第08話 面子は、常識や法をも凌駕する。

 「鶴岡さん、毒入りカレー事件の再審請求が出ていますがどうされるんですか」

 「どうもこうもないやないか。部総括争いに巻き込まれたくないわ」

 「黒田長官の案件ですよね」

 「黒田さんは引き継いだだけや、あれは貧乏くじやで」

 「そうやってあの案件は先送りされてきた経緯がありますね」

 「その厄介ものが回ってきたと言うことや」

 「で、どうされるんですか」

 「どうもこうもないがな。誰の目にもあの案件は矛盾だらけや。触らぬ神に祟りな

  し。何かと落ち度を見つけてやなぁ、先送りにするに決まっているやないか」

 「それが、無難ですよね。下手に正義感を出せば、左遷ですからね」

 「阿保な事言うな。出世のために正義を売られへんがな。ただ、真実が何か何ても

  う誰も分からへん。何十年経っていると思うんや。判断できひんことをやれと言

  われても無理やがな。先送りしたってマスゴミも騒がへんわ。元を正せば奴らの

  身勝手な推察や追い込みがこの案件を複雑にしたさかいに黙っているやろ」

 「私たちにとってもマスゴミにとっても厄介な案件や、先送りや先送り」

 「鶴岡さんはどう考えておられるんですか」

 「この程度の証拠で極刑の判決を出した奴に聞いてくれ、考えたくもないわ」

 「闇ですね、この案件」

 「そもそも疑わしくは罰せずなんて、あらへんわ。検察が黒だとすればそれが全て

  や。有罪率が高いのは、面倒な捜査を私たちがやりたくないからや。いや、そん

  な時間などあらへんわ。回覧板のように次に回せばええだけや」

 「鶴岡さんも本音は無罪、ですか」

 「も、って君もそう思っているんやろ。なら、この件には触れるな」

 「はい」

 「でもな、古傷をほじくり返して出世争いに加担できるんやったら、考えないでも

  ないわ」

 「黒田さんは、一度、鶴岡さんを出世争いから離脱させた人ですからね」

 「そうだったかいなぁ、もう、忘れたわ」

 「今、黒田さんは、工藤さんと部総括を争っているとか」

 「知らん、知らん、そんな内輪の事、興味ないわ」

 「工藤さんはこの案件に携わっておられない。黒田さんを追い落とすにはいい材料

  かと」

 「そのお鉢が回ってくるのは私やで」

 「確かに。工藤さんも下手にこの案件には手を出せませんよね」

 「そうや。無実の者を何十年も確証もなく拘束しているわけやからな。判決がでて

  も執行できない理由や」

 「世間は忘れるが、既決囚は生きている。まさに私たちにとっては地雷か時限爆弾

  のような物ですね」

 「願わくば、時間が解決してくれるのが一番と上は考えているやろうな」

 「先送り、ですね」

 「それしかないやろ」

 「弁護人は、矛盾点を突いてきますよ」

 「幸か不幸か、証拠の矛盾点を突かれても不備だらけで判断何てできひん。出来な

  いものは判断のしようがないやないか」

 「悪魔の証明、ですか」

 「悪魔か。無実の人間を権力で拘束し、その関係者の人生も狂わせたのは事実だろ

  う。それを認められない私たちは悪魔だろうな」

 「複雑ですね。正義が通らない現状」

 「それは違うで。通らないのではなく、障害物を誰も取り除こうとしないだけや」

 「威厳・権力・組織か…。醜くて怖いですね」

 「その中に君もいるんだ。正したければ、私の元を離れてからやってくれ」

 「鶴岡さんはこの案件をどう考えておられるんですか」

 「そやなぁ、君が正義感を出して全てを敵に回す覚悟があるとして言うのなら、こ

  の案件は…」


 鶴岡は、口籠った。


 「そういう事ですか…」

 「何や、私は何も言うてへんで。勝手な憶測は控えるべきやで」

 「じゃぁ、今から話すのは風の又三郎ってことで」

 「宮沢賢治か。自然の声ってやつか。まぁ、ええ、聞いたるわ」

 「この案件は、そもそもスタートラインが間違っていた」

 「ほ~、おもろそうやな、ええ風の声かもな、続けてや」

 「大きな事件になれていなかった所轄が事件を見誤ったまま進み、それを結論とし

  て事件解決としようとした」

 「影を始めて見て怖がる子供のようやな」

 「はい。浮足立った所轄は殺人事件として決めつけ、犯人探しに躍起になり、あら

  ゆる状況を考えず捜査したことにより、多くの確認事項を疎かにした」

 「裁判官も経験は大事やで。判事補を10年未満勤めて判事になるのも一例やな」

 「はい。結論は、子供の悪戯が引き起こした惨事。鍋を洗ったのはその母親でしょ

  う。その特定は今となっては難しいでしょうけどね」

 「ええ風やな。そもそも当時、判決を言い渡した判事はもう亡くなっている。今と

  なってはそれこそ闇の中や」

 「検察の聴取を信じるだけなら、私たちは要りませんよ」

 「そうや。かといってドラマのようにいちいち判事が事件現場に出向いていたら、

  未処理の事件ばかりになるで」

 「そうですね。私たちは検察の提出する自分たちに都合のいい作文の善し悪しを見

  抜く力を求められます。それには世間というものに常にアンテナを張っておかな

  ければ対処できません」

 「せやから、裁判員制度を取り入れたんやろ。しかしなぁ、素人がいきなり裁判に

  参加させられて何ができると言うんや」

 「確かに、いちいち説明する手間と慣れない環境に戸惑う民間人を介護する手間だ

  けが増えたようなものですからね」

 「ほんまや。中には名探偵気取りで持論をぶち上げる者もいて厄介や。アメリカの

  ように陪審員の評決で決まるわけでもないしな」

 「まぁ、再審になっても裁判員制度の適応外ですが…」

 「適用されてたまるかな。辻褄の合わないことを指摘され、あたふたするのはご免

  や。所詮は他人の判断や。その尻拭いなどしてたまるかいな」

 「そうですね」

 「ああ、もう、ええわ。臭い物に蓋をする、それでええやないか」

 「法曹界の犯した罪、ですか」

 「阿保。今のは削除や削除。思うてる事でも口に出したらあかん」

 「あっ、すみません」


 冤罪をなくすため尽力する弁護士や勇姿には聞かせられない闇の風の声だった。

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事件シリーズ 美味しいカレーは、恐いカレー。 龍玄 @amuro117ryugen

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