ぼくとまつりさんの日々【一膳目・お麩をめぐる冒険】

猫屋ちゃき

お麩をめぐる冒険

 まつりさんは食いしん坊だ。

 そこが気に入って、結婚した。

 ぼくも人より食べるほうだし、食に関心が強い。とにかく美味しいものを食べたいという欲求が強いのだ。

 生きるためにとりあえず栄養を補給するとか、お腹が満たされればいいとか、食に対しておざなりな姿勢の人とは考え方が合わない。

 向こうもおそらく、ぼくのように美味しいものへのこだわりの強い人間のことを、おかしいと思っているだろう。

 事実、かつて言われたことがあるのだ。

「あなたと結婚したら、食事のことで苦労しそう。美味しくないと食べないんでしょ。シェフと結婚すればいいのに」と。

 別にぼくは、恋人や配偶者に料理を強要するつもりはなく、美味しいものが好きなだけで、出されたものはきちんと食べるのに。

 だが、この食へのこだわりと探究心は理解できない人にはとんでもなくわがままで奇異なものに映り、それはぼくとの将来を危ぶむほどのものだったらしい。

 ぼくは絶対に結婚したいという願望はなかったし、自分で料理をするのも、それをひとりで食べるのも苦にならないタイプだった。

 だから、結婚はしなくていいかな――なんて思っておひとり様ライフを楽しんでいたときに出会ったのが、まつりさんだった。

 まつりさんとは、知人の紹介で知り合った。

 知り合ったというより、大好きなラーメン屋に行ったら知人がいて、その知人と一緒にいたのがまつりさんだったというだけだ。

 知人に会って会話しないのも変だから、世間話をしてカウンターに座って、並んでラーメンを食べた。

 そのときまつりさんは、とても気持ちよい食べっぷりでラーメンと向き合っていた。

 豪快とか荒々しいとか、そういったわけでは決してないのだが、するすると魔法のように口に麺が吸い込まれていく様子は見ていて心地よく、最後にどんぶりを両手に持ってスープの一滴も残さず飲み干す姿を見たときは、思わず溜め息がもれてしまったほどだ。

「……いいっすね」

 ぼくがついそう言ってしまうと、まつりさんは少し恥ずかしそうに頬を染めて、少女みたいにはにかんだ。

 その姿にぼくはときめいてしまったし、まつりさんもそうだったらしい。

 まつりさん曰く、「ラーメンのスープを飲み干したら、それで前に付き合ってた人にドン引きされちゃったから、引かないでくれたのが嬉しかった」とのこと。

 引かなかったどころか、ぼくはド直球にタイプだったのだ。

 そんなわけでぼくらは出会って、付き合って、ほどなくして結婚した。

 まつりさんとの結婚生活は楽しい。

 お互い食べるのが好きだから、毎日の食事が娯楽だ。

 ぼくはいろんなものを美味しく食べるのが好きだが、まつりさんはそのときどきにブームがある。

 気に入った食材があると、いっときそればかり食べるのだ。

 あるときは豆腐で、あるときはキムチだった。

 そして最近は、お麩にハマっている。

 小町麩、手鞠麩、もち麩、車麩、うずまき麩、たま麩、庄内麩などなど。

 ネット通販で手に入るありとあらゆる麩と名のつくものを食していた。前世鯉だったんじゃないかと思うほど、ひたすらに。

 お味噌汁やお吸い物、煮物に入れるのはもちろんのこと、キャラメルを絡めたりラスクにしたり、〝麩レンチトースト〟なるものを作ったり、お菓子まで作るほどのハマりぶりだった。

 だが、唐突に飽きるのだ。


「……大五郎さん、ごめんなさい。もう、お麩食べられない」


 リビングの床に大の字になってまつりさんは言う。少しも申し訳なさそうにしていないところが可愛い。

 しかもこれ、お腹がいっぱいになって床に伸びているとかではないのだ。

 食材として余りまくっているお麩を目にして、戦意を消失して大の字になっているのだ。

 結婚して半年ほど経ち、それがわかった。


「別にいいよ。しばらく変わり種の食事を楽しめたし」

「でも、こんなに余らせちゃったから……」


 まつりさんは食べ物を残すことが苦手だ。同じ食いしん坊として、その気持ちはよくわかる。

 食材を無駄にすることに異常に罪悪感を覚えるから、料理も失敗しないで済むよう上達した。


「じゃあ、前からちょっと作ってみたかったものがあるから、やってみるね」


 お麩をこのまま無駄にしたくないというまつりさんの気持ちはわかるから、ぼくはキッチンに立った。

 使うのは、とりあえず車麩と小町麩。どちらもまず水で戻す。

 それから、よく搾って車麩は片栗粉をまぶし、油をひいたフライパンで両面を焼いていく。

 その間に、白出汁に砂糖、醤油、酒、みりん、それから甜麺醤を少し入れたタレをつくっておく。

 車麩に焼き色がついたら、作っておいたタレを流し入れ、また焼いていく。


「照り焼き?」


 いい匂いがし始めたからか、まつりさんがそばまでやってきてフライパンを覗き込んだ。


「そう、照り焼きにしてみた。焦げないように気をつけないと」

「じゃあ、お米研ぎながらわたしが見てるね」

「よろしく」


 まつりさんの申し出をありがたく受け、次に小町麩にとりかかっていく。

 水気を搾った小町麩を今度は出汁醤油に漬け、片栗粉と小麦粉を1:1で混ぜた粉をまぶしていく。それを熱した油で揚げていくのだ。


「やった! そっちは唐揚げだね?」

「どんな感じになるかやってみるかなと。高野豆腐の唐揚げ作ったことあるけど、美味しかったから」

「絶対美味しいよ。揚げ物は裏切らないから」


 炊飯器に米をセットしたまつりさんは、照り焼きの面倒を見ながら上機嫌で言う。

 食いしん坊ふたり、キッチンに並んで料理するのは楽しい。

 

「照り焼きには白髪ネギがほしいし、唐揚げにはキャベツの千切りが必要だよな」


 唐揚げを揚げているうちに、ネギとキャベツを用意する。

 食いしん坊なりに、野菜はとらなくてはいけないという意識はあるのだ。

 楽しい食生活は、健康な体にかかっているから。


「わぁ、いい匂い。大正解の匂いがするよ、これは」


 火を止め、できあがった照り焼きを皿にあげてまつりさんは言う。彼女のいうように、照り焼きはつややかに、甘くて香ばしい匂いをさせていた。

 タイミングよく、炊飯器が炊きあがりを知らせる音を鳴らした。早炊きモードにして正解だった。こんな匂いを嗅ぎながら米を待つことなんてできない。


「こっちももうすぐできるよ」

「じゃあ、テーブル拭いてくる」


 夕飯完成を間近に、ふたりの気持ちはどんどん高まっていく。

 ぼくは唐揚げをバットに上げ、それをキャベツと共に皿に盛り付け、照り焼きの上に白髪ネギとかいわれ大根を散らす。

 それから茶碗に炊きたての米を盛れば、完成だ。


「できたよー」

「わーい! お麩なのに、見た目はお肉! すごい! それなのにカロリーがない!」

「いや、カロリーはある。油で揚げてるし、照り焼きも焼いてるからね。冷静になって」

「へへ……でも、たぶん、お肉よりヘルシー……」


 できあがった夕飯を前に冷静さを欠いているまつりさんをなだめながら、食卓に皿を並べる。

 ふたりとも席について、両手を合わせて「いただきます」を言ってから、いざ実食。


「お麩の唐揚げ……すごい! 外はカリッとしてるのに、中はふわふわだ!」


 唐揚げをひと口食べたまつりさんが、感激の声をあげた。そして、ふたつめを口に入れ、噛みしめながら何かを考える。


「……お麩なんだけど、何かちゃんとお肉っぽい味がするというか、知ってる味がする」

「鶏ガラ出汁を吸わせてるんだ。高野豆腐の唐揚げも、そうしたらちょっと肉っぽい味になるから」

「なるほど! 美味しい! これ、好きだなあ」


 とても気に入った様子でお麩の唐揚げを食べつつ、まつりさんの箸は今度は照り焼きに伸びる。


「ん! 照り焼き! 美味しい……これ、どことなく北京ダックっぽさがある」

「タレに甜麺醤が入ってるから」

「そっか! こんな甘辛で美味しいものは、こうするしかない!」


 まつりさんは照り焼きをひと切れ箸でつまむと、それをご飯の上に乗せた。白髪ネギとかいわれ大根も乗せて、照り焼きで包み込むようにして白米を口に運ぶ。

 咀嚼して目を見開いたのを見るだけで、それが〝大正解〟の味だったとわかる。

 ぼくも真似して、同じように照り焼き丼にしてみた。


「……これは、ご飯に乗せられるために生まれてきたやつだわ」


 噛むと車麩に染み込んだタレがジュワッと口の中に広がり、その甘辛い味が白米と合わさると無敵の美味しさになる。

 この照り焼きはおかずとして白米のお供になるというより、白米と共に口の中にやってきてほしい味だ。


「やばい。美味しすぎて米が足りない。照り焼きだけでもご飯何杯もいけるのに、唐揚げもあるから本気でご飯足りない」

「本当だね。おかずがお米の美味しさを引き立てすぎだよね」


 ふたりでわいわい話しながら、おかずと白米を次々口に運んでいく。

 ふたりとも、ご飯茶碗とどんぶりの中間くらいの大きめのお茶碗を使っている。

 夫婦茶碗を買おうとして、妻用茶碗の小ささをまつりさんが嘆いたから、気に入るデザインの大きな茶碗をおそろいで買ったのだ。

 その大きな茶碗に盛ったおかわりしたぶんの白米が、今夜も見事になくなった。

 もっと食べたいところを、ぐっと我慢する。

 明日以降も好きなものを美味しく食べるために、ある程度摂生も必要だから。


「ご馳走様でした。大五郎さんのおかげで、また麩の美味しさを見つけられたよ」


 箸を置いて、まつりさんは満足そうに言う。

 その笑顔を見て、ぼくも心地よい満腹感を覚えた。


「そうだ! この素敵な料理に名前をつけないとね。名前つけたら、また食べたくなったときに〝あれ〟作ろうって言えるから」


 シンクに皿を片しながら、まつりさんは楽しそうだ。

 食べたばかりだというのに、また次に食べることを考えているなんて、まつりさんらしい。


「何か必殺技みたいな名前がいいんだよねぇ。かっこいいやつ」

「か、かっこいいやつ?」

「なんかさ、最近のレシピ見てたら〝至高の○○〟とか〝究極の○○〟みたいなのが多くて、あれいいなって思ってるんだよね」

「ああ、なるほどね」


 名前を考えるの自体難しいのに、まつりさんが謎のこだわりを発揮するから困ってしまった。

 だが、かっこいいの方向性はわかったし、その良さも理解できた。確かに、〝至高の〟とついてるレシピはつい気になってしまうし、わりとハズレがない印象だ。


「じゃあ、〝艶めくオフテリ〟は……?」

「いいね! それならもう一品は〝華麗なるオフカラ〟だね!」


 ぼくが迷いつつ言うと、まつりさんはすぐにノッてくれた。

 ふたりだけで共有するレシピだから、こんな感じの適当な名付けでいいのかもしれない。

 というわけで、本日我が家にはお麩の照り焼きこと〝オフテリ〟と、お麩の唐揚げこと〝オフカラ〟が誕生した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくとまつりさんの日々【一膳目・お麩をめぐる冒険】 猫屋ちゃき @neko_chaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ