僕と先輩の緩慢な心中

ハルカ

棺桶に、二人

 春の空気が湿っぽいのは、別れの涙を含むから。

 僕は先輩からそう教わった。

 それなら、この扉の外側が遠い世界のように感じられるのも、なにか理由があるのだろうか。


 先輩が卒業する日、僕たちが在籍していた文芸部は廃部になった。

 卒業式のあと、僕は先輩と最後の会話をしていた。


「卒業してもずっと応援しています」


 そう伝えると、先輩は困ったように視線を揺らめかせた。


「キミは……こんなところにいていいの? 文芸部は本日をもって廃部。明日からは部室も使えなくなるのでしょう?」

「はい。先輩の時間が許す限り、話をしたいです」

「そうじゃなくて。今日は卒業式だもの、一年生でもまだ残ってる子は多いはずよ。声をかけて事情を話せば、名前くらいは貸してくれるかもしれないわ。三人集まれば部として存続できる」


 どうやら先輩は、一人残される哀れな後輩が寂しくないようにと、心を砕いているらしかった。

 でも、残念ながらそれは見当違いだ。

 先輩がいなくなる寂しさを、他のもので紛らわせるわけがない。


「いいんです。部活なんかやってたら先輩を応援する時間が減ってしまいますから。そうだ、これからはSNSとかで先輩の本を紹介しますね」


 先輩は高校生にしてプロの作家としてデビューを果たした人だ。

 僕はそんな先輩のことを心から尊敬しているし、誇らしく思っている。部室に入り浸っていたのも、ここに来れば先輩に会えるからだ。


 僕たちはたくさん話をした。

 先輩が小説を書いている日は、僕は少し離れた席で静かに本を読んだ。そうやって僕は、喜んで貴重な青春を食い潰した。


「気持ちだけもらうわ。これからはキミの時間はキミのために使いなさい。ようやく私から離れられるんだもの」


 最後の最後になって、彼女は僕を突き放そうとする。

 初めて僕が書いた小説を読んで「これはひどい」と呟いたときと同じ表情かおをして。

 彼女は、どこまでも優しい人なのだ。


「推し活ってやつですよ。みんなやってるでしょう」

「推し活……残酷な言葉ね」


 先輩は美しい声で吐き捨てた。

 窓から差し込む夕陽に照らされ、机や椅子の影が長く伸びている。


「残酷、ですか?」

「そう。多くの人は『推し活』を『応援すること』だと勘違いしているの。でもね、推し活という言葉は『かす』とも読めるわ。つまり、推しをかすも殺すもファン次第ということ」


 たしかに先輩の言う通りだ。

 誰からも応援されなくなったアイドルは、退場するしかない。アイドルを辞めても普通の人間としてきていくことはできるけど、アイドルとしては命を失う。


「ファンは無邪気に応援してくれる。自分が相手のを握っている立場とは気付かずに。そして応援される側は、ファンに自分の命を握られていると悟られないよう振る舞わなくてはいけない」


 僕も、いつのまにか先輩の命を握っていたのだろうか。

 この部室で、誰よりも彼女に近い場所で。


「ファンの応援は命綱。たくさん集まれば束の間の安心を得られる。でも瘦せ細れば不安ばかりが募る。この文芸部だって同じ。が不十分だから消えてなくなる」


 先輩が僕を見つめる。

 そうだ。僕はずっと嘘をついてきた。

 先輩にも先生にも、「部員を集める努力をしている」と言い続けてきた。そうして無理な延命を重ねてきた。先輩が卒業すれば文芸部は僕だけになり、廃部となる。


 僕は部員の勧誘など一度もしたことがない。

 おそらく多くの生徒は文芸部の存在すら知らないだろう。

 僕は先輩を独り占めしたかった。誰よりも先輩の傍にいたかった。


 きっと彼女は、僕の嘘も不誠実さも独占欲も、あっさり見抜いていた。

 それでも、卒業の日まで傍にいることを許してくれた。

 そう解釈するのは自惚れだろうか?


「もしかしたら私にも別の選択肢があったのかもしれない。作家仲間と交流したり、小説の勉強をしたり。でも、それをせずにこの部室でキミと過ごすことを選んだのは私自身だわ。まるで緩慢な心中しんじゅうみたい」


 夕陽が窓から差し込み、部室を丸ごと呑み込む。

 何もかもが赤い。火葬のようだ。

 炎に包まれて躍る彼女は、きっとこの世界の何よりも美しい。


 文芸部も、この部室も、僕たちの会話も、今日で最後だから。

 すべて燃え尽きて、あとには何ひとつ残らなければいい。


 そんな妄想を反芻しながら、僕は先輩の最後の言葉をひとつも聞き漏らすまいと、呼吸をひそめて耳を傾ける。

 僕たちが心中に選んだこの場所で、二人の棺桶となる文芸部の部室で。

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僕と先輩の緩慢な心中 ハルカ @haruka_s

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