そして大団円

 あれから一年経った。

 結局のところ、紅緒様は王位継承権の返上こそ許されなかったが、軍から退くことは許された。代わりに魔導錬金術研究の全てを任せられている。

 戦争の爪痕はまだいたるところに深く残っているから、それを癒すためにこそ紅緒様の手腕は必要とされているのだ。

 その重い責任と引き換えと言うのは言葉が悪いが、紅緒様の領地は王都にほど近い海辺となった。

 月の半分は王都で仕事をして、残りの半分を領地の運営に使う。

 その領地で紅緒様は軍にいたころにもしていた、魚の養殖に関わる研究を行えるようになったのだ。

 一方俺はと言うと、軍からはやはり退いた。しかし、一旦有事が起これば紅緒様と共に軍に復帰することになっている。

 今は紅緒様の伴侶に相応しくあるように、領地経営を然るべき人から教わりながら、紅緒様の秘書のような仕事をしていて、勿論何処に行くにも連れて行ってもらっていた。

 男の俺が王位継承権を持つ紅緒様の伴侶であることにとやかくいう連中がいないでもない。

 でもそういう連中は陛下が俺を評価していて、紅緒様に求婚できる地位を与え、認めているという事実の前では黙らざるを得ない。

 そう、陛下は俺を紅緒様の伴侶として認めておられる。

 それはとりもなおさず、曲がりなりにも陛下や青洲様や常盤様と紅緒様の間をつなげて来たからだ。

 紅緒様と親兄弟の間には、やっぱりまだ隔たりがある。俺としては別にそれをどうこうしようとは思っていない。

 だが相変わらず送ってくる菓子は「貰いものです」とだけ告げて紅緒様にお出ししているし、お礼状に紅緒様の近況も添えて俺の名前で出している。きっとそれはこれからも代りはしないだろう。

 俺はただ紅緒様が幸せであればいい。紅緒様が幸せなら俺も幸せなんだから。

 いや、違う。

 一つだけ俺には不満があった。


「……兄上、また求婚できなかったそうだ」

「っすか。あの人なんなんすか?」

「私の兄で世継ぎだな」

「でしたねー……」


 紅緒様が執務室の机の上に組んだ手にご自身の額を押し当てた。

 青洲様は以前から本命の女性がいて、その方に戦が終われば結婚を申し込むという目標を立てていたらしい。

 そして晴れて戦乱に終止符が打てたのだが、予想外にもあのお方は結構な奥手だったのだ。

 見つめ合うと素直にお喋り出来ないらしく、そのご令嬢の前では寡黙になり、結局呼び出してお茶を飲んでは求婚の「き」の字も口に出せないまま時間になる。

 それをもう三度だ。


「……いい加減にしてもらいたい」

「っすね」


 ぐしゃりと紅緒様が読んでいた求婚失敗の報告書が、お手の中で握り潰される。

 滅多なことで怒らない紅緒様が、今は物凄く怒っていた。俺はそっと紅緒様のお手から報告書を受け取ると、その頬を撫でた。

 何でこんなに紅緒様が怒っているかっていうと、俺と紅緒様はもう本当に言い交した仲ではあるけれど、さすがに婚儀がご嫡男より先というのはどうかという話があるからで。

 俺としては別に届け出とか形式とかにこだわりはないが、それが王族である紅緒様の評価に関わるのであれば郷に入っては郷に従う。

 因みに紅緒様は王位継承権第二なだけあって、臣籍降下がまだ出来ない以上、婚儀については俺が紅緒様に娶られる形になるそうだ。

 両方男なんだけど立場として、俺は紅緒様の嫁。

 夫と書いて「つま」と呼ぶ文化が瑞穂の国にはあるから、それはいいさ。

 まあ、うん。この話を女官とかと話すと、必ず目を逸らされる。

 ついでに娼館のオネエサンと、某紅緒様ファンかつ俺の知己な貴族の爺様は、腹抱えて笑ってたけどな。

 愛は何物をも乗り越えるのだ。 


「機嫌治してくださいよ」

「だって……!」

「今日のお茶は桜餅がお供っす」


 そう言ってお茶と桜色の餅をお出しすると、紅緒様がほんのり笑う。

 まだ不機嫌は紅緒様の眉間辺りにさ迷っていたけれど、桜餅を一口に切り分けて、紅緒様のお口に差し出せば、ほわほわとそれを食む。

 その間に俺は報告書に目を通すが、そこに書かれたご令嬢の様子を見るに春は近そうだ。

 案外次のお茶会で、ご令嬢の方から青洲様に求婚があるかもしれない。それはそれで面白いものが見れそうな気がするが……。

 そんな事を考えていると、俺の唇に柔らかいものがふにりと当てられた。

 紅緒様が桜餅を俺の口の前へと差し出していた。


「紅緒様?」

「出穂も食べるといい」

「いや、俺は……」

「一緒に食べると美味しい」

「っすね」


 頷いて俺は桜餅を少しばかり齧る。そうすると、残った餅を紅緒様はご自身の口の中に放り込んだ。

 艶やかでぽってりとした唇が動くのに、俺の目は釘付け。

 餅と一緒に口づけたい衝動を飲み込むと、紅緒様が悪戯っぽく俺を見ているのに気が付く。


「紅緒様?」

「出穂なら……いいぞ?」


 そう言ってトントンとご自身の唇に人差し指で触れられる。

 想いを交わしてからこうやって、紅緒様は俺の理性を粉々に砕こうとされる事が増えて。

 俺は「降参っす」と白旗を上げると、紅緒様の頬を両手で包んだ。

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