10.縁に立つ男

 墓穴の縁に立って真下を覗き込めば、底の見えない闇が続いている。

 深津は自分がいる場所を見回した。

 周囲には灰色の墓石が並び、ここに多くの人達が眠りについていることを知らせている。

 盆も過ぎ、訪れる人も少なくなったが、思いを込めた花々や灯された蝋燭、線香の香りと白い煙が晴れた空に昇っていった。



「深津さん、こっちです」


 片手を上げた清菜が呼びかけていた。

 腕には花束を抱えている。

 その傍には藍野の姿もある。

 深津は二人の姿を目に止めると、数日前の廃団地の夜を思い出していた。


 あの時意識を失い、再び目覚めるとなぜか藍野の部屋にいた。

 自分のベッドで日付を確認すると、翌日の朝だった。

 直後におはようと言いながら姿を現した藍野を見て、安堵すると同時に疑問も湧いた。

 あの後どうなったか彼に訊ねたが、どうにも話が通じない。

 詳しく聞いてみれば、藍野は予定通り金曜の夜に実家から戻り、いつもと変わりない週末を過ごしたらしい。

 慌てて清菜にも連絡したが、奪われたはずの電話に出たのはちゃんと清菜だった。こちらの様子に怪訝な表情を浮かべているのが想像できたが、その場に座り込みたいほど安心したのも確かだった。

 だからという訳ではないが、深津は今彼女と一緒に墓参りに来ている。

 ちなみにだが清菜の無事を確認した直後、新木戸から『お二人の記憶を消して、何もなかったことにした私の気遣いに感謝してもらっていいですよ』とあからさまに恩を売る余計なメールが送られてきた。

 一方、東仙は殺人事件の犯人として特定された。

 潜伏する暮林団地に警官が突入、しかし抵抗し、彼はその末に過度な自傷行為を図り自殺。自供は得られなかったが、状況証拠が強固だったため容疑者死亡のまま起訴の予定。だがこれも東仙が犯人という事実だけを残して、新木戸が多くを書き換えたものであるのは明白だった。

 殺された人達は戻らないが、遺族にとってこれが一つの心の切り替えになることを望むしかなかった。今回の件に少しでも関与してしまった深津ができるのはそれだけだった。


 父親の墓前に立った清菜は花を取り替え、蝋燭を灯し、線香に火を点ける。

 手を合わせる彼女の背後で深津も手を合わせた。

 これで何かが許されるとは思っていない。

 しかしいつまでも目を背けていることもできないはずだった。

「ちょっと挨拶してきます」

 寺院へと向かった清菜を見送り、深津は藍野と霊園の入り口で彼女を待った。

 隣には何か言いたげな顔があるが、突然の心変わりをした相手に一応気を遣ったのか、その件を問い詰めるつもりはないようだった。

「深津」

「何だ?」

「頼みがある。今度俺の友人の墓参りにも一緒に行ってくれるか?」

 深津は隣の相手を見遣った。

 記憶が消されているなら、こちらが友人の件を知っているのを知らないはずだ。

 自分にだけこうやって記憶が残される状態は時に混乱を呼び、少し煩わしくも思うが、あの日起こった出来事を考えればこれが最良だった。


「何だ? 俺は墓参りに誘いたくなる顔でもしてるのか?」

「いいや、でも嫌なら無理にとは言わない」

「嫌とは言ってない。行くよ」

「行くのは俺の高校時代の友人の墓なんだ」

「へぇ」

「俺はいつも彼の墓前で後悔ばかりを繰り返していた。でも彼が生きていたら一緒に酒を酌み交わしたい友人ができたって報告する。そいつは自分のことを〝どうしようもない人間だ〟って言うが、本当はそうじゃない。彼にはお前を忘れた訳じゃないが、よかった日のことももっと思い出せるようになりたいと言ってみようと思ってる」

「……そうか」

 深津は呟いて、その場から目を逸らした。

 自分をどうしようもないと言ったのはあの時だ。

 消されたはずの言葉が藍野の中に残っている。

 全てを消さなかったのは、新木戸の計らいか。

 無論彼に感謝などしないが、次に会ったら多少優しい受け答えもしてやろうかとも思う。


「戻ってきたみたいだ」

 藍野の声に目を遣ると、こちらに歩み寄る清菜の姿がある。

 笑顔で手を振る彼女に深津も振り返した。

 あの夜見たものは、目を逸らしたくなるものばかりだった。

 しかし深闇の底にも光はあった。

 その先がまた闇だったとしても、そこに光はあった。

 この日々が与えられた罰だとしても、この生が終わる時まで正面から向き合う。

 突然この日々に終わりが来ても後悔しないように生き続けるのが、墓穴の縁に立ち続ける自分のさだめだと深津は思った。



〈了〉

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デッドマンスタンド・グレイブピットエッジ 長谷川昏 @sino4no69

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