第2話 猫、還る

 僕はこの迷宮に入り込み、ひたすら匂いを頼りに進んでいく。

 いくつかの金属音が響いて、数人の人間の疲弊する声が聞こえた。その中に見知った声があり、僕は急いだ。


 曲がり角を飛び出した瞬間に、人間とぶつかった。


「ぶち?」


「何してるの! 早くしないとモンスターが来るわ!」


「はいっ」


 とんがり耳の女がその人間が叫ぶように会話して、曲がりくねった道を必死に走る。僕は人間に抱かれたまま、その人間の顔を見る。下からではよく分からないが、声も匂いも僕の弟のものだった。


 モンスターを振り切って、二人は肩で息をする。落ち着いてから、弟は僕を見つめた。


「本当にぶちなの?」


「にゃぁ」


「お前まで死んじゃったの?」


「にゃぁ?」


 弟は僕を抱きしめて、ポロポロと泣いてしまった。


「何? ぶちってあなたのペットの名前だっけ?」


「そうだよ。僕の家の猫」


「こっちの世界に来てるってことは何か能力もらってきてるはずじゃない? ここまで無傷で辿り着いているみたいだし」


 とんがり女がそんな事を言うが、僕には炎を出したり鋭い斬撃が出せたりという能力はない。

 僕は弟に抱っこされたまま、このラビリンスの中を進んでいった。

 何回も、どうしていなくなったのか、ママもパパも悲しんでるよ、と教えてあげたが、どうしても「にゃぁ」という言葉しか言えなかった。


 そのうちに、この二人はもう何か月もこの迷宮内迷路を彷徨っていることを知った。モンスターを食べたり、宝箱から食べ物が出てくることもある。

 だから諦めない限り餓死することもない。ゆっくりとすり減っていく。


 二人はもうずっと出口に辿り着けないらしい。


 小さくゆったりと変動しながら、道を変えていく迷路に方向感覚も狂わされる。ずっと薄暗い洞窟の中で、二人の精神は疲弊していった。


 そんな時に僕と出会った。


 『力は願いに直結している』――僕の願いは弟を家に連れ帰ること。家族を元の形に戻すこと。


 ならば、僕にはこの迷路を抜け出すための力があるのではないか? そういえばここへはどうやって辿り着いたんだったかな。


 僕は体をひねって暴れて弟の手から地面に辿り着いた。たたた、と二人の前に走りでて振りかえる。そしてさらに数歩進んではまた振り返ることを繰り返した。


「ぶち、どうしたの?」


「ちょっと、また道が分からなくなるわよ。ここまでこれたんならこの子は戻れるわ」


 僕を追いかける弟をとんがり女が止める。

 二人は喧嘩をはじめたが、僕は少しずつ進むのをやめなかった。


「にゃあ」


「ぶち、待って!」


「待つのはあなたよ、出られなくなるわ」


「もう道なんて分からないじゃないか! 戻っているのか、進んでいるのかすら分からない。それなら僕はぶちと一緒に行く――待ってぶち!」


 弟が追いかけて来てくれてほっとした。ともかく勘というものに近いかもしれない。いくらぐるぐると迷路を巡っても方角が分かる。


 何と言えばいいか――一定の方向が分かるのだ。人間的に言うと、羅針盤といったかな、あのキタが分かるアイテムのようなものが頭の中にあるみたいだ。


「仕方ないわね」


 とんがり女もついてきた。


 道は変異しつつも、出口の位置と入口の位置は変わらない。そして、僕を導くような強烈なキラキラした感覚。

 弟の元へと導いてくれた、不思議な直感を僕は信じることにした。人間風に言うと第六感っていうのかな。


 それからしばらく、何日か経ったと思う。


「にゃっ」


 僕らはラビリンスの出口に辿り着いていた。


「ぶち! よくやった!」


 弟が僕の背中をさらさらと撫でる。とんがり女が少し申し訳なさそうな顔をしていたが、目が合うと、ふんっとそっぽを向いた。


 それからの大迷宮攻略は早かった。


 あのラビリンスは一種の壁だったらしい。強さとは違う、運と経験と信念が試される。


 二人は迷宮をクリアするための強さは十分持っていたようで、苦戦しつつもどんどんと階層ごとに存在する大きなモンスターを倒してしまった。

 その間、僕は戦うことは無かったが、ずっとかわいかった。


 最後のモンスターを倒した時、とんがり女は泣いていた。

 優しい光が僕らを包んだ。


「ここで、お別れみたいね」


「元気でね」


「あなたたちも」


「にゃ」


 三人でお別れをして、僕は意識が遠くなっていくのを感じた。


≪変革者たち――あなたの世界を救ってください≫


 またあの変な声が聞こえた。

 僕ははっと気づくと、最後に立っていた道路にポツンと立っていた。急いで塀の上に飛び乗る。車とか自転車だとか、そういったものが飛び交っていて地面は気を付けないといけない。


 あの夢が本当なら。――弟は?


 僕は急いで家に戻る。ボロボロの姿の弟が家の前でぼーっと立っていた。


「にゃ!」


「ぶち……!」


 ようやくいつもと同じように、僕は弟に抱っこされることができた。弟の涙が毛皮を濡らす。あの世界に行くまでは、少しイライラした。だが今は、その水がとても嬉しかった。


「ありがとう、迎えに来てくれて」


「にゃん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

磁場ニャン 夏伐 @brs83875an

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ