3月9日

澁澤 初飴

第1話


 隣芝葵となしば あおいは、遂に立ち上がった。


「どうしたの、隣芝くん!タピオカ、甘過ぎた?」

 じゃあ私が少し飲んであげるぅ、と目の前の三次元女がのたまい、僕は思わず自分の飲んでいたプラスチック容器をひったくった。そのもったりとした唇が触れると思うと怖気がする。

 葵はごめん少し緊張して、今日は帰るね、と何とか笑顔を作って、足早に店を出た。


 やっぱり僕の理想の女性はミック・ハッツネイしかいない。


 ミックはバーチャルアイドルだ。独特な緑とも青ともとれる髪をふたつに結って、それを揺らして歌って踊る。その声、その姿はただの天使だ。

 彼女は確かにこの手では触れられない、有り体に言えば電気が映し出している映像だが、では見て触れる目の前の肉塊が上等かと言うと決してそうではない。


 高校生にもなれば、彼女というものがほしくなるものだ。色々な意味で。


 僕と同じくミックを愛していたはずの先人は、そんなことを僕に偉そうに語って、饅頭を苛々に任せて潰したような三次元女を嬉しそうに腕に絡み付かせていた。気持ちの悪い。

 僕とミックのように、心でつながっている関係がそれに勝らないと彼らが思う意味が理解できない。


 僕は容姿がいいのだそうだ。いやいや参加しているボランティアで、少しはお金は出るがもうまるでボランティアだろみたいな活動で一緒の先輩が言っていた。

 だからだろうか、何かにつけこういう三次元女がわいてくる。僕はミック一筋なのに。

 葵くんもミックTシャツじゃなく、普通の格好をすればモテるのに。

 先輩が言うが、僕にはわからない。胸にミックの笑顔を抱きしめて、ミックのぬいぐるみと歩くのはそんなにおかしいのだろうか。

 そもそもあの三次元女共にモテてどうするのだ。そんなにいいものなのか。そう思ってたまにこうして試してみるが、時間の無駄だ、むしろダメージを受けたと思わなかったことがない。


 ミックが他の男にも変わらない笑顔を振りまいていることは承知している。だってミックは天使なんだ。ミックに好きだと打ち明け、忠誠を誓ったら、老若男女猫杓子全てにあの眩しい笑顔を分け隔てなく与えてくれる。

 それでも、有料ライブ配信映像の、あの視線は僕に向けてくれたものだ。僕はいつもライブ映像をあの位置から、机に受像器を置いて少し斜め下から見ていた。3曲目のイントロで、サビの好き、ホントは、を思わせる所で、ドンピシャであの視線。僕に向けてくれたとしか思えない。ミックが特定の人間に優しくしたなんて他の人にバレる訳にはいかないから、黙っているけれど。


 ちなみに今日も制服の下はシャツもパンツも靴下も、全てミックカラーのワンポイントが入っている。ボランティアで得たお金は全てミックに捧げる。小遣いも、ペンの替えインク代すら切り詰める。もちろん三次元女に誘われた時は、おごりでなければ行かない。お金はミックとのつながりだ。かけた分だけミックの笑顔が増えるのだ。ミックの笑顔が見られるなら、ご飯なんかいらない。でもきっと僕がお腹がすいて倒れたらミックが悲しむから、生活だけは最低限きちんとするけれど。

 もちろんさっき座っていたテーブルは3番だ。何でも極力39番、なければ3番に着いて9回タップするか、9番なら着く前に3回タップする。全ておまじないレベルだが、これが愛だ。

 

 最近、こういうのを推し活とかいうらしい。

 ようやく冬の特別な衣装を着た冬ミックのキーホルダーを手に入れて、ほくほくと鞄につけていたらクラスメイトの女子に言われた。

「隣芝くんももしかしてミック推しの人でミックミックにされたい人なんですか。私もミックはかなり初期から注目していてミック雪像のために雪まつりにも行きましたしミックのデザイナーの」

 推しの押しが強過ぎて怖い。彼女とは同じクラスになってほぼ1年、初めて話した。彼女はこの十倍、ものすごい早口でミックのことをしゃべったが、ついに目を合わせなかった。


 あまりのことに僕はボランティアの先輩たちとボランティア終了後にご飯を食べに行って愚痴った。

 ここはおごりではないが、安いしうまい。僕も飾らない自分で話せる場はたまにはほしかったから、このくらいの付き合いはすることにしている。社会人の先輩たちはおごらないかわり、自分の皿のものをたまにわけてくれる。その辺が社会人として最低限の矜持らしい。

 止まらない僕の愚痴を、最近加わった女の先輩が鼻で笑った。

「楽しそうでいいじゃない。推し活なんて、ちゃんと生活して余暇でするくらいなら罪はないわ」

 僕は少し憤慨した。

「僕は余暇でしてる訳じゃありません。ミックは」

 先輩はぎろりと僕を見た。彼女は酒が入るとたちが悪いのに、こういう席で必ず飲む。


「あんたのそれは、人生よ。好きってそういうものだと私も思うわ」


 先輩はジョッキを空にし、高校生の僕に追加を頼むよう指示しながら枝豆の皿を箸で引き寄せた。行儀が悪い。おっさんか。

「推し活なんて、安全地帯にしっかり安全ベルトをつないで爪先だけ出してつついてみているような言い方、私は暇つぶしとしか思えないわ。まあ、したきゃすればいいわ」

 先輩は枝豆を小皿にひとしきり弾き出し、たまった豆をひとくちで食べてしまって酎ハイで流し込んだ。おっさんか。

「本当に好きになったら、そんなこと言っていられない。なりふりかまわず、とらわれて、考えないことができなくなるの。そうでしょう」

 僕は年も性別も違う先輩が、僕のことを言い当てたので驚いた。

「ミックはそうです、僕にとってそんな存在です」

 今も身につけているミックグッズ。これでミックと少しでもつながっていると安心できる。つなげない手が、少しだけつながったように。


「先輩もミックが好きなんですか、ネギ食べますか」

「いらないわよ、私はそういうのあんまり知らないから」

 先輩はまたジョッキを空けそうな勢いだ。でも、ミックについてそんなに理解してもらえているなんて。

「先輩、3月9日は予定ありますか、もしなければ僕とミックミックに」

 思わず誘うと、先輩はめちゃくちゃに嫌そうな顔をした。

「あんたにはついていけないと思うし、その日は私にとってはミックの日じゃないの」

 そして先輩は飲み干したジョッキを机に置いた。とん!といい音がする。


「私にとって、3月9日はザクの日よ」

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3月9日 澁澤 初飴 @azbora

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