番外編

おやっさんの独り言

『どっちもそんなに好きではないのだろうけれど、比較的肉より魚。量は少なく』


 王家に生まれた者の倣いとして、紅緒様の食事には毒が盛られていたらしい。そのせいで彼の御方は食べるのが苦手で、どうしても食事に手を付けるのが苦手だったという。

 それが俺が紅緒様の部隊に配属されたころの、俺のメモ。

 俺には十二で死んじまった姉貴がいて、それがまた雰囲気が紅緒様とよく似ていた。

 食べることが大好きだった姉貴が、悪い病気にかかって段々と食べられなくなって痩せ細っていったのと、紅緒様の食の細さが重なって、俺はそれを何とかしてやりたくて。

 少しでも食べるの事を苦に思わないようになってもらいたい一心で、俺は只管に献立帳を書き綴った。

 それから三年ほど経ったある期間は一週間ほど書き込みがない。

 この一週間は紅緒様が入院されていたからだ。

 青洲様の部隊も常盤様の部隊も敵の術中にハマったお蔭で、紅緒様のいた基地に奇襲を仕掛けられて、俺みたいな非戦闘員を含めた新兵を守るために、あのお方は囮を引き受けなさった。

 俺や新兵はどうにか逃げおおせたけど、紅緒様と彼の方の供をして死地に残った新兵は相当な怪我を負われたという。

 それでも紅緒様が戦場に持ち込んだ魔導錬金術の御業で、どうにかこうにか二人は一週間で退院出来たそうな。

 しかし一週間だ。

 元々細い食が、その間にもっと細ってしまったかもしれない。

 俺は紅緒様の細った食に対応すべく、アレやこれやと策を練っていた。

 それが功を奏したのか、紅緒様の食事量は入院する前とそんなに変わらずに済んだと、この時はそう思っていた。

 けれどそれが違うんじゃないかと思い始めたのが、その半年後。

 アイツが紅緒様の分と自分の食器を下げて持ってきた時だ。


「すんません、ちょっとお聞きしたいことがあるんすけど」

「おん? なんだ?」

「紅緒様の飯の量、普通より少なくねぇっすか?」


 そんな事を聞いてくるやつは、ソイツが初めてで。

 笑えばそれなりに可愛い顔の小僧だったが、「出穂」という名前を聞いて俺は鼻を鳴らした。

 紅緒様にくっついて死地に行って戻って来た小僧が、その功をもって紅緒様の副官となったのは、俺のような裏方にすら知れ渡る話だった。

 ある意味有名人な小僧は、いつも通り三か月経ったら他の部署に異動するんだろうってのが大方の予想だったが、それを裏切って半年もその椅子に居座っている。

 ソイツが何を聞くかと思ったら。

 だから俺はソイツに紅緒様から聞いたことを教えてやったら、何か神妙な顔をしていたのを俺は奇妙気持ちで見ていたっけ。

 そうしたらその日からソイツは厨房に顔を出すようになった。

 何をするかと言えば、料理の作り方や材料を聞いたり、その料理についた名前の由来だったり、とにかく色んな事を一通り聞いて行く。

 一体何をしたいのかと思ったら、その理由はしばらくしてから紅緒様の皿に現れた。

 肉を出すとほとんど残しておられたのが、全て平らげて返ってくるようになったのだ。


「どういうこった?」

「ああ。紅緒様が少し食べてみて、駄目だったら俺が貰ってるっす」


 俺は小僧を捕まえて、お前が食っているのかとド直球に尋ねた。

 するとそんな答えが返って来て。

 何でも紅緒様に俺から聞いた材料や料理法の話をすると、紅緒様はそれに興味を抱いて、苦手なものでも少しは食べてみようとされるらしい。

 それで食べられた時は全て召し上がるし、無理だったら小僧が貰っているとか。

 元々紅緒様は小僧が副官になってから、自身の食事を分け与えていたそうで、それも小僧は喜んでいたが、俺から紅緒様が食事を摂るのが苦手と聞いて少し考えたという。


「紅緒様が俺に飯をくれるのって、俺が喜ぶからもあるけど、やっぱおやっさんが自分の事考えて作ってくれてんのに、それを残すとかしたくないからだと思うんすよね」

「……だろうな」

「そんでじゃあ、どうやったら紅緒様も食べられるようになるかなって考えたんす。そんで紅緒様、材料の話とか料理法の話とか好きみたいだから、そう言うので興味を持ってくださったら、ちょっとは食べられるかなと思って」


 はにかむように言った出穂に、俺が言えたのは「そうか」だけだった。

 それから俺も、紅緒様に御聞かせ出来るような話を料理に添えるようにした。

 この時期くらいから、俺の献立帳には献立以外の話も載るようになって。

 その料理を好んだ歴史上の人物のエピソードやら、料理の謂れやらを探しているうちに、それは俺の第二の趣味になって行った。

 その中で「ソテー」だのなんだのというような洒落た料理よりも、里芋の煮っ転がしやこんにゃくの田楽みたいな素朴な物の方がお好きだとか、実は甘いものに目がないだとか、そんな知らない一面を紅緒様は見せて下さるようにも。

 それだけじゃなく、食べるのが苦手なせいで食事時はどこか苦しそうにされていたのが、ほんのりと笑みを浮かべてその時間を過ごされるようになられた。

 食は生きる糧、その楽しさは明日への希望になる。

 紅緒様は執着という物を持たない、目を離せばすぐに此の岸から彼の岸に渡りそうにみえる人だった。

 それが、笑って食事を摂ってくれる。

 その事がどんなに嬉しい事だったか。

 俺は密かに出穂に感謝した。

 でも、変化はそれだけに留まらなくって。

 出穂が先に味見をしたモノは、どんなに苦手な肉でも、紅緒様は口にされるようになったのだ。


「俺が食ってるの見たら、何となく食べられるような気がするそうっす」

「お前は旨そうに飯食うもんな」

「紅緒様にもそう言われましたよ。『出穂が美味しそうに食べるから、食べられそうな気がする』って」

「そうかい」


 にこにこと嬉しそうな出穂に、俺は呆れたような態度をとる。

 コイツが紅緒様に食事を召し上がってもらうために、小さく切って渡したり、先に毒見をして見せたり、色んな事をしているの知らないヤツはこの部隊にはいない。

 それを阿りだと取る奴もいれば、馬鹿にする奴だって他の部隊にはいる事も。

 でもそんな事でそれを十年以上も続けられるだろうか?

 俺は少なくとも、出来ない。食事を作る工夫をするのがいっぱいいっぱいだ。

 俺は開けていた献立帳を閉じた。

 もう瑞穂の国に敵対する国は僅か。もうすぐ戦争が終わるだろう。

 それでも出穂は紅緒様のお傍にという約束をいただいたらしい。


「そうなったらあの方が召し上がるものは全て、俺の手で作りたいっす」

「そうかい」


 そんな会話を交わしてから、ヤツは俺の弟子になった。

 脳裏に、俺の作った菓子を食って仄かに笑うあの方が浮かぶ。

 これからは、その微笑みはただ一人に向けられる事になるんだろう。

 なんだか娘を嫁に出す男親の気持ちが解った気がして、俺は微妙な心持になった。

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