第六感

お題場からここへ来ました

第1話

ここに一組の漫才コンビがいる。もう20年も前に島根から東京に出て、屁理屈ぽいネタが災いしてか,元々の才能がないのか、賞とかテレビ出演とか全く無縁の二人である。

今年も漫才界の一大イベントのM1が近い頃となり、このコンビ名「第六感」

のネタ作り担当、突っ込みの飯田が「なあ前川、俺らのネタは屁理屈ぽいとよく

言われる」 いっその事、俺らのコンビ名「第六感」で屁理屈ぽくても、ええそんな事ある?ネタ作ろうやと言い出した。飯田だけに。

「前川よ、第六感てお前どんなイメージ持ってる」「そうやな、なんかこう人のウソにピンときて、見破るとか、嫌な予感がして出かけるのやめたら、テレビで電車の中でえらい事件が起きたと流れたり。そんなとこかな。」

「そら、普通やわ、あかん、そのイメージでは、飯田が言った。」

それから、飯田は第六感についてとんでもない事を喋りだした。それは、第六感というのは人智の及ばない不思議な感覚なのだが、それが誰でも一様でもつものではない。個人差がある。その尺度は生まれながらにしての物でなく、今までの人生で経験した挫折とか悲しみとか、負の感情の経験値が影響して、脳の中に特殊な何かの回路が出来るという話だった。

「これを利用してるのが、ある国の国家元首なんや。この人は、子供の頃はえらい貧乏でいじめられっ子やった。それが今はどうや、一国の主や。けどな、この人は人の痛みが解からへんもんやから、隣の国ともめたり、ちょっかい出したり、全部自分の

第六感でやりたい放題や。これは、人類にとって大変不幸なことや。でもこんな元首は世界にいっぱいおる。」つまり、今この世界は自分の勝手な第六感を悪用して回りを不幸にしている悪党がごまんといるということだった。

第六感を良い事に活用している例もある。例えば、エジソンはちいさい頃は落ちこぼれ、学校なんて行ってない。発明したものは、全部が元々は第六感の賜物である。

照明にしても、蓄音機も、映画も、エジソンの第六感のインスピレーションが元々。

こんな人にならんといかんというネタでいこうかという事だった。

他には第六感は前世の記憶が元で、ある状況に遭遇した時、こんな事、前にもあったよなと、噓を見抜いたり、危険を回避したり、これも第六感の力を生んでいるのかもしれない。これを利用してるのが、占い師の類で「あなたの前世はイタリア、ローマの皇帝でした。故に、大変怒りっぽく,喧嘩早い。」と、忠告などする。

これを商売にしている。第六感商法やね。

と、ここまで第六感について、ネタが出来ないかと、考えたコンビだが、むしろこの二人は、コンビ名の第六感のとうりの第六感を持ち合わせているのかというと、私は甚だ、疑問である。何故かって?それは、このネタでM1に出ようとした二人が、あえなく予選にも出られなかったのを見れば、わかりますよ。

貴方の第六感は何処からくるのという考察を私は是非とも、伺いたいと思ってます。

それではまた、次回、書面でお会いできるのを楽しみにしております。

作者
























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