス語を読んでみてくれないかな?

 ん? これだと見難いな。ちょっと待っていてくださいね」

 そう言って、隠井は、六枚目の写真を拡大させたのであった。


 一人の男子学生が挙手したので、彼にフランス語を読んでもらうことにした。

「えっと……、ア・モン・スール・デジール(À mon seul désir)……、これ基本単語ばっかりっすね。自分にも、意味が分かります。『我が唯一の望みへ』ですよね?」

「はい、正解です。五感の表象である他の五枚に対して、この第六の絵は、これまで、〈理解〉や〈愛〉を表わしている、と解釈されてきました」

「先生、わたし思うのですが、この六枚目って〈第六感〉の事で、この絵を観た人が、その〈直感〉に従って、それぞれ自由に解釈しろって事なのではないでしょうか?」

「おっ! なるほど、第六感か……、なかなか興味深い、センスの良い発言ですね」

 隠井が腕時計で確認したところ、講義の残り時間は、あと五分ほどであった。

「それでは、講義終了まで未だ少しあるので、その余り時間を使って、今からこの六枚目のタペストリーが意味する〈第六感〉とは何か、君たちの〈直感〉が導き出した考えを、出席カードの裏に書いてくださいね。

 では、スタート」


 隠井が指示を出すと、一斉に、ガリガリっと、筆記用具と机との摩擦が立てる音が鳴り始めた。

 それを聞きながら、隠井は、パリのクリュニー美術館で、直に『貴婦人と一角獣』の六枚目を観て感じた時の事を思い出していた。


 自分は、「ア・モン・スール・デジール(我が唯一の望みへ)」を読んで、この六枚目は、そのまま〈願望〉を表わしている、と〈直感〉したのだ。

 つまり、己の願望が何かを知る感覚こそが、第六感なのではないか、と。


                              〈了〉


〈参考資料〉

「クリュニー中世美術館(パリ)」、『メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド』、二〇二二年三月十一日閲覧。

「クリュニー中世美術館」、『パリ観光サイト「パリラマ」』、二〇二二年三月十一日閲覧。

「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣展」、『国立新美術館』、二〇二二年三月十一日閲覧。


『機動戦士ガンダムUC』全七章、OVA、アニメーション制作・製作:サンライズ、発表期間:二〇一〇年三月十二日~二〇一四年六月六日。

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