誰がマリーゴールドを食べた

鳥辺野九

マリーゴールド


「植物にも五感が備わってるんだ」


 彼は自説の証明のため実験の準備を進めた。


「へー、すごーい」


 私はそんな彼のために料理の下準備を進める。


「……あまり興味ない?」


「そんなことないよー。君の実験にはいつも驚かされるから悪い予感しかしないしー」


「そうか。悪い予感か。いや、今回はいけそうな気がするんだ」


 彼はいつも突拍子もない仮説をおっ立ててはそれを立証させようと微妙な角度から攻め立てる。


 目指せ、イグノーベル賞! と鼻息荒く実験するのは別に構わない。私を無理矢理助手扱いして付き合わせるのもどうだっていい。何故君は大学の研究室で実験せずに私の部屋を選ぶかな。


 彼曰く、私の丸眼鏡が助手キャラにぴったりだから、だそうで。へー、そうですか。


「植物にも五感がある。それで植物同士コミュニケーションを取ってるんだ」


 水に活けたマリーゴールド。彼が取り出したのはスマホと充電ケーブルを改造した電極。


「まあお花だってそれくらいするよねー」


 水に晒した新玉葱。私が取り出したのは切れ味の良さそうな包丁。


「光合成の作用スペクトルは光受容体の機能だけでは説明がつかない。光エネルギーを色として見ている視覚器官と解釈できる」


 マリーゴールドにスマホのライトを当てる。眩しいか? おい、眩しいだろ? 彼はお花に話しかけた。傍目には完璧に極まった人に見える。


「光をちゃんと色分けして使い分けてるってことねー」


 新玉葱に包丁の光をギラリと当てる。涙が出る前に切り刻んでやろう。私はお野菜に話しかけたりしない。ざっくりやる。


「葉の上側にはクチクラ層があり、さらに植物性ワックスでコーティングされている。温度と湿度で葉の水分が蒸発しないようコントロールし、昆虫類や草食動物による食害を回避するためクチクラ層を変質させる。これはもう触覚と判断できる」


 マリーゴールドの花弁を、茎を、葉を、エロティックな指さばきで触れる。やはりいろんな意味で極まった人に見える。


「触ると動く葉っぱとかあるよねー」


 新玉葱の粗皮を剥いて表面を洗う。そのワックスとやらをきっちり流し落とす。素っ裸に剥かれた気分はどうよ。


「葉の下側には気孔がいくつも開いている。言わずもがな、これは植物の鼻に相当する。嗅覚を伴う酸素と二酸化炭素の取り込み口だ」


 鼻なのか、口なのか。充電ケーブルを魔改造した電極を葉の裏側に貼り付ける。鼻だろうが口だろうが猿ぐつわをされたようなものか。


「気孔は水分を出し入れしないのー?」


 新玉葱を切る。繊維に沿って包丁を入れれば玉葱の旨みも溶け出さず食感も残る。余計な水分が出たり入ったり、入れたり出したりしないのだ。


「水分を補給する口は根っこの維管束だ。上質の水を選んで優先的に吸収するから味覚もあると考えるべきだ。維管束は上水道の役割を果たす。下水道はない。老廃物は細胞内の液胞に溜めておく」


 なるほど。植物はうんちをしないというわけか。ちょっと待て。と言うとあれか、この新玉葱は新うんちの塊か。


「植物は老廃物を出さないのかー。いいねー」


 新うんちの塊をざくざく切る。もう一度水に晒す時に気付く。灰汁とかえぐみが植物のうんちだな。せっかくだから彼に食べさせてあげよう。水に晒すのを止める。


「モーツァルトを聴かせて育てる農法がある。これは植物にも優れた聴覚が存在することの何よりの根拠だ。このマリーゴールドには僕がカラオケボックスであい◯ょんを三時間ほど歌って聴かせた」


「音響栽培って聞くよねー。食べたことないけどー」


 葉の上側にもう片方の電極を貼り付け、スマホのアプリを起動。彼が組んだオリジナルで、植物の感情を数値化し言語に置き換えるアプリだ。五感に相当する器官が発する外的刺激を起因とする電気信号を電極で拾い、ちょっと待て、今なんつった?


「三時間ひとりカラオケであい◯ょんを?」


 スライスした新玉葱と人参とごぼうを水で溶いた天ぷら粉に浸す手も思わず止まるってもんだ。


「うん。正直きつかった」


 あい◯ょん三時間男はてへへと頭を掻いた。何故私を誘わない。私の部屋に押しかけて奇妙な実験に付き合わせるくせに。


 鍋で熱せられる油がぱちっとひと滴跳ねた。油の温度もいい感じのようだ。彼の植物コミュニケーション実験もいい感じで準備万端のようだ。


「じゃあ、始めるよ」


「勝手にどうぞー。私は新玉葱のかき揚げに集中するわー」


 電極が拾ったマリーゴールドの五感の電気信号をパターン化させてスマホの音声コンシェルジュ「K2」の言語野を使って言語化させる。あたかもマリーゴールドの心の声をK2が代弁する形だ。


「言語化アプリ、起動。さあ、マリーゴールド、思いのままに喋るがいい」


 彼がマリーゴールドのオレンジ色の花弁にソフトタッチ。物理的接触によるその刺激を電気信号化させたマリーゴールドは。


『イヤアァァァッ!』


 と叫んだ。


 魂の絶叫だ。


『食べられるーっ! やめてえーっ! バラバラに切り刻まれて食べるのやめてえーっ!」


 スライスされた新玉葱、人参、ごぼう、野菜たちの残滓。高温を発する油の波動。刃物が奏でる殺戮の不協和音。


 物言わぬマリーゴールドは周囲の環境から命の危機を感じ取っていたのか。自分が新玉葱と一緒にからっと揚げられてさくっと食べられる未来を予感していたのか。


 絶叫は続く。


「ィヤメテエェェッ! 食べないでーっ!」


 何故、バレた。彼が私の部屋にマリーゴールドを持ち込んだ時からかき揚げにして食べようと思っていたのに。何故、バレた。植物が持つ五感を超えた神秘的な第六感か。何故、バレた。新玉葱の甘味とマリーゴールドの苦味が絶対合うと思ったのに。マリーゴールド色のかき揚げなんて美味しいに決まってるし。


「イヤアァァ……プツッ」


 彼がアプリをダウンさせた。血の気を失った真っ白い顔で私を見る。電極ケーブルの重みか、マリーゴールドはかすかに揺れていた。


 やるなら今しかない。


 私は料理を続けた。マリーゴールドから電極ケーブルを引き剥がし、オレンジ色の花を鷲掴みにして花弁を一気に毟り取る。かき揚げの天ぷら粉に投入し、高温の油の海へダイブさせた。


 一連の澱みない料理の手捌きを見て、彼はか細い声で言った。


「アレ聞いた後で、よく料理できるね」


「すべて、気のせいよー」


「ハート強いんだね」


「何でも食べなきゃ生きていけないのよー」


「そういう強い君が、好きです」


 はあ。ようやくそれを告げてくれたか。


「そんな気がしていたよー」


 と、でも言っておくか。


 彼が研究室ではなく私の部屋で実験したがる理由なんて、他にないだろう。


 新玉葱とマリーゴールドのかき揚げはパチパチと小気味良い音を爆ぜさせて揚がっていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰がマリーゴールドを食べた 鳥辺野九 @toribeno9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ