ミモザの花束を贈る

秋色

ミモザの花束を贈る

 仕事帰り、横断歩道が青になるのを身を震わせて待つ。季節外れの冷たい風が吹き抜ける。思わずマフラーをきつく首に巻いた。いつもは見栄っ張りで寒さなんか平気な振りして立っているのに。


 何かがいつもと違う。


 春なのにぽっかり心に穴が空いたような感じだ。この一ヶ月間、ずっとそうだ。

 理由に心当たりはない。いつもなら理屈で説明出来ない事は絶対に信じない性格なのに。クールビズ男子と職場で呼ばれている。



 今日、同僚達とした雑談を思い出していた。第六感について。人間の五感を超えた所にある超自然的な感覚。

 何となく予感がするという時には、往々にして視覚、聴覚、嗅覚のどこかで微かに感じとっているのだと聞いた事がある。

 つまり機械の部品の変形によって微かな摩擦音が聞こえたり、微少なガスの臭いが空気に混じっている事で「いつもと違う」事を無意識に感じ取っているのだと。だからそれらを第六感とは言えない。その説は科学的であり、納得できた。

 でも同僚の桜井は、視覚や聴覚の及ばないところでも予感が当たる事はあるのだと言う。桜井の叔母さんがそうで、家で重要な用件の電話がかかる時、その前に予感があると言う。

「視覚も聴覚も嗅覚も触覚も、もちろん味覚だって届かない筈だろ? なのに重要な内容の電話がある前には、予感がするんだって。少しはおまえも信じてみろよ。信じた方が楽な時もあるって。おまえみたいにクールビズ男子だったら疲れるだろ?」



 そう言えば町田課長から、今日、言われた。「働き過ぎなんじゃないか? 一度休暇をとって実家に帰ってみたらどうだ」と。

 そんなに疲れて見えるのだろうか? 実家は今暮らしている都会から新幹線を使っても半日かかる。そこは山に囲まれた場所で、景色は良いものの、退屈な田舎だ。大学進学を機に都会に出てきてから、年に一、二度家に帰っても三日以上居た事はない。故郷の学生時代の友人達と話してみても今さら話は噛み合わないし。

 実家から野菜や果物はよく届きはする。今日も家に帰ると、不在中の荷物についてのメッセージが入っていた。早速届けてもらうと、もらっても持て余しそうな量の柑橘類。またかと思いながらも母にお礼の電話を入れた。


「いつもありがとう。でも余ってしまうからそんなたくさん送らなくていいよ」

「でも職場の人もいるでしょう? 甘夏は旬なのよ」

「持っていくの、大変なんだ。電車と地下鉄の通勤だから」

「ああ、そうなの」とボンヤリした感じ。

「そう言えば……」と終わろうとしていた電話の受話器の向こうから再び声がかかる。

「あの子、明里ちゃん、もうすぐお嫁にいくのよ」

「え?」

「ほら、あんたのた振った子よ。幼なじみの仲良しって感じだったし、もうショックでもないでしょ? 自分から振っておいてショックもあるわけ無いでしょうけど」


 でもこのニュースは自分でも意外なくらいショックだった。幼稚園から中学まで一緒だった幼なじみの女の子。高校は違ったけど、彼女の積極的なアプローチで付き合う事になったのだった。明るくて楽しくて、でも恋なんて感じじゃなかった。一緒にお祭りに行ったり、何駅か先のショッピングモールにまで行ったりしたけど。

 大学に進学して初めての夏休み、遠距離を理由に別れを切り出した。同じ大学に好きな子も出来ていたし。明里は目に涙をうかべていたっけ。


「あの子ね、最近までいつもあんたの事を話してたのよ。ほら、ウチの家の事、農家同士でたまに手伝いに来てくれて、ついでに家の中の事も手伝ってくれてるでしょ? それで朝の野菜の収穫の後とか、『おばちゃん、今頃、貴史君、会社に向かって歩いてる頃よね。ビル木枯らしとか言うけど寒くないかなぁ。昔っから見栄っ張りでよく薄着してたのよね』なんて。

 夜、キルト教室やってるでしょ? そこにも顔を出してて、『今頃は残業してるのかな。毎日、帰るの遅いって言ってたじゃない? ちゃんと夜食とってるかな? 近くにいたら作ってあげるのに』なんてね。だから言ったのよ。

『あんた、毎日二十四時間、貴史の事、考えてるんじゃない? 明里ちゃん、フラレたんだよ。別ないい人探さなきゃ』って。そしたら『自然と考えてしまうんだから仕方ないよぉ』って。さすがに最近は結婚が決まって、結婚相手ののろけ話ばかりになっちゃったけどね」


 僕には返す言葉がなかった。

「何? 寂しいの? まさかね。ここを離れて十年にもなるものね」

「あいつの結婚って……急に決まったの? 正月休みの時には、そんな話、してなかったじゃない」

「そうなのよ。二月の初めに大雪が降ったでしょ? 明里ちゃん、運転しててどこかに車ぶつけて困ってたらしいの。その時に手伝ってくれた親切な男の人がいたんだって。仕事あるのにずっと側にいてくれて。相手の一目惚れで、三回目に会った時にもうプロポーズされたらしいよ」



 大雪の日……。憶えてる。ここでも大雪で電車が停まったから、寒いホームで何時間も過ごしてた。一人で話し相手もなく。

 待てよ。急に心にぽっかり穴が空いたように寂しく感じられ始めたのって、そう言えばあの大雪の日からじゃなかったっけ?

 それまでは一人でいても、寒い場所で待ち続けても不思議と辛くなかったのに。あいつの気持ちと一緒だったからかな。都会に出て十年間、不思議といつもほんのり温かさを感じられていたのは。


「ねえ。貴史、聞いてるの? あんた大丈夫?」


 いや、大丈夫じゃなかった。いきなりじゃ困る。 いつも自分に向けられていると安心してた笑顔が、今では誰か他のやつのものなんて。

 でもそれは母さんの言うように、筋違いの憤りで、自分には口を挟む権利もない。そう分かってた。せめて……。


「母さん、ウチの庭のミモザ、咲いてる?」

「ああ、あんたが子どもの頃から好きだった花よね。自分で手入れしたりして」

「いくつか枝をリボンで留めて、明里に贈ってくれないかな。結婚決まったお祝いにさ。また、正式なお祝いは後で別にするから」

「いいわよ。あんたからって言ったら、明里ちゃん、感激するよ、きっと」


 心の何処かにモヤモヤした、いやドロドロしたドス黒いものだって、本当は無くはない。でもせめて、見栄っ張りな人間の最後の見えを張らせてほしかった。


 第六感というものがあるのなら、離れていたってこの思いは、明里に伝わるのだろう。それなら燻ぶった気持ちなんかじゃない方がいい。

 嫌な気持ちを何処かに捨て去ってしまって、無理してでも笑ってないと。そして心から幸せを祈ろう。きっとそれが遠くにいる人に伝わると信じて。遠くにいる人の第六感にミモザの花束のような眩しさだけ感知されればいいから。


 一人の部屋の中、背中を伸ばしてみた。


〈Fin〉

 

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