全部、攫っていった

尾岡れき@猫部

全部、攫っていった


 病欠で休んでいた、芦川莉乃あしかわりのが再び、学校に戻ってきたことに、僕はほっと胸を撫で下ろした。きっとあの子は気付いていないし、憶えていない。それで良いと思う。


恩田おんだ君だよね?」


 声をかけられてドギマギする。喉元から言葉がでなくて、つまってしまう。いっつもこうなのだ。肝心な時に言葉が出ないし、大事な時に行動ができない。


 だから。

 心のなかで、だけ。


 退院おめでとう、と言う。


 手術、本当に大変だったね、って。

 どうせ、そんなことは伝わらなのは分かっているけれど。


「ちょっと、喋りかけるだけムダだって」


 そして、こういう言葉で突き刺される。


「だって、コイツ、陰キャだよ。何考えているか分からないし。無表情じゃん? 本当にキモいって言うか、さぁ――」

「ありがとうね」


 でも彼女はそう言ったのだ。僕の目を見て。


「あ、いや。梨乃ってしばらく入院をしていたから、分からないことが多いのは当然って言うか、さ。い、いつでも頼ってよ――」


 芦川が首を傾げた。それから、合点がいったように苦笑を漏らす。

 その一連の流れ、僕はまるでついていけてなかった。


「あ、そういうことじゃなくてね」


 それから芦川は、僕の方へ、一歩一歩、距離を詰めていく。


「「「「へ?」」」」


 僕も含めて、誰もが疑問符を浮かべたはずだ。


「恩田君、ありがとう」

「へ?」

「退院おめでとうって、言ってくれたでしょう? だからありがとう」


 僕は口をパクパクさせる。ただただ、コクコクと頷くしかなかった。









 昼休みは一人で過ごす。それが定番だった。バカにされなくて済むし、変なタイミングで声をあげなくて済む。視えてしまっても、一人なら特段問題ない。時々、悪い霊にからまれることがあるが、基本はコミュ障。無視をしていたら諦めてくれる。

 色々と面倒なことはあるけれど、とりあえずやり過ごすことができれば何とかなる。現実も、悪霊も。


 見えるというのとは、少し違う気がする。


 あえて言うなら、第6の感覚だろうか。居るのだ。すぐ傍に。察知した時は、ぞわりとした感覚に包み込まれる。接続リンクを意識すれば、シンクロしてしまう。それこそ、彼らの悲喜こもごもを体で受け止めてしまう。話を聞いて納得するヤツもれば、霊になった現状に不満タラタラなヤツも。


 でも結局、何とかしないと「帰って」くれないので、コミュ障の僕が話を聞くしかないのだが。


 芦川莉乃との出会いも、そんなシックスセンスが縁だった。


 手術中、彼女は幽体離脱をしてしまったのだ。学校には通っていたものの、友達と遊ぶことができなかった芦川は、何のために手術をするのかも分からないと言う。


 珍しく――話を聞こうと思ってしっまったのは、芦川があまりにも可憐で。魂が綺麗だったから。


 シックスセンスで、それぞれの人なり、魂の色に触れてしまう。自分が清い魂を持ち合わせているなんて思わない。カースト上位の同級生が羨ましいし、彼女持ちのクラスメイトには妬ましい感情を持ってしまう。


 でも、魂の質が見えてしまうのは――思いのほか、苦痛だった。


 そんななか、久々に見たのだ。

 綺麗で触れたいと思えるくらい、美しい魂を。

 気まぐれだったんだと思う。


Shall We Danceシャルウィーダンス?」


 踊れもしないクセに何を言ってるんだ、と思う。

 月夜。星屑の海のなか。


 病院近くの誰もいない公園で。

 観客は野良猫たち。僕と仲良くしてくれる気の良い連中だけ。

 芦川の本体は絶賛、手術の最中なのに。


 ――起きるの怖い。

 ――戻るのが怖い。


 そう芦川が言うから。


 ――同じ学校だって知ってた?


 そう僕が言う。


 ――もしもさ。

 ――え?

 ――もしも、芦川が、俺のことを憶えていたら。

 ――うん。

 ――その時は、友達になって。


 星が降りそうな夜に、そう約束を交わして。夜明け前、手術が終了した。

 魂は肉体に戻る。


 ――約束だよね?


 絡ませ小指と、小指はするりと。片方だけ、空に溶けて。

 もう慣れっこになったはずなのに。


 ――友達じゃいやだよ。


 魂が肉体に戻ろうという刹那、芦川が僕に囁いた。


 ――友達なんかじゃイヤ。もう恋しちゃったんだもん。


 でも、魂は肉体に帰る。

 暖かい気持ちだけ、自分の胸に収めながら。


 だって、幽体離脱した人は記憶を残さない。

 まるで何も最初からなかったかのように、風が吹き抜けて。

 ただ、小指にだけ。

 暖かい溫度が。その残滓が残っていた。









 芦川はきっと僕のことを憶えていない。もしかしたら、夢を見ているような感覚で。記憶の一部を持ち合わせている人はいるかもしれないけれど。あくまで断片。全てを憶えている人はいない。魂はいつか帰る。それが自然の法則なのだ。


「憶えているのは、そんなに変なことなの?」

「い?」


 突然、声をかけられてビックリする。気付けば、芦川が僕の隣に座っている。


「あ、あ、あ――」

「いきなり愛してるは、流石の私も照れちゃうかな?」

「ちが、ちが、芦川――」

「ちゃんと莉乃って、呼んでよ? 悪い口はこの口だね」

「ん――」


 いきなり芦川が唇を重ねてきたのだ。ちょ、ちょ、何をするの芦川?


「また芦川って言った。拓真君を分からせるのに、もっと時間をかける必要がありそうだね」


 そう言って、また唇を交わす。

 芦川、ちょっと待って。


「また言った」


 もう一回唇を。莉乃! 莉乃! 心の中で叫ぶと、ようやく唇を話す。ほんのりと頬を朱く染めながら。


「もっと拓真君には大胆なことをされたのに。ただ物理的に唇を唇を重ねただけなのに、これはこれでイイね」


 クスクス莉乃は笑って、とんでもないことを言う。唖然として、僕は芦川――莉乃を見る。


「言い直しても。あ、この場合は思いなおしても、か。でもダメだよ」


 莉乃はまた嬉しそうに笑んで、啄む。もう思考がついていかない。何がどうなっているのかも分からない。


「だって、拓真君が触れたんだからね。私の魂に――」









 私には友達がいない。

 生きる理由なんかない。

 手術をしても意味がない。

 手術が失敗したら死ぬし。

 生きていても、やっぱりいつか死ぬし。

 それなら、やっぱり生きていても同じじゃないかしら?

 お葬式ぐらいは、あぁ、芦川莉乃って子がいたねって、誰か泣いてくれると思う?

 そう言ったら、拓真君が私に言ったんだ。


 目が覚めたらさ。

 手術が終わったらさ。拓真君は、たしかにそう言ったんだ。


 私の魂に触れながら。

 優しく撫でながら。渦巻く感情を取り払いながら。甘い、アマイ、そんな果実を口いっぱいに満たされたみたいに。魂が溶けてしまいそうなくらい。あなたの指で色々な感覚を呼び起こされながら。私の魂に口付けをされて。あなたの優しい魂が、刻みつけたのだ。奥の奥。私の奥底まで。


 目が覚めたらさ。

 手術が終わったらさ。


 ――友達になってくれる?

 拓真君が私の背中を押す。


 あのね、拓真君。何もないと思っていた女の子がいたんです。その女の子は男の子に背中を押してもらいました。きっと男の子は何気ない一言のつもりだったんだろうけどね。


 その女の子にとっては生きる理由になったんだよ?

 あなたに会いたいって、そう思ったから。手術の後のリハビリも頑張れた。


 だから――忘れたなんて、言わせない。

 あなたが、私の初めてを攫っていったんだから。




 魂越しに、溢れてくる情報の渦。

 言語という言語が、細胞レベルで接続リンクしてきて、僕は目眩がして倒れそうになって――やっぱり、この瞬間も莉乃に唇を奪われていた。






「まぁ、あれだね。慣れると、この光景も日常の風景に……いや、ムリ。あんた達、激アマすぎるから」


 クラスメートが呟くのが聞こえて、メニューから顔を上げる。学食の喧騒がまるでストップモーションを解除されたかのように、僕の鼓膜を震わせた。


「へ?」

「大丈夫だよ。折角だから、食べたいものを食べよう? 悩む時間も大切な時間だって思うよ。それと、これは私達の日常だもんね」


「でも、莉乃が野菜炒め定食にするつもりでしょ? 僕もそうしようかなぁ」

「たっ君、ニラ炒め定食も悩んでいたでしょ? どうせなら、シェアしない?」

「うん、それも良いね」


 にへらとつい笑顔が浮かんでしまう。


「やめろ、お前ら。堂々と”あ~ん”し合うつもりだろ! 見せられる、こっちの身にもなれ!」

「恩田さ、莉乃と一緒だと言葉がつまらないよね。それに、お互いの言いたいこと、言葉にしなくても通じ合っているしさ」


 莉乃は別格だ。それに――。

 と、見れば莉乃がむすーっと頬を膨らませていた。


「みんなみたいな可愛い子と一緒だと、緊張するからムリだって」


 むすー。むすー、とますます不満をめいっぱい表現する。

 僕の気持ちなんか筒抜けのくせに、その表情は本当にズルいって思う。でも、きっと言葉にしないと莉乃は許してくれない。


 ずっと好きだったの。莉乃はそう言う。あの夜に出会う前から。

 私に優しく接してくれた、あなたのことが。

 ずっと、ずっと

 だから、あなたの魂まで含めて全部、欲しいって思ったの。

 あの日、彼女はそう言って微笑んだんだ。





 ――だって、魂に触れちゃったから。

 ――あなたが、私の魂に触れてくれたから。






 莉乃は、僕の全部。魂まで攫っていった。だれも隙間に入り込ませないくらい。誰とも喋らせないように。僕の言葉も声まで奪って。


 ――他の人と喋らないで。

 ――目をあわせないで。

 ――私だけ見ていて。

 ――私の名前だけ呼んで。

 

 言葉も、魂も。全部、ぜんぶ。

 君が全部、攫っていったんだ。

 

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