テスト用紙表右下「しにたくない」

葎屋敷

数日後、山の中は立ち入り禁止になった。


 僕はモテない。高校生になったというのに、バレンタインの本命チョコというものなど一度も貰ったことがなかった。貰えるチョコレートといえば、母からの情けチョコのみ。

 だから、明日のバレンタインというイベントに対し、僕は期待半分、諦観半分といった心持だった。いや、実際のところ、期待の方が大きかったのかもしれない。そんな僕が放課後に日直の仕事として日誌を書いている時、クラスメイトの山中がこう尋ねてきた。


「朝倉、明日、私の手作りチョコいらない?」


 前振りのない質問に、息が止まる。


「なんで、そんなこと訊くの?」


 日誌から少しだけ視線を上げる。そして、僕の机の前に立つ彼女の顔を伺い見た。彼女は僕を見ずに、教室の中を見渡していた。夕日が射すこの空間には、僕と山中しかいない。そんなことはわかっているだろうに、彼女は僕の席の机に片手を突いて、顔を僕の右の耳元へ持ってくる。そして、彼女が息を吸う音がそっと鼓膜をくすぐった。


「なんでだと思う?」


 吐息がかかるほど近い距離で囁かれた言葉は、なんの答えにもなっていなかった。なのに、僕はその返しを満更でもなく、なんなら顔が熱くなるのを鏡なしで自覚できるくらいには、青春を味わっていた。


「……山中ってさ、僕のこと好きなの?」


 山中は目尻を下げ、穏やかに僕に微笑みかける。そして、


「あのさ」


 彼女からが発する音、一句一音に敏感になって、僕は膝に手を置いて、彼女の方を見た。彼女が口を開く。その挙動にすら釘付けになった。そして、


「朝倉は今日死ぬと思う」

「え」


 僕はなぜか突然すぎる余命宣告を受けたのである。



 *



 さて、バレンタイン当日になった。僕は昨日、クラスメイトの山中から余命一日未満を宣告されたわけだが、今も普通に生きている。持病等の元々死ぬような要素がないので、当然と言えば当然だった。

 甘い雰囲気の中で言われたあの言葉がなんだったのか。昨日は僕が呆然としている間に、山中は「気をつけて帰ってね」と普通に優しい言葉を置いて、一人だけ先に帰った。そのため、その真意を訊けていない。

 僕は翌朝になった今でも悶々とした気持ちを抱えていた。夕焼けに頬を染める彼女の姿を思い出しながら登校していると、前方にポニーテールを揺らす一人の女子生徒を見つけた。

 山中だ。


「山中、おはよ!」

「おはよう」


 その背に向かって名を呼べば、山中は至っていつも通り挨拶を返してくれた。彼女は立ち止まって、僕が追いつくのを待っている。僕が彼女の隣まで辿り着くと、どちらからとなく並んで歩き出した。

 十数秒の沈黙。最初にアクションを起こしたのは僕だった。僕は彼女に向かい、掌を無言で向けた。それを見た山中は首を傾げる。


「どうしたの?」

「……昨日の会話からして、ちょっと期待してた」

「……? なにが?」

「だから、その。バレンタインのチョコ」


 もしこれで彼女からのチョコレートがないのだとしたら、かなり性質の悪い冗談である。僕はここでチョコレートがもらえないなら、不登校になることも辞さない覚悟だった。

 だというのに、どうやら山中はバレンタインのことをすっかり忘れていたらしい。彼女は僕の携帯で日付を確認後、顔をさっと青くした。そして、僕にこの場で待つように告げ、すぐ近くのコンビニへダッシュ。一分もしない間に帰って来た。


「これ、これ!」


 短い距離で息をあげた山中から手渡されたのは、二十円のチョコレートだった。


「日付勘違いしてただけなの!  手作り、渡したいから、渡すから! 今日はこれでお願い!」

「え、マジで? やったぁ。待ってる」


 期待していたものとは違ったが、手作りチョコの確約はできた。それだけで奇跡なので、僕は普通に喜んだ。


「あ、ところで、私、朝倉こと好きなんだけど」

「え」

「でも、朝倉、今日死ぬ気がするんだよね。早くお家帰ったほうが良いよ」


 しかし、喜んだのも束の間。その後すぐに、脈絡が全然足りていない告白と、謎の死刑宣告第二弾が僕を襲う。その日、僕の思考回路はろくに働かなかった。告白の返事もできないくらいに。



 *



 さて、バレンタインの後の数日間。チョコも貰えず、僕も僕で山中への返事ができないままの状態で、謎の余命一日宣告を計三回くらった。彼女曰く、「私の鋭すぎる第六感が、『今日が朝倉に会える最後の日だ』と言っている」のだとか。でも、僕は次の日も山中に会えている。つまり、山中の第六感とやらは外れているのだ。だというのに、なぜか自分の第六感に対して自信を持ち続けていた。わけわからん。

 しかし、そんな意味のわからない状態は長くは続かなかった。次の週になると、彼女からの余命宣告はなくなった。最初は安堵したのだが、今度はなんのつもりなのか、山中は僕にあまり話しかけないようになった。というより、彼女はずっと上の空であることが増えた。平均点を保つ彼女には珍しく、零点の小テストを返されている始末だった。

 さらに、彼女は保健室に行くことも増えた。多い時は一日中保健室で寝ているらしい。

 彼女の様子が明らかにおかしいと気づいてから数日経った、ある日のこと。その日はついに、山中は登校すらしなかった。無断欠席で、家族の人とも連絡がつかないのだとか。

 僕はただ、判然としない不安に苛まれていた。



 *



 その日の学校が終わり、帰宅すると、母が一通の手紙を渡してきた。ポストに入っていたらしい。他の手紙の下にあったから、朝投函されたものだろうと母は言う。

 その手紙は切手が貼られておらず、また、封すらされていなかった。しかも、手紙はテストの裏紙、それも零点のテストの裏に綴られたものだった。雑だ。

 僕は自室へと戻り、その手紙に書かれた文字を追った。



 *



『拝啓、朝倉へ。


 突然のお手紙、ご容赦ください。急いでいますのでその辺にあった紙の裏に書きますが、それも許してください。それが男の度量というものだと思います。

 さて、さっそく本題を話しますと、朝倉がこれを読んでいる頃には、私はもう死んでいると思います。私の第六感がそう言っています。

 君は信じないかもしれませんが、私は第六感がとても鋭いです。子供の頃から、「もうすぐ怒られるだろうな」とか、「今日はあんまり早く家に帰らない方がいいな」とか、そういうことがよくわかるのです。そんな私はある日、こんな事を予感しました。


 朝倉とお話しできるのは、今日で最後だ、と。


 そこで、数日前の私は朝倉に、「ユー、今日死ぬぜ」と言ったそうですね。二度と朝倉に会えないのなら、それは朝倉が死ぬのだろうと考えたのでしょう。我ながら安直な考えです。

 ちなみに、なぜ他人事のように書いているかと言いますと、私はこの発言を覚えていないからです。多分ですが、私は二月十三日に強く頭を打ったのだと思います。その三日後に、私は自分の記憶が数日分飛んでいることに気がつきました。そう日記に書いてありました。

 どうにもビール瓶かなにかを頭にぶつけたらしく、私の記憶は一日しかもってくれなくなってしまったようです。

 つまりですね、私は記憶を次の日に持ち越せなくなったことで、毎日が最後の日同となりました。今日の私は昨日の私とは繋がっていないのです。そのことを第六感で分かっていながらも、具体的に理解出来ていなかったもので、君が死ぬなんて勘違いをしてしまったのでしょう。随分と失礼な勘違いをしてしまいましたが、ただのおっちょこちょいだと思っていただければいいと思います。

 さて、こんな記憶障害を負ってしまった私ですが、相変わらず第六感だけは人並み以上にあるものでして、自分が死に近づいていることも感じていました。起きてからずっと、頭がぼーっとするのです。君のことを思い出す時間が少なくなって、なにも考えられなくなっていくのです。

 やっぱり、もう時間がないのだと思います。そこで、この手紙を出すことにしました。この手紙は先日の勘違い発言の謝罪をすると同時に、こんなお願いをするために書きます。


 朝倉くん。私にどうか、ホワイトデーのお返しをください』



 *



「そんなの、第六感でも何でもないだろ」


 手紙を一通り読み終えて、僕は再度テスト用紙の表を見る。そして、その端に書かれた文字を見つけた。

 すると、僕は胃をひっくり返されたかのような気持ち悪さを覚え、自室から飛び出した。庭にある倉庫と走り、中にあったシャベルを取り出す。そして、それを担ぎ、自転車で走り出した。

 意気地なしで男気もない僕は、親友に電話をかける。俺には一人で確かめる勇気なんてなかった。


「松本、悪い。ジャベル持ってきて、小野咲山の前に来てくれないか。俺はちょっと寄り道してから、って、うわっ――」


 目玉に水が張ったせいで視界が悪くなり、自転車の操作を誤って盛大に転んでしまう。背中を強かに打ち付ける以外に損傷はないはずなのに、携帯越しに聞こえる友人の声に応えることすらできなかった。僕は口の中に入った泥を吐き出しながら、ついでに目からも吐き出すように液体を流していた。



 *



『――あと、これも第六感ですが、私の死は露呈していないでしょう。というのも、私の父には、私が死因に心当たりがたくさんあるのです。なので、彼は私の死体を小野咲山に埋めるでしょう。あの山はご近所なので、朝倉も知っているかと思います。あの山頂には、機嫌の悪い父によく連れていかれました。なので、父も私も人気がないとよく知っているのです。

 では、ここで先程の話に戻しますと、私、ホワイトデーのお返しが欲しいのです。といってもお菓子はいらないので、花をください。綺麗な菊を、一輪だけでもいいです。小野咲山の麓に通りがかった際にでも添えていただければ、それだけで悪くない人生だったと思えるんじゃないかなって気がします。

 あ、そうそう。最期にひとつ。

 私の第六感曰く、私たち両想いだったと思うのですが、実際どうでしたか? 花を添えるついでに、教えていただければ幸いです。


 敬具


 山中紫音』

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テスト用紙表右下「しにたくない」 葎屋敷 @Muguraya

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