あしを腹から突き出して。

木元宗

第1話


 最近街を騒がせている、“傴僂せむしの預言者”の行方について扱った胡散臭い番組を、眠い目でぼんやり観ていた。


 どうやら正体不明のこいつは、一週間後までに起きる出来事や、今周囲にいる人間が何を考えているのかが分かるらしい。それで金を稼いで暮らしていたそうだが、この頃ぱったりと姿を消してしまったそうだ。本当かよ。


 窓の向こうから、車のエンジン音が近付いて来る。


 いつもの事だ。俺が仕事が終えて一息ついた頃、そいつは丁度やって来ては、奇妙な土産話を披露する。


 だから俺も、いちいち来訪の理由を尋ねなくなっていて、そいつを部屋に入れると二人分のコーヒーを淹れた。


「最近街で出た自殺者の話さ」


 俺は、コーヒーを啜りながら目を伏せる。


「悪いがそいつは知ってるよ。神に見放されたように不運な人生を恨んで、その憂さを晴らそうとギャンブルに手を出し、その借金苦で首を吊った男だ」


「ふふん。部分的には肯定しよう」


 そいつは得意げに笑うと舞台役者のように、身振り手振りを交えて言葉を継いだ。


「確かにそいつは不運だったそうだ。容姿は虫こぶのように気味悪く、親は早くに離婚し、学生時代はその容姿でいじめられ、働くようになってからは、仕事が上手くいかなかったんだと。気を紛らわそうと酒とギャンブルに手を出すが、酒は飲み始めてから身体が弱いと分かり医者に禁じられ、その代わりにギャンブルへ傾倒していったそうだ」


「だから、借金が出来上がって自殺だろ? 家も車も買えるぐらいの額だったって聞いたぜ? どこのカジノに入り浸ってたかも知ってる」


「あんたの仕事熱心さには感服するよ。こんな山奥で暮らしてるのに、街のご婦人方より詳しいとは。確かにそれも正解だが決定的に、異なっている部分が一つある。ふふん。これはあんたでも分からないぞ?」


「何だよ? まさか女に振られたのが本当の理由とか言わねえだろうな?」


「はっは。だったらよかったんだけれどな。男も恋っていう多少幸せな思い出を作れただろうし、私も酒をリクエストしてた所だ。だがなこの男、生涯女と付き合った事は無かったし、自殺の理由は借金じゃないそうだ」


「なら単純に、人生に嫌気が差してか?」


「百円で虫になっちまったからだよ」


「あ?」


「金を払って虫になったが、それが耐えられなくて死んだんだ」


 俺は片眉を上げた。


「アイリッシュコーヒーを出した覚えは無いんだけどな」


 そいつは心外そうに両手を広げて肩を竦める。


「おいおい私だって運転して来たんだから素面だぞ? この男は、本当に虫になったんだ。本人の口で言ってたんだ。こいつが入り浸ってたカジノの通りは、怪しい奴らが露店を開いてるだろう? どこの何者なのか分からない奴らが、どこから仕入れて来たのか見当も付かない品を扱っては、しょっちゅう警官に連れてかれてる。その日もギャンブルで大負けした男は、そこで百円で、虫になる水を買ったんだ。そこから男の人生は薔薇色さ」


「虫になる水ぅ? 何だよそれ。大体、虫になったのが原因で自殺したんじゃなかったか?」


「それは場違いに元気いっぱいな、十歳ぐらいの女の子がやってる露店で買ったんだと。『第六感、お一つ百円で売ってます! お一人様お一つまでですけれどっ!』って売り文句につられてな」


「商品名が虫になる水から第六感になってるぞ」


「女の子は“第六感”って名前でその水を売ってたな」


「何で知ってる正解を間違えてんだよお前は」


「どっちも正解だからさ。いいか? 男はとんでもなく不運で、周囲はそんな男の様子を勿論わらった。虫こぶみたいな不細工があっぷあぷしてるってな。男はそれが一番悔しくて、いい加減に何か、どんなものでもいいから、世間を見返す何かが欲しくなった。そしてギャンブルで大負けした日の帰りに、その女の子に呼び止められて、“第六感”を買った。『この水を飲めばギャンブルで勝ちまくり! 辺りにいる人の心も、一週間後ぐらいまでの間に起きる出来事もぜーんぶ見えて、あなたの人生は薔薇色に染まります! お値段はたったの百円かつ返金保証付き! 今からカジノに引き返して、効果を確かめてみませんか!? お一人様お一つまでですので、効果が切れたら、また買いに来て下さいっ!』ヤケクソみたいな気分だった男は、たったの百円ぐらいいいかと買って、カジノへ引き返した。こうしてる間に女の子が、店を畳んでどこかへ逃げちまってもいいかって。どうせ高が百円だし。そしたらなんと、大勝ちしたんだ。その日の負けを引いても、まだまだお釣りが来るぐらい。人の心も読めるようになったから、仕事でミスもしなくなったし、職場の人間との関係も良好になっていく訳さ」


「とても自殺しそうには見えねえな」


「これが自殺するんだよ。今までに無い恵まれた環境を味わった男は、自分に自信が付き、すぐにそれは過信となった。その“第六感”で人の心を読む力を使い、今まで自分を馬鹿にしてきた奴らの頭の中を、辺りへ言い触らし出したんだ。その口止め料として馬鹿にしてきた奴らから、高い金をゆすったり」


「それでとうとう恨みを買って、金をゆすった奴らから報復か?」


「おいおい男は一週間先まで未来が見えるんだぜ? 報復の方法もタイミングも読めてるんだから、その時に鉢合わせないよう逃げちまえばいい。だから男は仕事を辞めて“第六感”を利用し、ギャンブルと占いで食っていく事にした。勿論どっちも大当たりさ。だがある日から、幾ら飲んでも買い直しても“第六感”が効かなくなった。ただの虫こぶに戻ったと認めたくない男は、その後も占いとギャンブルに精を出すが、外すわ負けるわの踏んだり蹴ったり。男をちやほやしていた周りの奴らもその様子を見て、あいつが来ると縁起が悪いと、寄り付かなくなっていった。その虫こぶのような姿を指して、あいつはきっと虫の知らせだ。あいつの腹には、不運を連れて来る寄生虫でも住み着いてるに違い無いと噂した。男はそれが嫌になって、首を吊ったんだとさ。“第六感”でさえ見えなくなった未来が来るのを恐れてじゃなくて、自分とは虫なんだと、周りの言葉を信じて嫌気が差して。だって“第六感”が効かなくなる未来は見えなかったし、この力さえ阻むような絶対的な不運はもう、自分とはその不運を連れて来る虫に昔から取り憑かれていて、とうとう完全に乗っ取られその虫そのものになっちまったに違いないと、つまりは虫こぶではなく虫だったんだと、自分の正体に納得してさ。それでどうだい。この男の本当の姿、あんたになら見抜けたんじゃないか?」


「いいや? 俺にはただの男に見えたぜ。傴僂せむしのな」


 コーヒーを飲み干した俺は席を立つと、背後のドアを開けてみせた。


 閉じ込められていた生臭さが漂って来る中、奥へ進んで明かりを点ける。


 パチンと光を放つ裸電球に照らされるのは、流しが取り付けられた大きなベッドのような台が、どっかりと真ん中で横たわる部屋。ナイトテーブルのように添えられた作業台の上では、ハサミやメスが、血に汚れたまま散らかっている。


 シーツも無いベッドの上に仰向けで横たわるのは、切り開かれ、空っぽにされた腹を晒している、いぼにまみれた小柄で小太りな、全裸の傴僂男。


 どうやら法医学者である俺は気付かぬ内に、“傴僂せむしの預言者”と対面し、その死因は勿論、正体を探る形になっていたらしい。


「街での噂通り、首吊り自殺さ。死に方について変わった事は無い。が、お前の土産話のお陰で、解けた謎がある」


 俺は“傴僂せむしの預言者”へ歩み寄ると、脇腹を指した。


「見えるか? こいつの両の脇腹には、バッタや蝶の脚が何本も縫い付けられてるんだ。糸は裁縫用のものだから、針もきっとそうだろう。脚が縫い付けられてる角度や位置が、こいつ自身の手が届く範囲内に全て収まってる所から、全部自分でやったんだろうな。死因とは全く無関係だし、この行動の動機の調査は警察の領分だから、俺には手出し出来なくてもやもやしてたんだが……。ただ自分を虫だと本気で信じて、足りない脚を補おうとした狂人だと分かってよかったよ」


「いやいや。動機の真相は永遠に闇の中だぜ。第六感だの虫の知らせだの、オカルトな分野の究明は、国家権力でも手に負えないからね」


 俺に“傴僂せむしの預言者”の司法解剖を依頼した警官であるそいつは、降参するとでも言いたげな苦笑を浮かべ、コーヒーへ手を伸ばす。


「もしかしたら本当にその男は第六感に目覚めたのかもしれないし、それは例の女の子のお陰なのかも、単なる偶然なのかもしれない。然し金をゆすれていたり、ギャンブルなんかで生計を立てていられた以上、人心を読むのも未来が見えるのも、事実だったのかもしれない。はっは。案外、あるかもしれないぜ? 第六感。だって生涯女もいなかったようなこいつに、詐欺を手伝ってくれる友達なんていなかったんだから」


「そいつもそうだ」


 俺は呆れて、“傴僂せむしの預言者”だった男が横たわる台に手を着いた。


「なら、その“第六感”とやらを売ってた女の子は、どうなったんだ?」


「さっぱり消えちまって行方知れずさ。そんな子供、消えたんじゃなくて、最初からいないんじゃないかってぐらい手掛かりが見つからない」


 目を伏せてコーヒーを啜るそいつの目元には、僅かに疲労が滲んでいた。

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あしを腹から突き出して。 木元宗 @go-rudennbatto

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