夢の中でも私を抱くの

「すまん、紅緒。ここで待っててくれ」

「はい」


 そう言って父は私に背を向けて、去って行った。

 街の中心部にそびえた大きな桜の木は、待ち合わせ場所としてよい目印で、ここにいれば必ず待ち人が来るという。

 季節は春。

 周りには私と同じように人を待っている人が沢山いて、風に舞う花の美しさを愛でていた。

 そうして待ち合わせした人がやって来て、ひとり、ひとり、木の周りを離れる者がいるかと思えば、誰かを待つために木の下にやって来るものも……。

 母がなくなって以来、父は時々兄上や常盤、私を伴って街におりるようになった。

 でも、兄上は父上に酷く反抗的で、常盤もそれに倣うようで、落ち着かない感じ。

 私は元々あまり活発なほうでないから、いつも二人に置いて行かれていた。

 今だって、二人して父上や遠くで見守っていた護衛の目をかいくぐって、兄上と常盤はどこかにいってしまった。

 二人を見つけたら戻って来る。

 そう父上は言っていたけど……。

 兄上と常盤は私の事が好きじゃない。それは私が一々何をするのもゆっくりだからで、いつも二人に「鈍い」と言われてしまう。

 話だって、私は頭の中で言う事を整理しながら話しているから、どうにも会話が遅くなって。そうするとあの二人には退屈なようで、最後まで話が出来た事なんか数えるほどしかない。

 私の話を聞いてくれるのは母様しかいなかった。

 父様はこの国の王だから、とても忙しい。

 それなのにこうして時間を私達に割いてくれるのだから、感謝しなくてはいけないと、乳母や周囲の人達は言う。

 その度に兄上は「解っている!」と声を荒らげて怒るし、常盤は母様のいない寂しさを思い出して泣き出す。

 私だって泣きたいし、「解ってる」って大声で言いたいこともあった。

 でもそれをすると乳母にも他の人達にも迷惑だし、そんな事をしても母様は戻らないし、父様だって帰って来れない。

 せめて私だけでも皆に迷惑を掛けないように大人しくしていると、ある日兄上から「お前は悲しくないのか!?」と怒られたし、常盤には「冷たい」と泣かれた。

 私の姿は父の不在にも動じず、母の死にも心を痛めないような冷たい態度に移っていたらしい。

 可愛げがないそうだ。


「だから、むかえにきてくれないのかな……?」

「……あのクソ共、帰ったら覚えてろよ」

「ん? なに……?」

「何でも。強いていうなら、紅緒様めっちゃ可愛いなって」

「そう……? でもみんな、わたしにはかわいげがないっていう……」

「ソイツらは目と頭が悪い上に、根性が腐ってるから気にしなくっていいです」


 ぎゅっと私を抱っこする出穂はそう言った。

 木の根元で待っていても、いつも誰も迎えに来てくれない。

 夕方、風が寒くなって来たから帰ろうと思った所に、出穂は突然現れた。

 私の姿を見るなり目を丸くして、それから何だか顔を覆って天を見上げた途端、彼は「ぐうの音も出ないくらい可愛い」と呟いて。

 征服からして父様の軍の人だとは思ったけど、いきなりでびっくりする私に、出穂は跪いて自分が「出穂」というのだと教えてくれた。

 そうして私に何をしているのか尋ねたから、父に待つように言われたことと、迎えがまだ来ないことを告げると、大きな手で私を抱き上げた。

 かなり背が高くてびっくりしてしがみついたら、「紅緒様小さい」と呟かれる。



「おもくない?」

「少しも。寧ろもっと肥えて大丈夫ですよ」


 にかっと笑って、出穂は私を抱きしめる。

 それからゆっくりと、私の頭を撫でた。


「紅緒様は凄く可愛いですよ。毒を食べる訓練も、辛くても頑張ってるでしょう?」

「なんでしってるの?」

「内緒です。でもご飯食べるの、それで苦手になってても、きちんと残さず食べてるのも知ってます」

「……おなかもおくちものどもいたいから、やめたいんだ」

「でも必要な事だから止めないのも、俺は知ってるっす」


 ゆらゆらと揺りかごのように、私を抱きしめながら出穂が揺れる。

 一定のリズムで揺れる出穂の腕の中は暖かくて、私は彼の胸に顔を埋めた。

 父様に抱っこされたのはいつが最後だったろう? こんなだったような、もう少し狭かったような?

 思い出せないけど、出穂の腕の中は暖かくて気持ちいい。


「他にも色々知ってます。お勉強めっちゃ頑張ってるのも知ってるし、乳母やカテキョに大事なぬいぐるみ棄てられても、誰にも言わないで泣くのも我慢したのも、俺は知ってるっす」

「……おうぞくなのに、いつまでもみっともないってみんないってたのに?」

「俺はみっともないなんて思いません。人の大事なものを勝手に捨てるような、性格クズのがもっとみっともねぇっす」

「……おこってよかったの?」

「俺は貴方の味方っす」

「うん……」


 私の背中を宥めるように、出穂の手が柔らかく擦る。

 その手の暖かさに段々と私の瞼が落ちていくと、暖かいものが額に触れた。

 柔らかいそれに、閉じそうな瞼をあげると、出穂の唇が振って来て。私はまた目を瞑る。


「俺は貴方が何処にいても、必ず迎えに来ますから。だから今度からは、俺の名前を呼んでください」

「うん……」

「寝て下さい。起きたら必ず傍にいるっす」

「うん……ありがとう、出穂」


 ふつりと目の前が暗くなる。でも不思議と怖くはなかった。

 そして瞼に明るさを感じて目を開けると、出穂の顔が目の前に。

 ふわりと逞しくて大きな手が私の前髪を上げた。カーテンの白が目に眩しい。


「おはようございます、紅緒様」

「…………うん」

「紅緒様は小さい頃からめっちゃ可愛かったっす」

「…………いずほ」

「どんなとこにも、どんな時にも、たとえ夢の中でも、必ずお迎えに上がります。だから俺を呼んでください」

「うん」


 同じベッドで寝ていた夫は、私を夢の中まで追いかけてきてくれたらしい。

 額にキスを落とされて、私は幸せに微睡んだ。

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紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く やしろ @karkinos0701

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