スタート〜はじめての彼女〜
緋糸 椎
🎉
僕の目の前には一人の女性が座っている。ふくよかな体型、ドレッドヘアにカラフルなレゲエファッション……ルックスが国籍不明なこのおばちゃんは、こう見えて結婚相談所の相談員なのだ。
「安田さんに一度お会いしたいという人がいるのよ……」
僕は
とはいえ自分の市場価値くらい自覚している。どんな相手でも贅沢言うなよ……と自分に言い聞かせつつ、おばちゃんの提示した写真を見ると……
「え!?」
どストライク僕好みの可愛らしい女性。しかも随分若そうだけど……とさらにブロフィールを見る。
1997年7月26日生
「え!?(二回目)」
ちょっと待て、里親募集と間違えてないか? いきなり成人した娘を養子に迎えるなんてハードル高すぎるぞ?
などと疑心暗鬼になっても仕方ない。僕はレゲエおばちゃんに、美月さゆみと会いたい旨を伝えた。
🕖
カップル待ち合わせスポットとして有名なモール広場で、彼女を待った。期待と疑惑でドキドキしながら小洒落たオブジェの前で立っていると、若い女性たちがチラチラとこちらを見ては嘲笑する。
恥ずかしかった。きっと僕はこんな場所には場違いな人間なのだ。ああ、ほんの一時とはいえ、うら若き女性とつきあわせるなんて申し訳ない。そう思っていると……
「こんにちは。安田芳雄さんですか?」
振り向くと、あのブロフィール写真の……いや、それよりずっときれいで可愛い美月さゆみがそこにいた。
「は、はい、美月さゆみさんですよね!? はじめまして。……お腹すきましたね、どこかご飯行きますか? 僕の行きつけの店でよろしければ」
「いいですね! どんなお店ですか?」
「特にどうというわけじゃないけど、とにかく値段が安いので……」
と言ってからしまったと思った。初デートで安い店を提案するなんて失礼極まりない。しかしさゆみさんは気にしている様子もなかった。
そうして僕たちは件の店についた。もっとも僕が気に入っている理由は値段だけではない。味もさることながら、窓から見える中庭が──さして手入れはされていなかったが──なんとなく見ていて癒やされるのだ。
「なんかチルいですね!」
その中庭を見てさゆみさんが言った。
出た、意味分かんない若者言葉。僕はこっそりスマホで意味を調べる。
【チルい……落ち着く、まったりする、等】
と出ていた。
「そ、そうなんです。チルいでしょう……」
そう言いながら自分でもイタイと思う。さゆみさんは中庭をうっとりと眺めている。その横顔にドキッとした僕は、気持ちを引き締めて確かめる。
「あの……さゆみさんは婚活で登録されたんですよね」
「ええ、そうですけど。どうしてですか?」
「いや、お年が若いもので、もしかしたら里親をお探しなのかと……」
「ふふふ、そんなワケないじゃないですか、安田さんて面白いですね。私にはちゃんとお父さんがいますよ」
「お父さん……ちなみにおいくつですか?」
「ええと、今年で57歳になります」
よかった、年上だ。そうホッとした矢先……
「お母さんは45歳です」
……没念。
そんな感じでその日のデートは終了。楽しかった。でもまあ、もう会うことはないだろうとその時は思っていた。
🗓
ところが後日、
「美月さゆみさんが安田さんとの仮交際を希望してるんだけど、受ける?」
まさか。自分の耳を疑った。
「ええ、もちろん僕も希望します」
「じゃあ先方に伝えて登録しておくね。これからはしばらく仮交際を続けて、気持ちが決まり次第本交際、婚約へと……」
レゲエおばちゃんの説明はほとんど耳に入っていなかった。
🍶
「そりゃ裏があるな」
酒の席で伝えた僕のビッグニュースに、友人たちは声を揃えて言う。「イケメンでもない、年収もアベレージ以下、もうすぐ初老に手の届きそうなおまえを、こんな娘みたいな、いや、下手すりゃ孫みたいな年頃の可愛い女性が選ぶ筈はない」
「おい、初老も孫も言い過ぎだろ……しかし、手放しで浮かれてられないのも事実だよ。なんか裏があるのかも、って勘ぐってしまう……」
「おまえは間違っている。『あるかも』じゃなくて『あるに決まってる』だ」
やはりそうか……輪をかけて自信喪失。
そして、友人たちはさゆみさんがなぜ僕との交際を望むのか、理由を色々話し合った。その結果……
友人Aの仮説
「美月さゆみは結婚相談所のスタッフ。相談所のポイント稼ぎのために工作している」
友人Bの仮説
「美月さゆみは外国人で、日本国籍を取得するために誰でもいいから結婚を望んでいる」
友人Cの仮説
「結婚相手の条件が童貞という、新興宗教に入信している」
どれもが非現実的であるように思えたが彼らはそれぞれ自説に自信があるらしく、自分たちで確かめると言ってきかなかった。
*
友人Aの調査は簡単で、当の結婚相談所に電話することだった。
「あのう、おたくのスタッフの美月さんとお話ししたいのですが」
「当相談所には美月というスタッフはおりません」
……これで友人A説は消えた。
*
友人Bは警察官だった。その立場を利用して、さゆみさんを追跡した。そして頃合いを見て近づいた。
「あの、このあたりでおばあちゃんがひったくりにあったんですけど、見ませんでしたか?」
「いいえ……」
「すみません、一応身分を証明するもの、見せていただけませんか?」
するとさゆみさんは少し警戒した。
「……どうして身分証明書が必要なんですか?」
友人Bは返答に窮しながらも、咄嗟に出鱈目を言った。
「すみません、聞き込みは小さなことでも本人確認が必要なんですよ」
さゆみさんはしぶしぶながら、運転免許証を取り出して見せた。そこには本籍地として、ハッキリと日本の某所が記載されていた。つまり彼女は日本国籍の所持者であり、友人B説は消えた。
*
残る友人Cは、さゆみさん自宅の最寄り駅で待ち伏せし、彼女に接触した。
「すみません、しあわせと健康のためにお祈りさせていただいているんですけど……」
「結構です」
そう言ってそそくさと立ち去ろうとする彼女に、友人Cは食らいつく。
「そうおっしゃらずに、とても良い教えなんですよ。……それとも何か、信仰されているんですか?」
「実家は天台宗の檀家ですが、私はこれと言って信仰しているわけではありません」
そしてさゆみさんは立ち去った。これで友人C説も消えた。
*
友人たちの仮説はことごとく崩れたが、まだ僕の中には腑に落ちないものがあった。
「……安田さん、どうかされましたか?」
ディナーの最中、さゆみさんが心配そうに尋ねた。
「あ、いや、すみません、仕事で少し疲れて……」
「そうですか……じゃあ今日は早く帰った方がいいですね」
「え? いや、そういうわけじゃ……」
と言ったが、レストランを出たとき、さゆみさんは寂しそうに「さようなら、おやすみさなさい」といって早々と帰って行った。
*
それからしばらくして、結婚相談所から呼び出しがあった。行ってみると、レゲエおばちゃんは若干厳しい表情で尋ねた。
「安田さん、美月さんのこと、どう考えてる? 彼女、あなたが乗り気じゃないみたいって心配しているのよ」
「そうですか、実は……」
僕は思っていることを話した。レゲエおばちゃんは聞き耳を立て、しばらく考えてから話した。
「なるほどね。あなたのように適齢期を過ぎると自信がなくて悲観的・懐疑的になることが多いのよ」
「でしょうね……」
「一つヒントになるかわからないけど……彼女の世代はZ世代と言って、それまでの若者とはまた違った価値観を持っているのよ」
「どんな価値観ですか?」
「何より自分らしさを大切にすると言われているわね。あと、経済的には保守的で、落ち着いた、まったりとしたことを好む傾向があるそうよ。まあ私から見ても安田さんはホッとする感じがあるし、さゆみさんが惹かれる要素は充分あると思うけどね」
確かに、心当たりはある。初デートに安い店を選んだことにも嫌な顔を見せずむしろ喜んでいた。そしてあの何の変哲もない中庭を「チルい」と喜んでいた……
「でも大切なのは、安田さん自身の気持ちよ。あなたはどうしたいの?」
僕は居ても立っても居られず、結婚相談所を飛び出した。そしてジュエリーショップで給料三ヶ月分の指輪を購入すると、その場でさゆみさんに電話した。
「もしもし」
「安田です。さゆみさん、今晩お時間ありますか?」
「ええ」
「夜七時、いつもの店で待っています。……お渡ししたいものがあるんです」
「わかりました。楽しみにししています」
さゆみさんの声は、何かを察したように喜びに満ちていた。
スタート〜はじめての彼女〜 緋糸 椎 @wrbs
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