第5章 親子丼

「いらっしゃいませ!あっ!柊磨さん!」

「こんばんは…」

愛璃沙さんが俺を下から上へとジロジロと見る

(あっ……)

「柊磨さん……仕事行きましたね?」

(忘れてた…)

「い・き・ま・し・た・ね?」

「はい…」

「今日は休むって言ったじゃないですか!しかもこんなに遅い時間まで帰らないなんて!許せませんよ!」

「いや…でも…これでも…」

「柊磨さん?」

愛璃沙さんの笑顔が怖い…

「愛璃沙、そのくらいにしておきなさい。朝助けて心配だからと言っても相手はお客様だよ。」

「…うぅ…でも…でも…」

「食べに来たんだろ?何食べる?」

「あっはい。おすすめってありますか?朝のも美味しかったんですけど違うのも食べてみたくて。」

「嬉しいこと言ってくれるね。」

「それなら!親子丼なんてどうですか!ぷりぷりのお肉にとろけるような卵!ふっくら炊かれたご飯の相性が抜群で本当に美味しいんですよ!」

味を想像したのだろうか。頬を手で押えて親子丼を語る愛璃沙さん。

「じゃあ親子丼お願いします。」

「はい!お父さん親子丼1つ!」

「はいよ。」

カッカッカッとリズム良くかき混ぜられる卵の音、ジュッと鶏が焼かれる音。

何気ない生活の音が何故か心に染みる。


少ないと言っても客は俺以外にもいる。朝のように愛璃沙さんの質問攻めに合うことは無い。その分俺はどこか懐かしさを覚えさせる店内をじっくりと見ていく。

会社とは違う。暖かさ。笑顔が溢れる店内に俺はどこか俺の知らない異世界なんじゃないかと思わせた。

冷たい社会に呑まれたサラリーマンの成れの果てなのかもしれない。


俺は今までの生活に何の違和感も持たなかった。共働き、仕事優先、そんな親が学校行事に来たことなんてあっただろうか。それが普通だと思っていた。小学生の低学年の頃ぐらいまでは親に来て欲しいと頼んだこともあったように感じる。必要なものがある時は頼めばお金を渡してくれていたし、週に3回か4回は作り置きを置いてくれていた。それが普通だった。周りに話すと同情される。それが嫌で周りと関わることもあまりなかった。

5歳離れた姉は高校に上がると同時に家を出た。喧嘩することもなかったが、仲が良いともいえなかった。成績優秀で親に認められた姉と対照的な俺に親が関心を持つ訳もなく、姉への期待だけが膨らんでいるように感じた。今思うと何でもそつなくこなし、親から期待しかされない姉もしんどいのかもしれない。でも俺はそんな姉が羨ましかった。

愛情に飢えていた…そんなきれいな感情かは分からないが、親も姉も俺に興味なんてなかった。そんな家だった。


だから……この空間は俺にとっては異世界だ


少し古びたあの引き戸はきっと異世界への入口だ


こんなに暖かい世界はこの世にはないだろう

あんなに美味しい食はこの世にはないだろう


俺は今までの生活がどれだけ冷たいものだったかを思い知った気がした。


こんなに暖かい家庭なら俺はかわいそうだ、と言われても仕方なかったんだなと昔の強がっていた自分が恥ずかしくなった。


俺にはこの店が自分を救ってくれる唯一の場所だと感じた。通い続けようと思った。今の自分に必要な場所だから…


お酒を交わしながら笑い合う周りのお客や、笑顔で接客をする愛璃沙も、リズム良く料理を作るご主人もみんな…本当に幸せそうだ


「柊磨さん!お待たせしました!親子丼です!」

「ありがと。」

「柊磨さん何かいいことありました?」

「え?なんで?」

「柊磨さん何だか幸せそうです。」

「そう?そんなこと初めて言われたかも…」

「いい顔してるよ兄ちゃん!愛璃沙ちゃんのボーイフレンドか?」

「もう!違いますよ!怒りますよ!」

「すまんすまん」

やっぱりいいな。あたたかい。

「あーもう!柊磨さんに笑われたじゃないですか!」

「え?俺笑ってた?」

「え、自覚ないんですか?」

「まじか…」

「あっ冷めちゃいます!親子丼は温かい方が美味しいんです!食べてください!」

「あっうん。いただきます。」

俺は完成系ともいえるだろう、このきらめく親子丼へ箸を進めた。

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僕を救った定食屋 海羽柚花 @miwayuka

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