第六感でもわからない

古月

第六感でもわからない

 ――第六感がある、と他人によく言われる。

 私が初対面の人の来歴を言い当てたり、友人の話からその交際相手が浮気していることを見抜いたり、失くし物をたちどころに見つけ出したりするからだそうだ。

 要するに霊能力的なものを言っているようだが、実際そんなものがこの世に存在するはずはない。


「私はただ、他の人よりもさといだけなんです」

 その言葉に侮蔑の意図はない。


 目で見たもの、耳で聞いたもの、嗅ぎ取る臭い、口にしたものの味、触れたものの手触り。そういったものから得られるありとあらゆる情報が私の頭の中で勝手に絡み合い、私自身はその過程をまるで認識しないままに結論を導き出す。私はただその結論だけを述べ、それがことごとく事実であった、ただそれだけのこと。

 それが第三者から見れば「霊魂に聞いた」かのごとく見えるそうだ。私にとっては無意識のうちに行われるそれが、私以外の「一般人」にとってはとても高度な技術なのだと。それはすなわち、私の脳がはるかに優れているということではなかろうか。


「で、期末テストの結果は?」

「大丈夫、補修は四教科だけですよ」

「それって落第寸前だよね?」


 休日昼時の公園は騒がしい。追いかけっこをして遊ぶ子供たち、世間話に花を咲かせる奥様たち、喧嘩を始める散歩中の犬、ウォーキングする老夫婦、ベンチでいちゃつくカップルは早々に爆発してほしいなぁ何でこんなところにいるんだよ視界の邪魔だどっか行けよ。

 そんな光景から精神的にも物理的にも距離を置いて、ベンチの両端に腰掛ける私と彼。


「こんなところにいないで、勉強した方がいいんじゃないかい?」

「大丈夫です、補修は30分前に終わりました」

「君ここに一時間くらいいるよね? そんな堂々とサボるような不良だったの?」

「あちらには病欠だと言ってあるのでサボりではありません」

「世間はそれをサボりと言うんだよなぁ」

「話を逸らさないで下さい」


 彼は口ではそう言いつつも咎める口調ではない。私を諭したいのだか面白がっているのだか。たぶん後者だろう。

 うん、たぶん。


 私は彼のことを知らない。名前はおろか、普段何をしていてどんな暮らしをしていて、どこで生まれ育ったのかも知らない。

 服は毎回地味だし、言葉に訛りはないし、癖らしい癖も見当たらない。まるで特徴が感じられない。しいて言うなら顔はまあまあのイケメンってところか。


 私の「第六感」を以てしても、彼のことはいまだ何一つわからない。ベンチに何時間も座ったままの彼に訝し気な視線を向けて目が合ったあの日から、もう半年は経とうというのに。

 それが、ムカつく。だから毎週ここへ来ることをやめられない。何か一つでも彼のことを暴いてやりたいのに。それを暴露し、驚かせ、そして恐れおののかせたいのに。他の有象無象と同じように、私を気味悪がらせたいのに。


 いまだにそれが叶わないだなんて。


 それで、我慢の限界になった。あんたは何者なのだとついに問うた。他人から「第六感がある」などと言われて、距離を置かれて、陰口を叩かれる自分に何一つ明らかにしないお前は何なのかと。


「別に、聞かれなかったから何も言わなかっただけだし」

「それはあまりにも不誠実なのでは?」

「そう? だってこっちから話しかけたら君は最初から僕をナンパ男扱いしたんだ。そんな相手にわざわざ名乗る必要はないだろう? それなのに毎週毎週ここに来るから面白い子だなとは思っていたけどさ」

「面白い?」


 思わず乾いた笑いが出た。この私を「怖い」だとか「不気味」だとか評する輩は数あれど、「面白い」だなどと述べた人間ははじめてだ。

 こちらは睨んでいたはずだ。それでも彼はへらへらとした表情で、


「だって、そうだろう? わざわざこんな行き止まりにあるベンチに好んで座って、毎日本を読むふりをしながらこちらをチラチラ盗み見て。それでこっちから話しかけてみればそっけない。これがいわゆるツンデレってやつかと思えば、一向にデレを見せてくれないツンツンだ。興味も湧こうってものだよ」

「なるほど、あなたが変態だということだけはまずわかりました」

「どうしてそうなる」


 埒が明かない。私はカモフラージュのためだけに開いていた本をパタリと閉じ、彼に向き直った。


「とにかく、私はあなたのことが知りたいんです。教えてくれますか?」

「その一言を半年前に言えていれば何の苦労もなかったのにね。でも、ダメ」


 ダメ?


「僕のことを教えるわけにはいかないな。君が僕に興味を失くしてしまうから」

「失くしたいから聞いているんです。そちらがそのような態度なら、話してくれるまで今日は帰りませんよ」

「それはなおのことダメだ」


 その瞬間、彼は緩んだ表情を一掃し、真顔になって私を見た。その一瞬の変化に私は思わずベンチから腰を上げ一歩退いていた。


「君が補修をサボろうがなんだろうが、ここにいるのは構わない。でも、それは日が出ている間だけだ。それ以降ここにいることは許さない」

「どうしてですか。あなたに何の権利があって」

「十年以上前にこの公園で起きた事件を知らないのか」


 十年以上前?

 問われてしばし記憶を探る。そういえば噂に聞いたことがある。十年ほど前にこの公園である事件が起きたと。


「たしか、通り魔が出たとか? もしかして同じようなことがまた起きるとでも? バカバカしい。私が生まれるより前の話なのに」

「でもそれで君は父親を亡くした、犯人は今でも捕まっていない」


 ぎょっとした。どうしてこの人は、私の父が通り魔の被害に遭って死んだことを知っているのだろうか。


「どうしてそれを」

「霊魂に聞いた、と言ったらどうする?」


 彼は私のことをバカにしている。霊魂なんてものがこの世に存在しないと、そんなものは信じていないと、今しがた私は言ったのに。

 でも、それならどうしてこの人は私の父のことを知っているのだろうか。


「それはね、僕が君と同じ第六感を持っているからだよ」


 至極真面目に告げられた。私は彼を見つめた。彼も私を見つめた。その言葉の真偽はとうとう計れなかった。


 恐ろしい、と感じた。自らの奥底にあるものを暴かれることが、こんなにも恐ろしいことなのだと私はようやく理解した。後悔と恐怖、その二つが同時にやってきて、この場に留まる気概は消え失せた。私はカバンを脇に抱え駆けだした。


「もう、ここには来ませんから……!」

「あ、ちょっと!」


 呼び止める声は置き去りに、私は全力でその場を走り去った。


 それから二度と、あのベンチには近づくことはなかった。


=====


 一人取り残された男は深い深い息を吐いた。ベンチの背もたれに寄り掛かるように体を預ける。


「まあ、いつかはこんな日が来るとは思っていたけれど」


 ふと、だらしなく伸ばした手の先に何かが触れた。見れば、彼女が落としていったと思われるヘアゴムだった。何の飾り気もない安物、拾いに戻ることはあるまい。

 それを摘まみ上げ、目の前に掲げて、男は目を細めた。


「僕はね、君に何者であるか知られるわけにいかなかったんだ。君が何者なのか僕は一目でわかったから。君は僕と同じ第六感を持っているから」

 でもまあ、と続けて。

「そちらの意味での第六感まで備えているなんて、思いもしなかったけれどね」


 ぽとりとヘアゴムが落ちる。もうそのベンチには誰も座っていない。


(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

第六感でもわからない 古月 @Kogetsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ