りっぱなおとな①

「えーっと、イメージCGは確か営業の共有サーバーの中に入っているはずなんだけど……」

「あっ、もしかしてこれですか?」


 阪根さんがマウスを動かしてひとつのファイルを開く。すると、画面に電子基板を思わせる画像が現れる。知識が無い人でも実物ではないことが明らかにわかるその画像の中央には、型番と思わしきアルファベットと数字が刻まれたふたつの正方形が大きくクローズアップされていた。


「それだね。そうしたら、まずフォルダをまるごとこのパソコンにコピーして、終わったらペイントで開いて欲しいんだけど」

「わかりました」


 阪根さんは実月の指示に対して返事をすると、言われたとおり画像が入ったフォルダを自分が使うパソコンのデスクトップ上へコピーを始めた。プログレスバーが現れて緑色が左から右へゆっくり浸食を始める中、阪根さんがおもむろに口を開く。


「それにしても、メーカーさんって結構親切ですね。こんなわかりやすいイメージ画像まで用意してくれるんですから」


 実月はこれから阪根さんにプレーヤーの製品紹介ページの作り方を教えるところだった。そのページに使う予定の画像は、先ほどの電子基板のイメージのほかにオーディオ回路のブロック図や最大出力を表す数字が大きく書かれたものなど十数枚存在する。これらは全てメーカーが用意したもので、メーカーのホームページにはこれらに中国語や英語の紹介文が重ねられた画像がまるごと使われている。自分たちはこれらのテキスト部分をトリミングして使わせてもらっている。


「まあ親切っていうより、一目で特徴がはっきりわかるような画像を用意してお客様にアピールしてるんだよ」

「そうなんですか?」

「営業の人から聞いたんだけど、海外は日本と違って気軽に製品を試せる訳じゃ無いみたいから、この製品には何がどういう風に使われてますって大々的にアピールしないと見向きもされないらしいよ」


 そんな話をすると阪根さんがそうなんですねと感嘆の声を漏らす。その間に画像のコピーが終わったので、実月はペイントのアイコンがある部分に指差そうとした。すると、自分の背後で内線電話が鳴り出すのが聞こえてくる。振り返ると、沖田さんのデスクに置かれた電話機がけたたましい音を鳴らしていた。沖田さんは……どうやら席を外しているみたいだったので実月が代わりに受話器を取った。


「もしもし、ECの野中です」

『お疲れー。営業の三枝です』


 聞き馴染みのある草臥れた感じの声が受話器から聞こえてくる。電話の主は個人向け製品の営業を取り仕切る三枝さんだった。


「お疲れ様です。沖田さんはいま席を外してますが……」

『そうなの? まあ、野中くんでも全然いいんだけど』

「何かありましたか?」

『午前中に出してもらった発注なんだけどさ、『CY9 PRO』の数が本当にこれでいいのか確認してくれない?』


 三枝さんが言う『CY9 PRO』は最近発売したばかりのオーディオプレーヤーだ。音質優先を掲げてハイグレードな部品を贅沢に使用したとの触れ込みで、お値段が五十万円を越えるものの発売前からその出来の良さがマニアの間で話題となっていた製品だ。ECでの初売り用として白川くんに発注をお願いしていたのだが、何か不備でもあったのだろうか? 自分にも送ってもらった発注メールに添付されたファイルを開いてみると、発注数の項目の数字が予定していた数の十倍となっていた。


「確認しました。ゼロがひとつ多いですね」

『やっぱりね。それじゃ二十個発注ってことでいい?』

「はい。確認不足で申し訳ありませんでした」


 受話器を手に取りながら電話の向こうの三枝さんにぺこりと頭を下げる。すると、受話器からおおらかな笑い声が聞こえてきた。


『全然いいよー。じゃあこっちで直しておくね。それと、今回は明らかに数がおかしいなって思ったから気づけたけど、メールする前には指差し確認ってちゃんと教えておいてね』


 飄々とした話し声に対して実月がわかりましたと返事をすると、三枝さんはよろしくと言い残して電話を切った。三枝さんはあちこちに飛び回る営業のベテランであるだけあって仕事はキッチリしているが、基本的に物腰が柔らかいので実月としても話しやすい相手だ。時々なにを考えているのかわからないこともあるのだが……。

 それより……、と実月は受話器を置いて辺りを見回す。すると、白川くんが自身のデスクでパソコンに向かっている姿が目に入った。


「白川くん」


 実月が声をかけると、白川くんが作業の手を止めこちらを振り向いた。キョトンとした表情でこちらを見つめる彼に、


「ちょっといいかな」


 そう手招きをすると、白川くんは立ち上がって実月の席の側にやってくる。そんな彼に対して実月は自分のパソコンの画面を指差すと、白川くんがその部分を覗き込む。


「午前中に送ってもらった発注なんだけどさ、この『CY9 PRO』の数が間違えてたよ」

「……あ」


 白川くんの口から声が漏れる。


「三枝さんからここ間違ってるんじゃないのって連絡があってね、確認したらこうなってたよ」

「……すみません」


 背筋を伸ばした白川くんがそう口にしながら一礼する。きちんと実月へ向き直ってからのだったが、彼の表情が呼び出した時と一ミリも変化が無いように実月には見えた。その瞬間、自分の頭の中で何かのスイッチが切り替わったような気がした。


「あの、今回は発注を送ってもらった後に確認しなかった俺も悪いけど、数が間違ってたのって一台五十万する製品でしょ。このまま発注かけてたら大変なことになってたよ」

「……はい」

「発注を送るときは、送信する前にもう一度間違っているところが無いか、指差しとかでちゃんと確認するようにしてね。今回は三枝さんがチェックしてくれたからなんとかなったけど、営業の人が全員同じようにチェックしてるとは限らないから」

「……はい」


 わかっているのかいないのか読み取れない表情のまま同じ返事を繰り返す白川くん。その度にスイッチがさらに上の段階へと切り替わっていく。


「白川くんは前も似たようなミスをしたことがあったけどさ、その時に発注をかける前に確認って教えたよね。覚えてる?」

「はい。覚えてます」

「じゃあ、ちゃんと確認をして。こういうことが続いちゃうと、こっちとしても白川くんに発注の仕事を任せられなくなるからさ」


 一度勢いがついてしまった自分の口がどんどんヒートアップしている。白川くんのその表情を見てどんどん生まれてくる言葉たちをぶつけないと気が済まない。そんな風に口を回していると、白川くんが口元をぎゅっと結んだように見えた。


「はい。すみませんでした」


 白川くんがさっきと同じように頭を下げながら謝罪を口にした。だが今までと違い、口元のみならず瞼や頬が強張ったような、何かをこらえるような表情。それが目に入った瞬間、実月の喉元から出そうになっていた言葉がつっかえてしまった。


「う、うん。まあ今度からちゃんと確認してくれればいいから、えっと、き、気をつけてください。じゃあ、作業の続きに戻っていいよ」


 歯切れ悪くそう伝えると、白川くんは「はい」と一礼して自分の席へ戻っていった。その後ろ姿を見送ってから自分のパソコンに向き直ると、思わず大きく一息吐いてしまった。

 なんだか胸の奥をぐぅっと掴まれたように苦しい気がする。ついさっき白川くんが見せた強張ったような表情を思い返す。その前の何も気にしてないとも取れそうな顔に思わずまくし立ててしまったけれど、さすがに言い過ぎたかな……? つい大きなため息が口からこぼれてしまう。すると、


「……野中、何かあったのか?」


 背後から声が聞こえたので振り返ると、書類の束を手に持った沖田さんが実月のことを見下ろしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法使いの一歩手前 かざはな淡雪 @lightsnow_kazahana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ