予知夢の女の子
碓氷果実
予知夢の女の子
怖い話を集めて回っていると、「お前自身はどうなんだ」と訊かれることがたまにある。
僕自身はいわゆる零感で、おばけの類にはお目にかかったことがない。
ただ一度だけ、虫の知らせと言うか第六感が働いたと言うか、そういうちょっと不思議な体験はあった。
といっても本当に
高校生の頃、僕はこう見えて陸上部だったので、平日の夜は部活の疲れもあって爆睡、夢を見ることなどほとんどなかった。
その日もへとへとに疲れ切って、いつものようにベッドに入ってすぐに眠りに落ちたはずなのだが、気付いたら僕は電車の中にいた。
見慣れた座席、見慣れた吊り革、窓からの見慣れた風景。通学で毎日乗っているいつもの電車だった。外は明るく、陽はまだそう高くない。
僕は定位置の、端の席で居眠りしている少しハゲかけたサラリーマンの前に立って、いつもどおり携帯をいじっている。
「急いで!!!!」
突然、甲高い声が響いた。僕は思わずびくりと肩を震わせる。
キョロキョロと声の主を探すと、僕から見て左側、連結部につながるドアの前に、セーラー服の女の子が仁王立ちになっていた。
「急いで! 急いでよ!!!!」
下ろされた両手は握り拳になってわずかに震えている。よっぽど力が入っているんだろう。声は空間を裂くほどに鋭いが、顔は伏せていて、切りそろえた前髪の影になってよく見えない。
何事かと思ったのだが、そこでふと、僕以外の乗客が彼女に対して一切反応していないことに気付いた。
目の前のサラリーマンは相変わらず寝ているし、その隣の女性は本を読んでいる。女の子のすぐ近くにいる人も、あれだけの大声を出されているのに微動だにしない。
「ねえ急いでってば!」
誰に言っているんだろう。僕しか聞こえていないのか? でも僕の方を見ようともしないし。大体、何を急げと言うんだ?
女の子の方を見たまま固まっていると、
キィィィィィィィィィィ――――!
と異音がし、直後ガクンと大きな揺れを感じた。
身体が投げ出され、浮遊する。
視界の中で、あの女の子の姿がぐるりと回る。
「早くぅ」
その声を聞いたかどうかのうちに、僕は壁だか天井だかに叩きつけられて気絶した。
で、気付いたら自分のベッドの上だった。昨夜着たパジャマ(というか中学のジャージ)を着て、いつもどおり掛け布団を蹴飛ばしていた。
思わず身体に触れるが、どこも痛くない。怪我もしていない。
つまり、今見たものはただの夢だったのだ。
なぁんだぁ、と
怖い夢を見ちゃったな、と思って何気なく携帯を手にしたら、今度は「ひっ」と悲鳴が出た。
――目覚ましのアラームが止まってる!
画面に表示された時間はいつも家を出る時間の十五分前で、僕は慌てて準備して、漫画みたいに食パンをくわえて家を飛び出した。
結局いつもより十分ほど遅れてしまい、寝坊で遅刻なんて絶対に怒られると
事故が起きたのは僕がいつも乗る一本前の電車で、結構大きな事故だったらしく新聞にも載った。
「だから、あの夢は僕の人生で最初で最後の予知夢だったと思うんだよね。おかげで事故に遭わずに済んだし、遅刻も寝坊のせいじゃなく事故のせいになって助かったし」
僕はちょっとした不思議話のつもりでそう言ったのだが、向かいに座るCさんの表情は硬かった。
予想外の反応に、そっちが聞きたいって言ったくせに、とか、事故を軽く扱って不謹慎と思われたかな、とか考えていると、
「いや、それってさあ……逆じゃないか?」
とCさんは言った。
「逆?」
「だって、その女の子、急いでって言ってたんでしょ」
「うん」
「事故に遭ったのはいつもの一本前の電車だったんでしょ」
「はい」
「だったらさ、それって本当は悪夢を見せて早く目覚めさせて、事故に遭わせるつもりだったんじゃないの?」
Cさんの言葉に、あの夢の光景が呼び起こされる。
――早くぅ。
そう動いた彼女の口元は、笑ってやいなかっただろうか。
「えぇ……」
思わず情けない声を漏らしてしまった。
「夢の中で気絶なんて器用な真似ができるとは、その女の子も思ってなかったんじゃない。命拾いしたね」
「……なんて嫌な解釈を」
これまで単なる虫の知らせ、なんなら事故から守ってくれたくらいに思っていたのに。
僕はCさんを恨めしく睨みながら、二度とあの女の子に遭遇しないことを祈った。
予知夢の女の子 碓氷果実 @usuikami
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