墨を操る者 ☆KAC20223☆

彩霞

墨を操る者

 ある晴れた日のことだった。

 通りの両脇で店が立ち並ぶ場所には、昼時に近づくにつれてよい香りがしてくる。一条いちじょうは自分の腹の具合を見て、歩きながらでも食べられるようにと、笹に包まれた握り飯を購入した。


「はい、お兄さん。お待ちどおさま」


 明るい声で握り飯を渡してくれる店のおばさんに、ぶっきらぼうに「どうも」とお礼を言ってお金を渡す。


 彼女は一条のぱっとしない顔を見て何か聞きたそうな様子だったが、彼の後ろに数人の客が並んでいたことから、諦めて次の客の対応に移った。

 一条は余計なことを聞かれなくてよかった、と安堵し、握り飯を背負っていた風呂敷の中に忍び込ませると、再び通りを歩きだした。


 彼はこれから旧友に会いに行く予定だった。ここからもう一つ先にある山を越えたところにある村に友人はいるらしいが、果たして一条が辿り着くころまでにそこに滞在しているか甚だ疑問なのである。

 彼は着物の袖の中で腕を組むと、むむむっと唸った。


(ずっと音沙汰がなくて、ようやく連絡が来たと思ったら、居場所だけ伝えやがって……)


 一条は旧友のことを思い浮かべると苛立って、額に青筋が浮かべた。こんなに心配しているというのに、当の本人はヘラヘラとしているのが解せない。


(そして俺がを積極的に使わないことをいいことに、面倒ごとが起こるたび、俺に連絡を寄越しやがる。それもこれも俺に押し付けるためだ。そして奴自身はトンズラしやがる……)


 しかしそうはいっても彼にも旧友と会わなければいけない事情があるため、苛立つとは分かっていても仕方のないことなのだった。


「さっさと行くかな……」


 一条がそう呟いて、腰に帯びている黄ばんだ小さな巾着に手を触れたときだった。後ろで歩いていた母が、子どもに問い詰める声が聞こえた。


「あんた、さっき買った握り飯、どこにやったの!」

「わかんないっ……」

「わかんないじゃないでしょ! どこで落としたの! ちゃんといいなさい」

「ほ、ほんとうにっ、わっ、かんないんだもん……」


 泣きじゃくる子供に、問い詰める母。一条は面倒ごとには巻き込まれたくないと、そのまま立ち去ろうと思った時だった。子どもがこんなことを言った。


「だってね、急に……手から無くなったんだもん!」

 その瞬間、一条の腰に帯びていた黄ばんだ巾着から《強い気配》が放たれた。

(……何とかしたらいいんじゃないかってか? 仕方ねぇな)

 彼はぽんぽんと軽く巾着を叩くと、母子に近づいて、風呂敷から自分が買った握り飯を渡した。


「え?」

 戸惑う母に、一条は努めて優しく言った。

「あんまり責めなさんな。この子に非はない。私のこれを譲るから、許してやってくれ」

「え、で、でも……」

「いいんだ。その子が不憫だから、気にせずに貰ってくれ」

「あの、お代は」

「いらん」

 そして一条は心の中で思う。

(代わりに盗んだ奴からもらうから)

 すると、母と子は深く頭を下げてお礼を言った。

「あ、ありがとうございます!」

「ありがとう! ありがとう! お兄ちゃん」

「じゃあ、今度は気をつけてな」

「うん!」

 一条の握り飯を貰った子どもには笑顔が戻っていた。彼はそれを見た見ないかのうちに、母子に背を向けてタッと走り出した。


 一条は少し人気ひとけがない店の裏通りまで来ると、腰に帯びていた黄色い巾着を開けた。中からは封がされた、手のひらのなかにすっぽりと収まる、とても小さい徳利が姿を現す。

「頼むぜ」

 小さく呟き、封をキュポッと開けると黒い煙が立ち上った。一条は自分よりも高い位置にあるそれに命令を下す。

「話は聞こえていただろう? あの子どもから奪われた握り飯を探せ」

「……御意」

 黒い煙はあまり乗り気ではなさそうだったが、まるで頭を垂れるようにして上の方を折り曲げると、霧散してその姿をくらました。


「……」

 一条は目を閉じると、黒い煙の気配を辿る。これは他の人にはない、一条が持っている第六感だ。

(近いな……)

 黒い煙の気配が止まった。どうやら犯人は捕まえたらしい。

 一条はあたりの様子を気にしながら、軽快な足取りで黒い煙の気配があるところへ向かった。

 黒い煙が止まっていたのは、一条がいた裏通りから三本西に向かった場所だった。同じく店の裏通りで人気がない。辿り着くと、若い男が二人、尻餅をついて恐れ戦いていた。


「あれ?」

 一条が男たちに近づくと、二人はさらにびくびくと体を震わせる。普通ならこんな風に怖がることはない。黒い煙そのものは人には見えないので、脅すことなどできないのだ。

「お前、何かしたの?」

 怪訝な顔でそばにいた黒い煙に小さな声で尋ねたが、「何も」と低い声で答えた。

「じゃあ、何で――」

 と思った途端、男二人の顔が変化していることに気づいた。人間の顔ではない。イタチである。

「ほほぉ、成程」

 一条は合点がいった。イタチの妖が、人間に化けていたのだと。これがら黒い煙のことを感じ取ることも造作もないことである。

「だったら、俺も容赦はしないぜ」


 そう言うと彼は再び徳利を取り出し、今度はそれを傾けた。中からは単なる墨が出て来たようだったが、一条の右手の手のひらに数滴落ちると、彼の手が黒く、爪は伸びてまるで刀のように鋭くなった。

「他の人間に危害を加えられても困る。ここで成敗させてもらう!」

 一条はそう言うと駆け出し、半分化けた状態のイタチを爪で切り裂いた。

「ギャウッ!」

 妖の悲鳴が聞こえたかと思うと、イタチの妖は人の姿から本来の姿に戻り、山の方へ逃げ去っていった。


「甘いですね」

 一部始終を見ていた黒い煙が一条に向かって呟くので、彼はため息をついた。

「俺は殺生はあんまりやりたくないんだ。それに――」

 一条は屈んで、その場に残された着物に右手で触れる。すると突然着物に火が付き、あっという間に跡形もなく消え去ってしまった。

「イタチは自分で人間には変化できない。これは妖狐ようこが絡んでいる」

「何が目的なのでしょう」

「さぁな」


 素っ気なく呟くと、左手で背負った風呂敷の中から竹筒を取り出し、自分の右手に水を掛ける。すると黒く妖のようになっていた右手は元に戻った。

「さ、お前も戻れ」

 一条は徳利を開けて、黒い煙に命令する。するとそれは「御意」と素直に中に戻るのだった。


 彼はその後、邪気にまみれた周囲を浄化するため清めの塩をまき、最後に残された笹に包まれた握り飯を拾った。

「お、中は無事だな。よかった、よかった」

 一条はそれを風呂敷にしまうと、何事もなかったかのように表の通りに出て、再び目的の地へ歩を進めるのだった。


(完)

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