【KAC20223 : 第六感】メビウスの海

すきま讚魚

リバティ・ベルとシャフツベリ

 この世界が生まれたとき、創造主は美しい大地と空、澄んだ海をお創りになりました。そして生物に様々な感覚を与え、六つの王を生み出したといいます。


 その中の五つの王は、それぞれが司る感覚の優れた民を統治し、大陸を隔てて文明を築いていったそうです。

 視覚ヴィジョン聴覚ヒアリング触覚トーチ味覚ガスティ嗅覚アルファ。彼ら彼女らは時に牽制し合い、それでも産めよ増えよと文明は栄え人々や生き物達は平和に過ごしておりました。


 何故ならそう、彼らにとって恐れるものはたったひとつ。

 創造主の仰った、いずれ訪れる【終末の刻】だけだったからです。


 彼らは素晴らしい、それはそれは研ぎ澄まされた感覚を持ち、それを各々が誇っておりました。


 あるものは世界の果てをも、美しい景色をも全てを見通し。

 あるものは世界中の声を聴き、心地よいせせらぎだけをその耳に取り入れることもできます。

 あるものは世の中の触れたもの全ての手触りや胎動、起源が瞬時に理解でき。

 あるものは世の中の全ての味を知ることができました。

 そしてまたあるものは、世界の全てを、そう天気すらも嗅ぎ分けていたのです。


 だけども。彼らにはひとつ、備わっていないものがありました。


 それが彼女。名もなき六つめの王。


 彼女に与えられたのは視覚でも、聴覚でも、触覚でも、味覚でも嗅覚でもなく。いいえ、寧ろそれらは他の王達と違って何ひとつ与えれらなかったのです。


 創造主は仰りました。



 ——いづれ来る終末の刻、それを感知できるのは六番目のお前だけだ。

 ——どれだけ増え、栄え、強大な力を持とうとも。

 ——何不自由のない暮らしが出来ようとも。


 ——その終わりがわかるのは彼女だけだ。


 ——さあわが子達よ、考えるがいい。


 ——世界の終末を防げるのならば、この世界をお前たちにくれてやろう。



 創造主の言葉は彼女には聴こえません。

 そのお姿を視ることも、感じることも叶いませんでした。


 しかし賢い彼女は瞬時に理解できました。

 自分は兄姉達と共に地上に顕現することすらできないのだと。


 彼女にはなんとなくわかってしまうのです。

 世界の呼吸や、明日の天気、どこの国で人が死に、生まれるのか。それがなんとなく。


 痛みは、ありません。

 彼女はお腹も空かないのです。

 そして誰からの声も聴こえず、燃ゆる乾季の暑さも、極寒の氷河の季節も何ひとつ。彼女を見つけてくれることはありませんでした。


 兄姉達は、視えぬ触れぬ感じられぬ、しかしそんな彼女の六つめの感覚を得ようと躍起になっておりました。


 彼らは六つめの王を海の底の地下深い場所に閉じ込め、終末の刻の存在自体を人の子らには悟らせぬようにしました。創造主のお言葉と共に、彼女は封じられたのです。


 彼女の力を得ようと、彼らはその肉を食し、時にその血を飲み干しました。

 だけども、何をしようとその『六つめの感覚』というものは彼らの身体には宿ることはなかったのです。


 痛めつけ、世界の終末について洗いざらい吐けと怒鳴ることもありました。

 しかし、それは六つめの王にもわからないのです。

 終末とはどんな姿で、どんな声で、どんな匂いで、どんな味で、どのような手触りなのでしょう?

 見たことも、聴いたことも、嗅いだことも、味わったことも、触ったことすらない彼女に、それがわかるはずもないのです。


 兄姉達はとうとう痺れを切らし、地上でも六つめの感覚を持つ人間を探しはじめました。


 彼女は視えぬ目で涙を流しました。


 ——ああどうか、どうか、お兄様、お姉様。このような仕打ちをするのであれば、それは私ひとりで十分です。どうかおやめくださいませ。

 

 ——世界の終末なんて、どこにも存在しないではありませんか。


 ——でなければ、何故私は生み出されてしまったのでしょう。



 音のない暗闇、どれほどの刻が過ぎたでしょうか。

 彼女は無限にも感じられるその刻の中を祈りました。


 ——誰か、私を見つけてくださるお方は。

 ——私と言葉を交わしてくれるお方はおりませぬか?


 ——ああでも。

 ——私はそれすら願ってはいけないのでしょうか。


 何故なら、兄姉達以外に六つめの王の居場所を見つけることができるのは。

 自分と同じ、六つめの感覚を持つものだけだと彼女は知っていたからです——。





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 何かが、自分を訪ねてきたような気がして。

 ある日六つめの王は、閉ざされたその空間の中で目を醒ましました。


『リバティ、僕の麗しのリバティ・ベル。やっと見つけた』


 ——だぁれ? ここに来たあなたはだれ?


『本当だ、よく僕のことに気がついたね。……ああ可哀想に。キミの美しさに王達は嫉妬してしまったんだろう、こんないばらの中に囚われているなんて』


 ——どうして、あなたはこの場所がわかったの?

 ——あなたは一体だれなの?


『僕はシャフツベリ、キミをずっとずっと探していたんだ。さあその荊からキミを解き放ってあげようね。大丈夫、僕の牙と顎は、五つの王達のそれよりも、ずっとずっと強いんだから』


 ——シャフツベリ? それがあなたの名前なの? どうしてあなたは私を知っているの?

 ——何故ここがわかったの?


『それは僕が、キミと同じ六つめの感覚を持ついきものだからさ』


 彼女は視えぬ目で涙を流しました。

 聴こえぬはずの彼の声を心に感じ、喜びに打ち震えました。


 だって、六つめの王にそうやって語りかけてくれる者は誰ひとりとして今までいなかったのですから。


 ——ねえ、シャフツベリ。あなたはどんな姿をしているの?

 ——どんな声で、どんな匂いをしているのかしら?

 ——ああ、あなたとおしゃべりができたら、どれだけ素晴らしいことか。


『ありがとうリバティ。でも僕のことを知ったら、きっとキミは怖れ、どこかへ逃げ出してしまうと思うんだ』


 ——どうしてなの?

 ——あなたはこんなにも優しい感情を持つ人なのに。


『人……ねぇ。ねえリバティ、人は僕のことを怪物と言うんだ。醜い、恐ろしいものだと言うんだ。だから、この荊を切ったら、キミは好きなところへ逃げて。自由に暮らすんだよ。僕のことはどうか忘れて』


 ——いやよ。あなたは唯一、私のことを見つけてくれたのに。忘れたくなんかないわ。

 ——ねぇ、シャフツベリ。私は誰にも触れたことがないの。だからあなたが許してくれるのなら、あなたに触れてみたいわ。


『ダメだよリバティ。もしキミが僕を見たら、僕に触れたら。きっと僕を嫌いになってしまうよ』


 ——シャフツベリ。あなたが居なくなってしまうのなら、私はずっとこのままでいいわ。だから何か教えてくれないかしら? 世界はどんな姿をしていて、どんな手触りなのかしら。


 ——それに、私。ここから逃げ出しても行くあてがないのよ。

 ——きっとお兄様やお姉様はカンカンに怒って、私を連れ戻しに来るはず。


 彼女の感情を受け止めながら、シャフツベリは荊を必死に引き千切ってゆきました。六つめの王のまわりは彼の血でみるみるうちに赤く染まってゆきます。

 けれども、彼の存在以外に何も感じることができない彼女には、それがわかりません。

 

 ——荊をちぎっているの?

 ——怪我はない? ねぇシャフツベリ、痛いことなんてしなくていいのよ。


『リバティ、もうすぐ。もうすぐだよ。キミはもう自由なんだ、自由になるんだ。だから教えてあげるよ。キミの悲しむ心が電気のように震えて僕の目を覚ましたんだ。荊で傷だらけのキミの血の匂いが、僕をここまで呼び寄せたんだ。ああリバティ、お願いだよ。僕がキミを食べてしまうかもしれないその前に、どうか逃げてくれないかい?』


 ——いや、いやよ。

 ——せっかくお友達ができるかもしれないのに。

 ——自由になっても、あなたに出逢ってしまった後に、またひとりぼっちになるなんて考えられない。

 ——私はひとりじゃ何処へも行けないわ。それならシャフツベリ、あなたとすらお別れするのが運命ならば。私はあなたに食べられたって構わないわ。



『それじゃあ賭けをしよう、リバティ。僕を視て、キミが怖がらなかったのなら。僕は全てをキミに捧げて傍にいよう』



 ——いいわ。約束よ。絶対にあなたを怖がったりなんてしないわ。

 ——でも……どうやったらあなたの姿を見られるようになるのかしら。


『わかったよ、愛しのリバティ・ベル。約束だ……』




 その刻、世界中のあらゆる音を搔き消すほどの、巨大な鐘の音が鳴り響いたといいます。


 刻を同じくして、海を飲み込むほどの巨大なサメの咆哮が、世界を覆うほどに響き渡ったそうです。




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 そして、彼女はどうなったか? 世界はどうなったかって?


 さぁね。そもそも世界なんて、存在しないんじゃないのかな?


 だって第六感六つめの王は予言どおり、【終末の刻】を見つけて……あろうことかその化け物を愛してしまったんだから。


 【終末の刻】は自らの眼と引き換えに賭けをしたんだ。

 彼女はちっとも怖がらなかった。だって生まれて初めて視たものは、どんな姿をしていようと……彼女にとっては優しいシャフツベリだったんだから。


 他の王達から奪った感覚を【終末の刻】は六つめの王に全て与え、ふたりは末永く幸せに暮らしたそうだよ。




 ——これは僕のおじいちゃん創造主との賭けに勝って、世界を手に入れてしまった……僕のお父さんが。


 ——僕のお母さんに出逢った、始まりの物語。

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