真藤沙菜のはじめて

SLX-爺

第1話 藍鳥とはじめて

 「はぁ~……」


 高校3年生の真藤しんどう沙菜さなは、また祖父に押し付けられた車葬を終えると、車葬を終えたばかりの、ブルーバードシルフィのボンネットに座り込んでしまった。

 今日の車葬も、孤独死を迎えた年配男性の家からやってきたという経緯のため、車側の事実に対する迷いと戸惑いが大きく、思念量もたくさんあったために、沙菜の身体にはどっと疲れが襲ってきたのだ。


 沙菜は学校に通うようになってからは、事業に失敗して全国を転々とする両親とではなく、修理工場兼、解体所を経営する祖父母に育てられている。


 そして沙菜には、対象となる車から、在りし日のオーナーとの思い出や日々の暮らし、そして互いの想いなどが読み取れてしまう能力があり、その能力を駆使して、祖父から依頼された案件の車たち魂を安らかに葬る『車葬』を行っている。

 ……ただし、1回定額制でのバイト代わりにだ。そう、沙菜はあくまでお金のために渋々やってるに過ぎないのだ。


 「なんで、こんな変な能力ちから、持っちゃったのかなぁ……」


 沙菜はしみじみと、吐き出すように言った。

 そして、考えているうちに疲れがミックスされ、自然と目を閉じていた。



 ふわふわした、おかしな感覚だ。

 空から地上を見下ろしてるような、そんな光景を沙菜は見ている。


 「あぁ、きっと夢だ」


 沙菜には分かっていたが、だからと言って、目覚めることも出来ない奇妙な感覚の中で、その光景を見ていた。

 見ているのは、沙菜が住む街の昔の姿だ。駅前のスペシャルバリューが、まだデイエーで、今やすっかり同じ形の建売り住宅になった辺りが、空き地と森に囲まれているので、まだ沙菜が小学校に上がる前の頃だろう。


 「あぁ、やっぱりだ」


 沙菜は空き地の隅に、ある少女の姿を見つけた。

 白いワンピースに、白いハットを被り、背中まで黒髪を伸ばした背の低いその少女こそが、5歳の沙菜だった。

 

 当時、沙菜の両親の事業は破綻し、家族3人で日雇いの飯場や寮などを転々としていたが、祖父母にはそれを悟られまいと、沙菜の母親は、実家に帰る時は沙菜をよそ行きで着飾らせて、豪華な土産を手に、さも成功した出で立ちで凱旋していたのだ。

 そして、沙菜の口からボロが出ないように、そそくさと沙菜を外に遊びに行かせてしまうのだ。


 祖父母、特に祖父が、今だに実の娘である母親を沙菜や実家に近づけさせない理由は、この頃の両親の沙菜に対する仕打ちに原因がある。


 そんな思いを振り払って、沙菜は昔の自分を見下ろしている。

 たまに、母親が祖父母に金の無心をしに来る時くらいしか、沙菜はここに連れてきて貰ったことが無いので、正直、外に行っても遊ぶ相手もいない。

 しかし、1人でいる事にはすっかり慣れていたので、1人で遊びながら森の方へと足を進めて行った。


 ここには、沙菜が以前に見つけた遊び相手がいるのだ。


 森を少し入って、分かれ道を右に曲がった先には、広場があり、その奥には白いトラックと、紺色のワンボックスカーが置かれていた。

 どちらも表面には苔がびっしりと生えて、緑色を帯びており、室内には鉄パイプや段ボールなどが詰め込まれていた。

 ドアには2台とも同じ字体の文字が書かれているので、おそらくここは会社の事務所兼資材置き場があったものと思われた。


 その更に奥へと足を踏み入れると、その2台の陰になって1台の乗用車が置かれていた。

 他の2台同様、苔に覆われて薄緑がかっているが、上がシルバー、そして下は濃いグレーに塗り分けられ、その境目には赤いラインが引かれている、2ドアのボディと、カタツムリの角のように左右に生えているフェンダーミラーが特徴だ。


 「ターボ君。こんにちは」


 5歳の沙菜が言った。

 このターボ君こそが、沙菜の友達だ。

 この車を見つけたのは、1年ほど前だった。同じように森にやってきた時、この場所を見つけたのだ。

 他の2台は鍵がかかっているのか、それとも長年の放置でドアが固着したのか、開ける事はできなかったが、このターボ君だけは開ける事ができたのだ。


 いや、それ以前に、この車を見つけられる事の方が凄いのだ。

 このターボ君の置かれている場所は、かなり鬱蒼とした所で、その上で背の高い2台の車に目隠しされているので、普通だったら、その存在にすら気付かないだろう。


 当時4歳の沙菜はここに立った時に、何かにピンと来て森の奥へと分け入った時に偶然見つけたのだ。

 この頃の沙菜は、車葬の能力に目覚めていないので、第六感と言った方が正しいだろう。


 沙菜は、前と同じようにドアを開けて中に入った。

 室内は綺麗に保たれており、沙菜は運転席に座ると、ポーチの中からお菓子を取り出した。

 さっき、爺ちゃんと婆ちゃんに貰ったのだ。


 沙菜はお菓子を食べ終わると、ハンドルを握ってみる。

 当然前が見えるわけも無く、沙菜の視線はメーターを直視するのがやっとだが、妙に大人になれた気分になったのだ。

 そして左側にあるシフトレバーを動かしてみる。


 「いち、さん、ごー、にー、よん、あーる……」


 沙菜は、書かれている文字を読んでみる。

 5速ミッションのようだが、どれに入れていいのかが分からず、沙菜は適当にグリグリと動かしてみる。

 バスに乗った時に見たような感じで動かしてみると“ゴクッ”という感じで、どこかにレバーが吸い込まれた。


 これで大人だ! 車が運転できるんだ。

 当然車は動くわけではないが、沙菜の中では走ったのだ。


 沙菜は、後ろの席に移動すると窓を少し開けた。

 クルクルとレバーを回すと開閉する窓は、沙菜にとっては新鮮で、とても楽しかった。大きく開けてみて、その後、少しずつ閉めていく……を繰り返しているとすっかり楽しくなってしまった。


 ……ふと気が付くと、西日が差してきていた。

 後席に横になって寝ていたようだ。


 「たいへんだ! 爺ちゃんの家に帰らないと!」


 沙菜は慌てて窓を閉めると、運転席に座り、さっき入れたギアを抜こうとしたが、なかなか抜けない。

 当然だ、クラッチを踏んでいなければ簡単には抜けないのだが、5歳の沙菜には知る由も無いし、足も届かない。

 沙菜はレバーにしがみついて、体重をかけてギアをニュートラルにしようとした。


 「あっ!?」


 沙菜はショックに転げてしまい、助手席の方へと倒れ込んだ後、起き上がってみて、その状況を把握した。


 「取れちゃった!!」


 沙菜の手には円筒形の物体……さっきまでレバーの先端についていたシフトノブが握られていた。


 「壊しちゃった!!」


 沙菜は元に戻そうとするが、できなかった。

 シフトノブはレバーにねじ込まれているのだが、それを知らない沙菜は、必死に差し込むだけなので、すぐに落ちてきてしまう。

 何度もやっているうちに、段々と陽が落ちてきて、沙菜は焦りから泣き始めてしまう。


 「ううっ……ゴメンなさい、ゴメンなさい……ゴメンなさいぃぃぃ」


 そして、次の瞬間、沙菜の第六感に語り掛けてくる声があった。

 それを聞いた沙菜は、ガバッと起き上がると叫んだ。


 「なんで!? なんでもう二度と会えないの? これ、壊しちゃったから?」

 

 沙菜の脳裏には“もう、お別れなんだ。二度と会えないんだ”という言葉がはっきり聞こえたのだ。

 優しく、あやすような柔らかいその声に、沙菜は


 「そうだ! 爺ちゃんを呼んでくる! 爺ちゃんは凄い修理屋さんなんだ。このくらい、すぐに直してくれるよ!」


 沙菜は、シフトノブをポーチに入れると、運転席のドアを開け、外に出てから閉めた。


 すると、その瞬間

 “ドササササッ”

 という音が、車の後方からした。

 沙菜はそちらの方向に駆け寄ると、愕然とした表情で


 「壊しちゃった……ターボ君、壊しちゃった!!」


 車のトランクが、サビで瓦解し、落ちたのだ。

 元々相当腐っていたところに、ドアの開閉のショックがトドメになって、崩れ落ちたのだ。 

 

 沙菜は、車の後方に回ると、崩れ落ちたトランクリッドについていたエンブレムを拾い集めた。

 沙菜が唯一読めた『TURBO』を含めた3枚のエンブレムもポーチに入れると、前に回り込んでわんわんと泣き始めた。


 そして、沙菜の手が偶然にもボンネットの真ん中に触れた時、沙菜の脳裏にまた言葉が聞こえてきた。

 その言葉を聞いた沙菜は、立ち上がると


 「さようなら……」


 と言うと、グリルの下の地面に落ちていたエンブレムを拾い上げて手に持つと、そのまま何度も振り返りながら森を後にした。


◇◆◇◆◇


 目を覚ますと、沙菜はさっきのブルーバードシルフィのボンネットの上に座ったままだった。


 「そう言えば……あの時もブルーバードだったか……」


 沙菜は、その時の事を思い出した。

 沙菜はあの後、すぐに母親に連れられて帰ってしまったため、爺ちゃんには何も言えず、1年後に、ここで暮らすようになってあの場所に行ってみると、宅地造成されて森自体が無くなっていたのだ。


 沙菜が、その時のエンブレムを数年後、読めるようになった時、ターボ君の正体が明らかになった。

 それは、日産ブルーバード、2ドアハードトップSSSターボだったのだ。


 あの時が、車からの声が初めて聞こえた瞬間だったように思う。

 

 しかし、車葬の能力と決定的に違うのは、あの時は声が音となって聞こえたのだ。車葬の能力には音の概念がなく、頭の中に場面が浮かぶのだがハッキリと声になって出てきたのは、あの時が初めてだったのだ。


 「う~ん……第六感としか言いようが無いんだよなぁ……」


 沙菜は、その不思議を振り払うように伸びをすると、家の中へと戻って行った。

 

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