トラックの前で

ガブロサンド

トラックの前で


抗えない出来事というものは、いくつか存在する。

例えば、『異世界転移用の暴走トラック』を避けることだとか。


高校からの下校中。今日はやけに人が多いな〜なんてのんきに考えながら、私は横断歩道を渡っていた。


辺りに響き渡るクラクションの音。右を見れば、トラックがものすごいスピードで横断歩道に……つまり私に向かって突っ込もうとしていた。


瞬間、第六感とか、何かそういうもので、私は気付いた。

『このトラック、異世界転移するやつだ』って。


次の瞬間、私は異世界に―――いなかった。

異世界転移目前にして、私の頭が高速回転し始めたのだ。


生命の危機に瀕すると、一秒が何千秒にも感じられるらしい。多分それだろう、トラックが横断歩道手前で急に止まったように見えるし、飛ぶ鳥が羽を広げたまま宙に制止してるように見える。


そんな世界で、走馬灯が蘇ってくる。


「ねえ、いちごとチョコと抹茶だったらどれが好き?」


今朝の母の言葉だ。

私は確か、「どれも嫌い!」って反抗期真っ只中の回答をした。あれが母との最期の会話になるらしい。


酷い失言だった。その後行ってきますも言わなかったのだ。

私の葬式で、母はそのことを言うだろうか? 母の誕生日に好物のキャラメルをあげたことを話して、健気な娘だったことにしてくれないだろうか。

そもそも転移したら葬式するんだろうか。行方不明者扱いかな?


また思考は回る。


そういえば、昨日デートに誘われたんだった。白鳥公園でイベントやってるから一緒に行かないかって、隣のクラスの男子から声をかけられた。

いや行こうかなって思ったんだけど、白鳥公園は母の職場の近くだから恥ずかしくて……。

うまく返せなくて逃げ出しっちゃったんだ。せめてちゃんと断りの返事をするべきだった。


それから5歳ぐらいまで遡る―――なんてことはなく、私は現実の周囲を見まわした。


向こうの歩道で、裕福そうな奥様が悲鳴を上げようとしている。口が半開きで止まっているが。

シャネルのコートにビトンのバッグ……いいなぁ、一度くらい身につけて自慢したかった……大きなダイヤの指輪もしてるし……ってちょっと待った!

あの手に持ってる紙袋、あのロゴは鮫島ロールケーキでは?!


鮫島ロールケーキ店。一番人気の商品は、店名を冠した鮫島ロールだ。超大人気シェフが監修する、1本2000円の正統派ロールケーキである。

紙袋に描かれたロゴには、緑・赤・茶・橙の4色の線があり、今月販売するフレーバーを表している。月ごとにロールケーキの味が変わって、ロゴの色も変わるのだ。超有名デザイナーがケーキと引き換えに無償で描いているらしい。


ああ、一本まるごと食べてみたかったなぁ。


でも晩年金欠高校生の私にはどうせ買えないのだ。鮫島ロールのことを考えるのはやめよう。みじめでつらくなるだけだ。

もう異世界転生していい気がしてきた。無駄なあがきなどやめて、痛みを最小限にできる当たり方でも考えよう。


ほらあのトラック運転手さんにも、転移数ノルマがあるかもしれない。私が転移することで運転手さんにボーナスが出て、家族にロールケーキを買ってあげられるかもしれない。ならひかれるのも悪くない。


異世界でロールケーキを作るにはどうしたらいいんだろう?

どうせ、転移先は発展途上の中世モチーフ世界なんだろうな。食べ物関連チートがもらえることを祈るしかない。

ロールケーキを発明した有名人になって、大きな都市に店を出して、店舗を増やして……でもロールケーキを作ったことないけど大丈夫だろうか。


ん?……まてよ、鮫島ロールケーキ店はこの辺りには出店してないはずだ。あの奥様、いったいどこで買ったんだろう?

支店が開店初日から行列ができるような店だ。新しく開店したなら、多少の噂は耳に入ってくるはずである。


なら、どこで?


ふと、頭の中にチラシが浮かんでくる。

隣のクラスの男子が持っていたチラシだ。そうだ、「これに行こう」って誘われてたんだ。

生命の危機に瀕した私の頭が、恐ろしい記憶力を発揮した。チラシの隅から隅まで思い出せる。


一番上に吹き出しで、『大人気シェフが直接販売』と。

それから確かに、『鮫島ロール期間限定出店!!』と書かれていた。


まさか。

紙袋のロゴの緑・赤・茶・橙の4色。これらのうち三色が、抹茶・苺・チョコだとしたら?


瞬間、生命の危機に瀕した私の鼻が、犬並みの嗅覚を発揮して粒子を割り出した。この匂い、あの奥様が買った紙袋の中身はキャラメル味ロールケーキだ!

橙が示すのはキャラメル味!


―――『ねえ、いちごとチョコと抹茶だったらどれが好き?』


鮫島ロールを母は買うつもりだったんだ!

母め!私が反抗するとわかってて、自分の好きなキャラメルを選択肢に入れなかったのだ!後で味チョイスに文句言われないために!


……それは今は置いておこう。

大事なのは、職場の近所の白鳥公園で売ってる鮫島ロールキャラメル味を、間違いなく母が買って帰ってくるということだ。


―――まだだ!まだ死ねない!

冷蔵庫で私に食べられるのを待っているロールケーキを食べなければ、私は死にきれない!


私は短く息を吸った。

世界が一気に動き出す。


車から逃げることはできない。そんなに足も速くないし。だから、逃げなくていい。

電光石火で、トラック方向を頭にして私は地面に横たわった。トラックのタイヤの間をすり抜けようと考えたのだ。


名付けて、『金属探知機を通るロールケーキ』作戦!


ぎゅっと目をつぶる。きっと数秒もない。

でも心臓が恐ろしいほど早くて、苦しい。


―――猛スピードでトラックが私の上を通り過ぎて行った。

私は生き延びた。


さすがに後ろの車は止まってくれたらしい。軽の運転手が慌てて降りてきた。トラックはあっという間にいなくなっていた。

救急車を呼ぼうとする野次馬をかわして、私はロールケーキを食べるべく帰宅することにした。


もう異世界に行けるチャンスはないだろう、と私の第六感が告げている。

だが、私にはロールケーキがあるのだ。そんなの構わない。


そうだ、ちょっと遠回りして、お腹を減らして帰ろう。空腹は一番のスパイスともいうから。


■■


たっぷり30分かけて帰宅した私は、さっそく冷蔵庫に向かった。

だが、そこにロールケーキはなかった。


「ない……」


母は珍しく仕事から帰ってきてないらしい。まあまあ、紅茶の準備でもして待とう。


「ただいま〜」


玄関から母の声がした。私は慌ててそちらに向かった。

母は左手に買い物袋を下げていた。ケーキの箱らしきものは持っていない。私は袋を受け取りながら尋ねた。


「ねえ、白鳥公園でロールケーキ売ってたよね?寄らなかったの?」

「あら、知ってたんだ。寄ったんだけどねぇ、シェフがトラックにひかれて消えたって騒ぎになってて、商売どころじゃないみたいよ…………」

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