第2話 人見知りなだけ

 高校卒業後の春休みには部活動の仲間たちと鬼怒川へ訪れました。サッカー部に所属しており、部員はちょうど11人でした。一人だけ、進学せずに就職する人がいました。その人だけ行きませんでした。


 お金は父に貰いました。そんなにすぐに用意できるわけないだろう、と叱られましたが、後で返すからと無理を言いました。


 大宮駅に集合し、おやつを買って出発しました。春日部駅から特急に乗ると、1時間半で行けるようですが、なぜ大宮駅集合にしたのかは覚えていません。


 温泉につかっているだけで時間が過ぎていきました。自分で考えないと、何も覚えていないものです。二日間も一緒にいたはずなのに、何もかも忘れてしまっています。自分で計画を立てた旅行は何時の便の飛行機に乗り、どこの出口を出て、どのバスに乗ったかも覚えているものです。ウラジオストックもベトナムも、バリも、忘れていません。


 唯一覚えているのは、帰りの駅で出会ったおじいさんとの会話です。

 一人ひとりの性格を、5分ほど話し当てていきました。

「あなた、お人好しでしょう。あまり前に出たがらないけど、顔を見れば分かるよ。いいお母さんになるよ。」

 一言も喋らずただにこにこしているだけでしたから、誰が見てもお人好しと分かるはずです。こんなことまで覚えている自分は、これまでなんて人と話してこなかったのだろうと思いました。


 そういえば、手相を見てもらった時も、友達のお母さんと話した時も、同じようなことを言われたと思い出しました。

 自分は本当に良いお母さんになるのか、誰でも同じようなことを言われているのか、他に言うことがないからこんなことを言っているのか、分かりませんでした。お人好しだとなぜ良いお母さんになれるのかも、分かりませんでした。お人好しって、流されやすい人のことだと思っていました。強くないとお母さんにはなれないと思っていました。なぜ弱い、意思のない自分が良いお母さんになるのか、不思議で仕方なかった。


 鬼怒川旅行の思い出は特に作らないまま終わったと思います。きっと、早く帰りたいと思っていました。誘われたから行っただけです。みんなが行くから、断る勇気がないから、行っただけです。

 自分で自分の人生を決めることが嫌いでした。全部、他人のせいにしたいと思っていました。


 だって、あの人の言うとおりにしただけだもん、だから私のせいじゃないもん、そう思いたかったのです。


 嫌なことを嫌と言えない子どもでした。

 なんでもいいよ、でも後で裏で文句を言っている子どもでした。


 でもそれが良かったのです。自分では何も責任を取りたくなかったのです。自分を守りたかったのです。


 自分が一番大切でした。傷つきたくないと思っていました。

人のせいにすることで自分を守っていた、だから何も覚えていないのです。どうして私が今こんな人生を送っているのか、ここにいるのか、なぜあの時あんなことを言ったのか、わからないのです。


私の18歳はそんな子どもでした。

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芋娘眠子 @immsmnmk

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