ばあちゃんの推し

葉月りり

第1話

「周平、周平、ちょっと頼まれてくんないか」


 ばあちゃんが俺の部屋にきて一枚の紙を差し出した。見るとばあちゃんの好きな歌手のコンサートのチラシだった。


「これに行きたいんだけど、連れてってくれ」


へー、あの会館にこんな大物スターが来るんだー、って、えー、俺が連れてくの?


「一生のお願いだ。一度でいいから生で見てみたい」


 うちのばあちゃんは変態クソババアだ。俺が風呂に入ってるとのぞきにくるし、隙があれば俺の股間をサッと触って


「おーおー、大人になってー」


と、言って喜んでいる。

あ、でも、時々小遣いをくれるから「クソ」は余計か。


 この変態ババアは45才も年下のこの歌手に夢中だ。テレビに映ると、家族みんなの非難を者ともせず、テレビ前50センチに正座して画面を食い入るように見つめる。両拳を胸に当てて目をうるうるさせ、尻を弾ませてリズムをとっている。


「金に糸目はつけない。2枚買ってくれ」


と、1万円札を2枚と、小遣いだと5千円札をわたされた。


 しょうがない、受付開始日からしばらく経ってるから取れるかどうかわからないなと思いながら駅前のプレイガイドに行ってみる。


 取れた。それも結構前の方。金に糸目をつけないってのはすごいな。さて、どうしよう。誰か連れてってくれる人いるかなあ。



 あちこち声をかけてみたけど、結局俺がばあちゃんをこの会館に連れてきた。


 だよなあ。家中で一番暇なのは、浪人生の俺だよな。いや、本当は暇じゃいけないんだけど、大声で俺は勉強があるんだと言える生活を今までしてない。


 ばあちゃんはいつもねずみ色の割烹着に汚れたようなスカーフを首に巻いて、夏でも指無し手袋をしてるんだけど、今日はフワフワした小花模様のブラウスなんか着てる。心なしかいつもより姿勢もいいように見える。


 会館に入ってすぐはグッズコーナーだった。アイドルじゃないから団扇やはちまきは置いて無いけど、Tシャツや写真集はそれなりに何種類も置いてあった。ばあちゃんは早速あれこれ手にとって物色し出した。


「えーと、カネコさんと、ヨシさんと、ミヨちゃんにもね、サトコさんも欲しいかな」


「何も開演前に買わなくてもいいのに」


「帰りじゃなくなっちゃうかもしれないじゃないか」


Tシャツ7枚に写真集5冊。そうだよ。俺が持つんだよ。


 ホールに入って席に着くと、ステージはすぐそこだ。これは、ばあちゃんが興奮しすぎて卒倒しないように気をつけて見てないとと思う。


 照明が落ちてコンサートが始まった。この歌手は十代の頃はバンドをやっていて、今もその時の愛称で呼ばれている。バンド時代からの熱狂的なファンが多いと聞いていたが、意外と静かな始まりだ。たしか少し前に「静かな歌は静かに聴け」と観客を叱りつけたとか話題になってたが、そのせいかもしれない。

 最初はしっとりとしたバラードからだった。ばあちゃんはいつものテレビ前とは様子が違う。目も口もパカーッと開けて固まっている。そのうちばあちゃんは両手を合わせてステージを拝み始めた。


「ばあちゃん、恥ずかしいからやめろよ」


と言うと、


「きれいだねー。きれいだねー。本当にこんなきれいな人がいるんだねー」


と、ますます激しく両手を擦り合わせる。たしかにすごい男前で男の俺から見ても色っぽい。歌もすごくいい。彼のテンポの良いヒット曲を何曲か知っているけど、バラードがこんなに良いとは知らなかった。


 コンサートは関西弁を交えたトークも面白くあっという間に終盤だ。きちんと座って拍手していた観客もバンド時代からのヒットメドレーになると総立ちで、彼が指差した方向では卒倒する人が出るんじゃないかと思うほどの騒ぎになる。観客は彼の名を連呼し、ばあちゃんもその名を叫び続けて………あれ?なんか違う名を叫んでいるようだぞ。


「しゅうへい、しゅうへい、しゅうへい!」


俺の名じゃないか。


「どうしたばあちゃん!」


「しゅうへい! オシッコ! もれるー!」


「えーーーっ」


俺は片手に荷物、片手にばあちゃんを抱えて、ホールの出口に向かって走った。通路にはみ出して盛り上がってる人たちの間を「すみません、すみません」と叫びながら通り抜け、階段を上がり、出口の重い扉を体当たりして開け、ばあちゃんを直ぐ前にあった女子トイレに放り込んだ。


 しばらくして、ばあちゃんがトイレから出てきた。


「危なかったー。なんとか間に合ったよ」


「間に合ったのか、よかったー。俺、女物のパンツ買いにいかなきゃなんないのかと覚悟したよ。よく我慢したな」


「オシッコ我慢して褒められたのは子供の時以来だ。だけど、パンツはいつもカバンに入ってるから、大丈夫だ」


……お帰りの際はお忘れ物のないよう……


コンサート終了ののアナウンスが流れてきた。


「最後まで見たかっただろ。惜しかったな」


「いや、あんなに間近であんなきれいなもの見せてもらって、あたしは満足だよ。良い冥土の土産が出来た。周平、ありがとな」


「俺もさ、面白かったよ。歌もいいし、トークもすげー笑った。そうだ、ばあちゃん、ちょっと待ってな」


俺は女性客で混雑し始めたグッズコーナーで、背の高いのをいいことに上からやりとりして一番大きいポスターを買ってきた。


「ばあちゃん、これ、コンサートすごく良かったから、お礼。ポスターは買ってなかっただろ」


「お礼って、私がやった小遣いだろ」


「あ、このクソババア!」



 うちに帰って、俺はこのでかいポスターを仏間の出入り口のところに貼った。ばあちゃんが見やすいように低めの位置に。


 今日もばあちゃんは、ポスターの前に行く。丸くなった背を伸ばし、彼の顔をひとしきり眺める。そして胸の前で拳を握り、悶えるように身を捩り、そっと彼の名を呼ぶ。


おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ばあちゃんの推し 葉月りり @tennenkobo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説