あなたの瞳に異形が映る

佐古間

あなたの瞳に異形が映る

「ねえ、知ってる? 進藤さんの話」

「知ってる。またやったんでしょ?」

「自分に霊感あると思ってるんだって。イタいよねぇ~」

 くすくすと笑い声が響く廊下を通り過ぎる。昼休み、噂話に興じる生徒はあちらこちらにいて、そこで囁かれる噂はいつだって同じだ。

 不人気な教師のこと。

 中間試験の問題について。

 クラスで遠巻きにされている生徒の噂。

 進藤環は売店へ向けていた足をくるりと引き返して、屋上へ続く階段を上ることにした。教師の頼まれごとを処理していたせいで、売店へ向かうのが遅くなってしまったのだ。今向かっても殆ど売り切れだろう。

(あーあ、やんなる)

 北側一番奥の階段は、どの階も周辺に特別教室しかないため、いつだって薄暗い。使用頻度が少ないためいつも消灯されているのだ。薄暗いのは物理的な問題である。

 一応、階段隣にトイレがあるが、中央階段付近のトイレと比べると個室数も少ないし、古い和式トイレが残されたままなので不人気だ。他のトイレがいくら混雑していても、わざわざここまでくる生徒は少ない。

 そういうわけで、北側階段付近は日中でも寄り付く人がいないのだ。

 環にとっては好都合だった。とにかく人がいない場所にいたい。聞き飽きた噂話とはいえ、自身に関わる悪い噂など頻繁に聞きたくはない。

(いや、あれは、聞かせたくて言ってるのか)

 屋上へ続く扉はしっかり施錠されている。遠慮なく扉に寄り掛かり、冷えた地面に座り込んだ。

 本来ならここで昼食を食べるはずだった。昼休みは環の唯一の楽しみで、この時間のために学校へ通っていると言っても過言ではない。勉強自体は楽しいが、自分の一挙手一投足全てに噂が付きまとうのは、あまりにも窮屈だった。

(今日だって、別に、注意しただけなのに)

 はあ、とため息を吐く。ぐるぐると主張する空腹を抱えて、環は今日の二時間目を思い出した。



 二時間目は体育館でバスケットボールだった。

 準備運動を兼ねたパス練習の後、事前に分けられているチーム単位で簡単な試合を行う。それに加えて、ボールやゴールの出し入れなど、準備と片付けまでが授業だった。準備をするチームと片づけをするチームで分担して、環のチームは片付けの担当だった。

 ばらけていたボールを集めて、重たいかごを他の女子生徒と共に準備室まで運ぶ。

(ん?)

 開けっ放しの準備室まで来た時、何か違和感を覚えた。部屋の中で埃が舞っている。人が移動した程度では舞わない量だ。体育館からの照明を受けて、暗い準備室内でもキラキラして見える。

 何故埃が舞っているのか? 積み重なったマットレスが傾斜しているように見えた。一番上のマットレスが、大分手前にはみ出ている。

「ま……待って」

 それで、ボールかごに力を込めた。横で支えていた女子生徒が「えっ」と声を上げる。

「進藤さん? 早く片付けないと」

「今準備室に入ったらダメ」

 行かせたくない、という気持ちが急いて、理由を述べずに「行くな」と告げる。生徒の内の一人が顔を顰めた。

「……今、ここで、霊感ムーブする?」

 終われないんだけど、と、女子生徒が声を荒げた。環はうろ覚えの彼女の名前を呼ぼうと顔を上げて――どど、と、一瞬のうちに、傾斜していたマットレスが崩れ落ちた。

「……な、なに?」

 呆然と女子生徒が声を上げる。ボールかごを置く場所に、マットレスが崩れてきたのだ。上の一枚だけでなく、中ほどから崩れるように。

 慌てて体育教師がやって来て、三人は怪我をしていないか確認された。マットレスを戻す手伝いをさせられたが、周囲のざわつきは収まらなかった。



(それで、“霊感持ち”扱いだもんな……)

 はあ、と、深くため息を吐く。環に霊感など備わっていないし、信じてもいなかった。マットレスが崩れたのだって、前に入った誰か――先に準備室に行った男子生徒の誰か――が積まれたマットレスで遊んだからだろうし、気づいたのはいつもより埃が舞っていたからだ。あれは超常現象ではなく事故である。

「あ! やっぱここにいた!」

 だというのに、一部の生徒は環の事を「霊感がある」と勝手に騒ぐし、それ以外の生徒は「霊感があると言ってるイタい人」と環の事を悪く言った。人付き合いをする気になれず、入学して以降クラスメイトの名前もはっきり覚えていない。

 覚えていないが、目の前の少女は別だった。

 結城令華は、ショートボブの明るい髪を揺らし、ずいと環の前に何かを差し出した。

「……何?」

「焼きそばパン! 環ちゃん、今日は売店行けてないかなって思って」

 押し付けるように焼きそばパンを持たされる。環が困惑している間に、令華は勝手に隣に座り込んだ。

 令華は転入生だ。四月の始業式に来たので、タイミングが良くクラスにも馴染んでいる。明るく気さくな性格で、いつの間にかクラスの中心人物になっていた。なんとなく名前を知っていたのも、よく聞く名だからだ。

 環としては、令華は「別世界の人」だった。何せ自分とは真逆の立場だ。

 だというのに、いつの間にか令華は環の事を下の名前で呼び、隣で昼食を食べるようになった。所かまわずなので、その度居たたまれない気持ちになる。周囲からは「優しい令華が根暗な環をかまってあげている」図なのだ。

 押し付けられた焼きそばパンを拒絶するには空腹が強かった。

 無言で代金を渡してパンの袋を開ける。令華は笑って、いつも飲んでいる紙パックのイチゴジュースも渡してきた。同じくその分の小銭も押し付ける。

「別にいいのにぃ。環ちゃん、さっきは本当にありがとうね」

「……ありがとうって、何……?」

 特に、会話をしてやる義理も、意思もなかったが。

 令華は度々よくわからない感謝を環に伝えた。今と同じように。

 何のことを言っているのかは理解している。霊感騒ぎの事だ。解せぬのは、霊感騒ぎに令華が関わっていないからで。

「ん~、気にしないで! 言いたいから言ってるだけ」

 問えば令華はにかりと笑ってはぐらかす。環は深く追及せずに、もう返事をしなかった。



 明日提出の課題プリントをどこかに落としたと気が付いたのは、放課後、帰宅しようと荷物をまとめていた時だった。

 昔から、環は物事の細かな違和感に“気が付きやすい”タイプで、落とし物や忘れ物などとは無縁だった。準備室のマットレスのように、事故に気づいて回避したことは何度もある。反面、物心ついたころからそのような性質だったので、両親からは「かわいくない」子だと言われていた。

 例えば割れそうなグラス。淵に僅かな罅があるグラスと、数日前指を怪我して指先の動作に違和感がある母。「グラスが割れる」と伝えたのに、無視をされてグラスは割れた。母が落としたのだ。どうしてわかったのかと問い詰められたが、環は上手く答えられなかった。

 そういうことが何度もあった。その度環は上手く理由を説明できず、両親は環の事を持て余すようになった。「気が付きやすい」のは環の性質で、気にしないようにしてもできないことだ。逆を言えば、そのおかげで自分の管理ができたし、事故回避もできた。

 だから「落とした」という事実、そのものに一瞬違和感を覚えた。自分が落とす、状況が上手く想像できなかった。

(でも、まあ、たまにはあるよね……)

 人間だし。今日はまた霊感騒ぎがあったから、知らぬうちに動揺したのだろう、と、普段とは違っている理由を考える。

(プリントは……昼休みにちょっと解いてたから……)

 落としたのは北側階段だろう。鞄を持って階段を目指す。

 放課後の北階段付近は、昼休みより一層薄暗く、鬱々とした空気が籠っているようだった。

 四階までゆっくり階段を上る。なんとなく足が重たい気がして、環は「あれ?」と首を傾げた。違和感がある、気がする。

(なんか変な気がする、けど、何が変なのかわからない)

 初めての感覚だった。

 いつもであれば、目についた情報から物事を観察できるのに。その、情報、が見当たらない。

(壁も、手すりも……ん?)

 視覚情報を求めて注意深く周囲を見回した。手すりを見た時に少しだけ違和感が強くなる。

(……手すりの金具のとこ、埃溜まってる)

 あんなに埃が溜まっていただろうかと首を傾げた。北階段は人があまり寄り付かないとはいえ、掃除されていないわけではない。

(気のせいか……)

 おかしい、と、思ったのに、何故だか気のせいな気もして首を傾げた。違和感を飲み込む。四階まであと少し、

「環ちゃん!」

 瞬間、ぽん、と肩を叩かれて体が跳ねた。驚いて振り返ると、令華が笑顔で立っている。

 何か、今目が覚めたような感覚に驚いて、環は周囲を見回した。余程ぼんやりしていたのか、自分が何をしていたのかわからなくなる。令華が白い紙を目の前に差し出した。

「環ちゃん、今日のお昼にプリント忘れてったよね? 渡そうと思って探してたんだぁ」

 令華はニコニコと笑うと、環の片手を手に取りプリントを掴ませた。そのまま、ぎゅ、と、両手で手を握り込まれる。

「環ちゃん」

 それから、ゆっくりと。口を開く。環は先ほど見た手すりの方に顔を向けた。意味はない、しいて言うなら、令華の目をまっすぐ見つめられなかったからだ。

(手すり……埃、溜まってない)

 おかしいな、と、思ったのはそれだけだった。もう一度、引き戻すように「環ちゃん」と呼ばれる。

「なに?」

「だめだよ、ここに来ちゃ」

 それから、不可解なことを言った。

「本当に“何も”見えてないなら、もうここに来ちゃいけないよ」

 まっすぐと。

 環は令華の瞳を覗き込んだ。見なければいけない気がして。そして、その瞳の中に――自分以外の、黒い異形の姿を垣間見る。

(えっ)

 はっとして振り返る。もう一度、周囲を見回しても、誰も、何もいない。環は力なく頷いた。

「……分かった」

 どうしてか、と、理由を聞きたい気もしたが。

「うん、そうして。環ちゃん、ちょっと“危なっかしい”から」

 ありがとう、と、何に対してかわからない礼を言った。小さな声は、令華にきちんと届いたようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたの瞳に異形が映る 佐古間 @sakomakoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ