第4話 気持ちが変わると見える世界が変わるって、マ?

 結局昼食は山岸さんのごちそうになった。うちの課長はめったに奢ってくれないのでとても気持ちがいい。その帰り道。


「浅見さんは、どう思いますか? ご主人さまが七七七種類のスイーツを食べ終えたとき。そこに幸せはあると思いますか?」


 年甲斐もなくスキップするあたしに、山岸さんが問いかけた。


「なれると思います。あたしも実際、嫌なこととかもあるんですけど、そんなとき、たるねこが紹介してくれたスイーツで元気だしてます。あんな献身的なことされたら、ぜったい、幸せです。奥さんは、間違いなく幸せだったと思います」


 そこまで言って、はっとしてしまう。会ったばかりの人に、何を知ったような。幸せになるのはご主人様であって、山岸さんの奥さんではない。いつの間にか、山岸さんとたるねことの姿を重ねていた結果の、大失態であった。


 しかし山岸は、気持ちのいい大笑いをした。


「そうですね、そうに違いありません。そういう期待がなければ、物語を読みづつけるのも、辛いですからね」

「す、すみません」


 お前は失言が多いから会議では黙ってろ、と課長によく言われるが、こういうところだろうと思う。山岸さんのように全員が笑って許してくれればいいのに、と思うのはさすがに甘えすぎだろうか。


「ああ、それと浅見さん」


 エレベーターを降りて、人事部の前に到着したとき、山岸さんが思い出したように言った。


「これは念押しですが、一度始めたからと言って、辞めてはいけない、なんてことはありませんよ。浅見さんもお若いですし、その時が来たら、忘れて頂いて構いません。仕事と趣味を兼ねる良い材料だ、くらいにお考え頂けると」

「いえ、せっかくですから、エンディングを目指してみます。まぁその頃には、あたしはおつぼねになっていると思いますけど」


 まる銀の発行は最低隔週、話題が多ければそれより増えることもある。とは言え、毎号載せていたとしても、道のりは長い。


 でもだからこそ、やりがいもある。


「浅見さんほどお元気な方がお局なら、職場も健全でしょうね。でもいいんですか、今どき稀有かも知れませんが、仕事を辞めていい、という男もいるかも知れませんよ。それはチャンスだ、と思うのが女性、というのは古い偏見ですか」

「まぁー、そういう女性もいるとは思います。例えば、佐々木さんとか」


 ホールから人事部のフロアを覗くと、相変わらず彼女は馴れ馴れしい感じで男性社員にボディタッチなどしている。それがここからでも目立つというのが凄いが、しかし可愛がってもらっているのもよく分かる。


「はは、たしかに彼女はそういう感じだ」

「でもあたしは違います」


 彼女のような生き方に憧れたことがないとは言わない。女なら、一度は夢見るものだ。


 でも今は、そうは思わない。

 なぜならあたしは知ってしまったからだ。


「だって、趣味を理解してくれない相手とは、一緒にいられませんから」


 世界の見え方は変わる。自分の世界を変えるのは、自分自身なのだ。


「あなたにお願いしてよかった」


 それを教えてくれたのは、他ならない。

 去っていく大先輩のその背中に、深々と頭を下げた。





「ただいま戻りましたー」


 新聞部の扉を雑に開ける。コーヒーとデカフェのきつい香りで、いつもの光景に戻ってきたのだとちょっとがっかりする。


「おお、遅かったな」


 しかしあたしはさっきまでのあたしではない。


「ご飯ごちそうになってました。超うまかったです」


 こうなれば、無断で予定外の昼食に出たことなど、なんのそのである。


「ああ!? おい、他部署にごちそうになるとか、まじ勘弁してくれよ」

「なんでですか? 向こうがいいって言ってるのに」

「そういう問題じゃねぇんだわ。ったく、これだからお前は。あとでお礼は言っとく」


 こういうとき、男の世界ではいろいろあるらしい。貸しだとか借りだとか、そういうところに妙に拘るのが不思議でならない。その神経を少しは気持ちとか機嫌とか態度とかに向けてもらいたいところだ。


「課長ってそういうところ、面倒ですよね」

「わかるわー」


 思わず出た一言に主任が賛同する。共感大事。


「……お前ら、覚えてるからな、俺は。んで? どうだったんだ?」

「あー、それなんですけどね。あたしが書くことになりました」

「はぁ?」


 課長の面食らった表情に、なんだか妙な快感を覚える。体も軽い。キーボードをタッチする手も、なんだかいつもの数倍スムーズに感じるから不思議だ。颯爽とパスワードを入力して、まっさらなワードを立ち上げる。この真っ白なステージが、あたしの舞台となるのだ。


「なぁ浅見、本気で書くつもりか? 仕事量、今より増えるんだぞ」


 積み上げられた本の隙間から、怪訝な表情で課長が覗き込んでいる。これでも一応心配してくれているらしい。


「いいんですよ、自分が決めたことなんで。それに」


 だからあたしは、最高の笑顔と、サムズアップで答えてやった。


「だって、ハッピーエンド、見たくないですか?」


 あたしだって知らない、だけどあたししか知らない未来。

 そんなの、見たいに決まってる。


「わかった。言っとくけど期限は守れよ。他企画、準備しねぇからな」

「はーい」


 そんなノリノリで仕事を始めるあたしに、主任がそそっと寄ってきて耳打ちする。


「なんかいいことあったの」

「はい。あとでおすそ分けしますね」

「そう? よかったわね?」


 ひたすら上機嫌なあたしに首をかしげながら、主任が去っていく。

 そしてあたしはメールを立ち上げ、送信した。



『余談:課長、知ってました? 女性には、甘いものの他にも、趣味を理解してくれる相手が必要なんですよ。ちなみに主任は最近手作りデカフェにハマってるそうで、紅茶展に行きたいって言ってました』


 程なくして、返信があった。


『Re:余談  覚えておく』


 なんだ、課長も可愛らしい部分があるんじゃないか。



 伸びをする。深呼吸をする。窓の向こうに、いつもと同じ、まったく違う世界がある。


 さて、あたしはどう物語を紡ごうか。


 まずはお世話になっている主任が喜んでくれそうなスイーツをリサーチするところから始めよう。





――終わり

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彼方なるハッピーエンド ゆあん @ewan

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