出会えない出会い系アプリ ~ なんでやねん ~

ハヤシダノリカズ

アプリ【なんでやねん】

 怪訝な目でこちらをチラと見て彼女は目をそらした。それはそうだろう。隣の席に着いた男がリュックサックの中からおもむろに所謂【黒電話】を取り出してダイヤルをジーコジーコと回し始めて自分に目線をやってきたのだから。

 不発である。だが、当然だ。いかにここが関西圏とはいえ、見ず知らずの人間の奇行に踏み込んでくる女性は多くはない。しかし、今のところ、この手法が私の中で最も成功率の高いものなのだ。カウンターで料金を支払い、その場でしばらく待った後にオーダーした商品を受け取って、それから席に着くスタイルのカフェで、気だるげにスマートフォンを操作している女性の隣の席に着き、リュックサックから何かを取り出して奇行を行うというこれが。

 見ず知らずの女性の口から「なんでやねん」と言わせる成功率が最も高い。

 

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 三か月ほど前に、私は【出会えない出会い系アプリ~なんでやねん~】というスマートフォン用アプリケーションをインストールした。

 無料であったし、【出会えない出会い系アプリ】というキャッチコピーに惹かれてダウンロードした。特別なお付き合いをしている女性もおらず、かと言って、ガツガツと合コンや婚活に精をだそうというモチベーションも持っていないが、「相性の良い女性とどこかで出会えたらいいかもな」くらいの軽い気持ちは持っていたので、そのキャッチコピーが私には丁度良かった。


 ダウンロードが済み、そのアプリケーションを起動してみると、まずは自分のプロフィールを登録させられた。必須の項目はニックネームと性別と住んでいる地域、それから自分がよく出没する場所のカテゴリーの選択だけだった。良く出没する場所の項目には、公園、カフェ、書店、居酒屋、バー等が並んでいて、私はバーにチェックを入れて登録を済ませた。アイコンの写真や本名は必須項目ではなかったので入れなかった。

 プロフィール登録が終わると、スマートフォンの画面の中央に大きな円が浮かびあがり、円の中には「なんでやねん」と書いてある。その円を試しにタップしてみると、「なんでやねん」と見知らぬ女性の声が響いた。「なんじゃそら」私は思わず呟いた。一人暮らしの狭い部屋の中にボケもないのに二つのツッコミが生まれてすぐに消えた。

 続けてその円をタップしてみる。「なんでやねん」「なんでやねん」「なんでやねん」常に違う女性の声で、それぞれにちょっとずつ違う抑揚と調子で、スマートフォンから虚空に向けたツッコミが量産される。

 バカバカしいが、一回一回違う声が聞けるのはちょっと楽しい。私は何度も「なんでやねん」と書かれた円をタップし続けた。すると突然、画面が白く濁ってタップする円も消えた。ホワイトアウトだ。「なんだ、ウィルスの仕込まれているアプリだったのか?」と身じろぎもせずに画面を見続けていたら、霧が晴れていくように白い部分が薄くなっていって、おせち料理の写真が現れた。「今なら三段重が4800円!!!」とその写真の上にポップが重ねられて。

「なんでやねん!」私は思わずツッコんでいた。一人しかいない部屋で。手にしたスマートフォンに向かって。

 すると、スマートフォンからチャイム音がなり、続いて「なんでやん頂きました。ありがとうございます」と機械音声が告げた。画面にはさっきのタップする円が再び現れている。


 なるほど、そういうことか。このアプリケーションのプログラムには【アプリケーションとしてのボケ】を唐突に表示するものが組まれていて、それに対する利用者の「なんでやねん」というツッコミを誘発し、それを録音する事で「なんでやねん」のサンプリングを無限に増やし、それをランダムに異性側のアプリケーションで発声させているんだな?

 二月を目前にしている時期におせち料理の広告を見せられたら、ツッコまざるを得ない。してやられた。機械にツッコミを誘導されたのは少し悔しいが、そこそこきれいな「なんでやねん」だったので良しとしよう。

 しかし、「出会えない」を標榜しているとはいえ、出会い系アプリなんだろう?と私は疑問を持った。その疑問を抱きながら「なんでやねん」と書かれた円をタップする。すると、可愛い女性の「なんでやねん」の声が出た直後に画面の隅に小さなサムズアップの絵が出ているのに気が付いた。そのアイコンはすぐに消えた。

 再度「なんでやねん」の円をタップしてみる。また違った女性の声で「なんでやねん」が響き、サムズアップの絵のアイコンが浮かび上がる。今度はそのアイコンをタップしてみる。すると、画面が切り替わり、どうやらその声の女性のプロフィール画面になった。

 ニックネーム yuuki

 性別 女性

 住んでいる地域 宇治市

 出没する場所 公園

 と書いてある。写真はなく、そっけない。人の事は言えないが。

 あぁ。もしかすると、この「なんでやねん」という声に惹かれたのならば、宇治市内の公園を彷徨って、だれかれ構わずボケて、相手からの「なんでやねん」を獲得しろということか。そして、その声に出会えと。

 なんて回りくどい、なんてバカバカしいアプリケーションなんだ。

 それなのに、私は画面の中の円をタップし続けた。手を変え品を変え、時折出てくる広告にツッコミを入れてはそれが録音された。野太い男性の声で「なんでやねん」が響いた時にも、つい、「なんでやねん!」と叫んでしまったが。

 モノの少ない一人暮らしの生活空間に何人もの女性の声が響き続け、あり得ないと思っていたそれは、不意に訪れた。

「なんでやねん」

 静かな抑揚の平坦な発声。確かに女性の声なのだが華やいだ……はしゃいだ感じのない落ち着いた低めの声。若干の照れと、小さく興奮している様が、女性の甘い体臭を思い出させた。

「まだ消えるな!」私はサムズアップのアイコンに祈りを込めて、そいつをタップした。

 ニックネーム tabasa

 性別 女性

 住んでいる地域 京都市

 出没する場所 カフェ

この画面を目にしたことから、私の冒険は始まったのだ。

 

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 最初の頃は上手くボケられなかった。というより、ボケている事自体が伝わらなかった。普通に声を掛けたらそれはナンパだし、カフェで誰彼構わず声をかけるのは、店から出入り禁止の通告を受ける可能性もある。もしもそれがtabasaさんの通っているカフェだったとしたら、それは目も当てられない。

 こちらに注意を引きつつも、近すぎず遠すぎない距離感で危ないと思われない程度の奇行を行い、「なんでやねん」のツッコミを引き出す。その方法論として私が辿り着いたのはモノボケであった。

 キャッチーで危険ではないと一目で分かるもの。それが私のリュックサックの中には常にいくつか入っている。

 また、この行為を始めた頃は、ついつい見た目が自分好みの女性をターゲットにしてしまいがちだった。しかし、私はtabasaさんの声に惹かれたのだ、この冒険のゴールはtabasaさんと出会う事なんだと思い直して、見た目は気にしないようになった。

 かれこれ何人の女性に「なんでやねん」と言われたことだろう。しかし、あのしっとりと落ち着いた中に高揚を感じさせてくれた「なんでやねん」には未だに出会えていない。

 少し疲れた。あれからというもの、オフタイムのほとんどをカフェ巡りとモノボケに費やして来たのだ。ルーティンワークとなってきてしまったモノボケにもだいぶ飽きてきた。今日は久しぶりにバーで飲むことにしよう。

 

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「マスター、久しぶり。盛況やね」

「いらっしゃいませ。こちらの席が空いております。こちらへどうぞ」

 薄暗い8人掛けのバーカウンターには一席だけ空きがあった。奥から二番目の席だ。

「こんばんは。お隣失礼します」

 手前のカップルは話が盛り上がっているようだったので特に声も掛けなかったが、最奥に一人で座っていた女性に私は一言声を掛けてストゥールに腰かけた。髪の長いその女性は私に一瞥をくれ、すぐに顔を前に戻した。

 ジントニックを注文し、マスターと世間話を始める。

「しばらくぶりですね。お仕事忙しかったんですか?」

「あぁ、まぁ、うん。そうやね」

 出会い系アプリにハマっていて忙しかったとは言いにくい。

「丁度、酒井さんがこちらに来られなくなったころから、この店に来てくれるようになったのが彼女なんですよ」とマスターは隣の髪の長い女性を私に紹介してくれた。

「ああ、入れ替わりで。初めまして。酒井と申します」

「こんばんは、初めまして。奥と申します」

「奥さんは初めてここに来た時もその席に座って、名字が奥だと教えてくれたんですよ」

 マスターはいつも通り軽妙に客同士をつなごうとする。「お客さん同士で話が盛り上がってくれた方が私が楽なんで」と以前に言っていたのは嘘じゃなさそうだ。

「あ!」マスターが大きめの声で叫んだ。その顔はニヤけている。そしてバックバーからジャックダニエルのボトルを取り出して、となりのカップルの向こう側に置いた。

「発見があったんですよ」とマスターは言う。

「今このカウンターに座ってくださっているこちらサイドの4名さんの名前がね」

 ニヤニヤしながらマスターは続ける。

「おく」と言って奥さんの前のカウンターをトンと叩き、

「さかい」と言って同様に私の前でトンとやり、

「きを」と言って隣の男の前に行き、

「つけ」と言って男の向こうの女性の前に進み、

「テネシー」と言ってジャックダニエルのボトルの方に手を置いた。

「奥さん、酒井さん、木尾さん、柘植さんとならんだので、『置くさかい、気をつけてね』と並んでる!ヤッホーと思ってしまいまして」と言ってマスターははにかんだ笑みを見せた。

 間髪入れずに「なんでやねん!」と私は叫んでしまっていた。「ジャックダニエルがテネシーウィスキーだから「テネシー」と使うのはまぁ、いいよ。でも、柘植さんを「つけ」とするのは無理やりだし、文章そのものにも脈絡がなさすぎる! ねえ、奥さん」同意を求めようと彼女の方を振り返ると彼女はスマートフォンを食い入るように見つめていた。

 チラリと目に入ってきた画面のデザインはアプリ【なんでやねん】の様に見えた。

「ちょっとごめんなさい。僕も電話を……」と言いながら足元に置いていたリュックサックから黒電話をとりだす。

「なんでやねん!」奥さんが上げたその声はtabasaさんそのものだ。ポケットの中のスマートフォンが震えている。

 取り出して画面を見るとアプリが起動していた。

 円の中のいつもなら「なんでやねん」と書かれている部分に「matching!tabasa」と書いてある。

「奥さんは……tabasaさんなの?」

 奥さんは何も言わない。

 私の顔と私のスマートフォンを交互に見つめている。両手を口に当てて。瞳は少し潤んでいる。

 マスターと隣のカップルは何やら談笑しているようだが、とても遠いところで行われているようだ。内容など何も耳に入ってこない。

 リュックサックから取り出しかけた黒電話の受話器を耳に当て私は言う。

「もしもし、tabasaさんですか? 僕と付き合ってもらえないでしょうか?」

 奥さんは口からゆっくりと両手を離した。私をじっと見つめながら奥さんの唇がゆっくりと動く。

 生涯で最も遅く流れる時間を今体験している。

 古臭いアメリカのホームコメディの映像が頭の中に何度も流れ、いつか私が彼女に言うであろうセリフがそれと一緒に何度もリピートしている。

「奥様は魔女ってテレビドラマからやんな、それでサマンサとかタバサって渾名をつけられたんやね」


 私は彼女の唇を見つめ続けている。


 -終-

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