ダムナティオ・メモリアエ

埴輪

ダムナティオ・メモリアエ

 誰もが一度は想像したことがあるんじゃないかな? 謎の組織に連れ去られ、無機質な部屋に閉じ込められることを。そこには黒いスーツにサングラスの人――私の場合は、お姉さんだった――がいて、おのれが犯した過ちを、淡々と語ってくれるのだ。


 ――完璧な人間なんていない。弁護士だって、世のことわりを網羅はしてはいないだろう。だから、何気ない日常が、逸脱してしまうこともあるだろうし、組織の力を前にしては、個人、ましてか弱い女の子など、塵芥ちりあくたも同じ……というわけで、私はこの状況を受け入れていたのだけれど、一つだけ、納得できないことがあった。それは、私がこうなった理由が「推し活」だと、黒いお姉さんから言われたからだ。


「あと一歩だったんだ」


 黒いお姉さんは、そう何度も繰り返した。よっぽど、悔しかったに違いない。私が彼女と出会ってしまったことが。


 ――私には推しがいる。アリスという名の歌手だ。その出会いは偶然で、趣味の古物品漁りをしている時に、たまたま、レコードに目が留まったのだ。


 はかなげな横顔に惹かれジャケ買いしたので、事前情報は皆無。でも、その歌声を聞いた途端、私は震えるほどに感動した。


 アリスのとりこになった私は、当然、あれやこれやと調べ始めたのだけれど、嘘みたいに何もわからなかった。アリスという名の歌手は大勢いるのに、「メモリア」という曲名と合わせると、全くヒットしなかったのである。


 実はプロではなく、自費出版という可能性も考えてみたけれど、これほどの歌声と容姿でありながら、プロではないなんて信じられなかったし、もしそうだとしたら、見る目のない音楽プロデューサーではなく、私がプロデビューさせてやろうじゃないか! ……というわけで、私はまず「メモリア」を多くの人に知ってもらうために、曲をデータ化し、動画サイトで公開。だが、動画はアップした途端に削除され、私のアカウントも凍結されてしまった。


 その迅速な対応に驚きつつも、私はアリスの存在を確信した。なぜなら、アリス、そしてその楽曲の権利を持っている人がいなければ、こんなにも早く動画が削除対応されるはずもないのだから。


 私は様々な動画サイトで「メモリア」の公開を試みたけれど、結果は同じで……これほど厳重に管理しているなら、もっとプロデュースに力を入れるべきだろうとといういきどおりも手伝って、これならどうだと、自分で「メモリア」を歌ってみた動画もアップしたのだけれど、これが致命傷となった。

 

「アリス本人のデータなら、自動で対処できる。記憶の破壊は、そこまで進んでいたんだ。それなのに、歌い継ごうというやからが現れてしまっては、看過できない」

「あのー……、だむ、なんでしたっけ?」

「ダムナティオ・メモリアエだ」


 ……そうそう、それが黒いお姉さんの所属する組織の名だった。その活動内容は記憶の破壊、平たく言うと、「あったことをなかったことにする」ことらしい。


「どうして、アリスの歌を消そうとしているんですか?」

「歌だけじゃない。存在そのものだ。それが、彼女の望みだ」

「彼女って、アリスのことですか?」

「そうだ。彼女にとって、アリスという名で歌手をしていたことは、まさに消したい記憶だったというわけだ」

「……なんでだろ? アリスは美人だし、「メモリア」は名曲だし、大人気だったと思うんだけどなぁ」

「千年に一度の歌姫と言われていたからな。もっとも、今では覚えている者もいない……はずだったんだ、お前がいなければ!」


 黒いお姉さんは語気を強める。本当なら、震え上がったりするべきなのだろうけど、私は場違いながら、きれいな人だなぁと感心していた。サングラスで瞳の表情はうかがえないものの、すっとした鼻筋、ツンとした顎先だけでも、相当な美人さんだと思う。それに、声も心地よくて……と、黒いお姉さんは溜息をついた。


「……レコードも全部処分したはずだったんだ、ファンクラブの限定商品だから、ロットナンバーも把握していたのに、サンプルが処分されずに残っていたんなんて」

「随分と、詳しいんですね?」

「当然だ。何かを消すには、その全てを知っている必要があるからな」

「つまり、あなたもアリスのファンってことですよね?」

「違う!」

「違わないですよ! だって、あなたはアリスのことを忘れないんですよね?」

「……どうしてそう思う?」

「だって、あなたまでアリスのことを忘れたら、アリスがいたことも、消されたこともわからなくなっちゃうじゃないですか? ……あれ、その方がいいのかな?」

「いや、間違いではない。我々は全てを記憶しなければならない。そうでなければ、世界の記憶を管理することなどできないからな」

「はぁ……凄いんですねぇ。でも、ずるいなぁ、アリスを独り占めだなんて」

うるさい。それで、お前の処遇だが――」

「あ、それそれ! 私、どうなっちゃんです? まさか、殺されちゃったり――」

「安心しろ。ただ、記憶を消すだけだ」

「記憶を消すって、まさか、アリスのことを?」

「他に何がある?」

「ちょ、ちょと、待ってください!」

「嫌なのはわかる。だが、その嫌だという気持ちも忘れることになる。もちろん、私達の組織のことも。お前は今、夢を見ているんだよ」

「嫌です!」


 私は両手をバンッと机に叩きつけ、身を乗り出すように立ち上がった。


「私は、アリスのことを凄いと思った! 好きだと思った! それは、私の心の一部です! それを消されたら、私はもう、私じゃなくなってしまう!」

「大げさだな。ただの歌手、ただの歌じゃないか」

「その歌が、私に元気をくれたんです! ……正直、私はこの世界が面白くなかったんです。正直じゃないというか、みんなが良いっていうから、自分も良いって思わないといけない……そんな、偽物の気持ちで溢れているような気がして。だから、みんなが良いというものを良いと思えない私は、欠陥品なんだって。でも、アリスの歌は違ったんです! これだって思ったんです! これが良いってこと、好きだってことがわかったんです! そしたら、世界がすっごく楽しくなったんです! だから、私を消さないで!」

「……記憶を消すのは、お前の命を守るために必要なことだ。この意味、わかるな? それでも、お前はアリスを忘れたくないというのか?」


 私は何度も頷いた。自分でも不思議なぐらい、躊躇ためらいはなかった。


「どうして……」

「もちろん、愛ですよ! 愛っ! ラヴッ!」

「……ありがとう」

「え?」

「あ、いや……だが、そうなると、残された道は――」

「だから、私もダムダム団のメンバーにしてください!」


 私は深々と頭を下げた。ただ、いくら待っても返事がないので顔を上げると、黒いお姉さんは、ぽかんと口を開けていた。私は目をぱちくり。こほんと、先を続ける。


「えっと、そうすれば、私もアリスのことを覚えてられますよね?」

「それはそうだが……その、推し活はできないぞ?」

「いえ、続けますよ! あ、動画をアップしたりはしません! ただ、心の中で推し続けます! そう、永遠に!」

「本当に、永遠になるぞ?」

「へ?」

「言っただろう? 我々は全てを記憶しなければならない、と。それは単に保存すれば良いというものではない。それは記録だ。記憶するためには、記憶している存在が不可欠だ。それも、世界が終わるまで、な。つまり、人のことわりから外れた存在になるんだ。それだけじゃない、人としてもお前はなかったことになる。我々のメンバーになるということは、そういうことだ。それでも――」

「やります! それって、私のことを覚えてる人がいなくなるってことですよね? 大丈夫、誰も覚えてなくても、私は私ですし、いつかは誰もがいなくなっちゃうわけで、それだったら、私は私の好きなもの、好きな気持ちと永遠になります!」

「あはははははは!」


 その無邪気な笑い声の主は、黒いお姉さんだった。その瞬間、私の頭の中でカチリとピースがはまった。ああ、どうして、これまで気づかなかったのだろう!


「アリス!」


 私は机を押し退けるようにして彼女に迫り、その手を取った。


「感激ですっ! 私、あなたの大ファンなんですっ! ああ、ぜひ、ご尊顔を――」

「ちょ、落ち着け!」


 推しが目の前にいて、落ち着くことができるだろうか! ただ、私の手がサングラスを取り除くと、露わになったアリスの瞳が美しくて、ほうっと見とれてしまう。


「……まさか、気づかれるなんてな」

「でも、どうして自分のことを?」

「私は、歌うことが嫌で嫌で仕方がなかったんだ。あんな恥ずかしい格好で、大勢の前で歌わされるなんて……でもな、これが自分のやりたいことだったんじゃないかと感じることもあった。それが、たまらなく嫌だったんだよ。自発的に、そうなるように、世界に、人に、仕向けられたんじゃないかって気がしてな。だから、私はダムナティオ・メモリアエのメンバーになった。アリスを消し、私が何者かを知るために」

「……何者だったんですか?」

「私は私でしかなかったよ。それ以上でも、それ以下でもなかった」

「本当に好きだったんですよ。歌が。たまたま、自分よりも周りが先に気づいちゃっただけで。そんな素敵な力が自分にあるって、信じられなかったんですね」


 私は思わず、アリスを抱きしめた。


「あなたの歌は本物です! ええ、そうですとも! じゃないと、私がこんなに好きになるはずがないもの!」

「……考えたこともなかったよ。私の歌で、本当に人生が変わるような経験をする人がいるなんてさ」

「そんなの、私だってびっくりです!」


 私とアリスは、二人して笑い合った。私は何があろうと、これからも推し活を続けていくだろう。この想いは、ダムダム団だって消せはしない。いや、消させてなるものかと、私は固く自分に……好きだという想いに、誓うのだった。ラヴ。

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