第18話 タイム・ゴーズ・バイ
30年の月日が流れた。我が家に届いた香南高校同窓会からの封書を開いた。そこには卒業30周年の同窓会が12月29日にあることが記されていた。
おれは20年ぶりに彼の地を訪れた。同窓会の2時間前、おれはあの丘にある神社の前で、竹下と中島を待っていた。
5分もしないうちに、竹下と中島がそろって姿を現した。一目でわかった。竹下は見た目があまり変わらないが、中島は少し額が後退している。おれも、実はつむじのあたりが薄くなっている。それぞれ、経年変化は確実に起こっているということだ。
竹下は大手の家電メーカーの子会社で中間管理職。26で結婚。子供が二人。この町には帰ってこなかった。
中島はなんと高校の教員をしている。30で結婚。相手は坂本ちゃんとは違う女性。子供は一人。
生徒指導も2年ほど経験したらしく、問題を起こす生徒を見ては、おれのことを思い出すそうだ。
おれは、大学卒業後、水産会社に就職。アフリカで現地の海産物を買い付ける仕事を3年続けたが、日本が恋しくなって帰ってきた。その後、親戚のコネで某スポーツ新聞を発行する新聞社に就職。バツイチ。子供は合計3人いる。
おれたちが座っている腰掛から、母校の香南高校が見える。校舎の位置は変わっていないように見えるが、さすがに校舎は改築、もしくは建て替えられているのだろう。
3人とも卒業後、学校を訪れたことはない。体育教官室の反省部屋は今もあるんだろうか?
思い出の母校を見ながらしゃべっていると、あっという間に、20分ほど経っていた。天気はいいが、日も暮れかかり、風も出てきた。戸外で話を続けるのは限界だった。もう、48,49歳、無理もない。
同窓会での再会を約束して別れた。神社に続く階段を下りて、憧れの智子さんと原田さんが歩いた道を歩いてみる。懐かしい街並みが夕日を浴びて輝いていた。故郷に戻ってきたことを実感する。
おれはホテルの部屋に戻って休むことにした。ホテルは神社から近いところを選んだから、懐かしい道を10分も歩くとホテルの玄関に着いた。
会の開始時間は午後7時。まだ時間がある。部屋に入り、ベッドに横になり、天井を見ていると、高校時代に天井の木目を見ていたことを思い出した。竹下、中島との会話からあの当時をよみがえらせてみる。
自分の進むべき道が見つからず、漠然とした不安に苛まれ、親父にあたっていた自分。自分に自信がもてなくて、愛するものを傷つけていた自分。
いつからだろう、そんなことを考えなくなったのは?生きることに精いっぱいで、二者択一の世界で生きてきた今の自分。
それを成長と呼ぶのだろうか。そんなことを考えるうちにうたた寝をしてしまった。
気づくと会の始まる20分前である。急いで身なりを整え、部屋を出た。交差点で信号待ちをしていると、声をかけられた。
「山村君、山村君でしょ」
振り向くと、小柄で上品な初老の女性が立っていた。明るいベージュのコートを纏い、おしゃれな帽子をかぶっているが、その瞳に見覚えがあった。
「先生、村上先生ですか!」
「そうよ、『村ばあ』よ。正真正銘の『村婆』になったわ」
なんて、失礼な口のきき方をしていたんだろう。
二人で思い出を語りながら歩くと、すぐに会場のホテルに着いた。会場に着いて、受付を済ませてからも、二人で壁際の椅子に座って、話を続けていた。
「あなたのおかげでね、私、しばらく有名人だったのよ」
「あの放送のせいですか。すみません、勝手なことをして」
「いいえ、誇らしかったわ。あの『村ばあ』先生ですかって言われて」
「あれから、どう過ごされていたんですか?」
「予備校の講師はもうだいぶ前に辞めたわ。母を看送った後、38歳の時にね、結婚したの。子どもはいないけど、主人と楽しく暮らしてるわ」
結婚したのか。よかった。
「あなたはどうしてたの?」
27歳で結婚したこと、34歳で離婚。40歳で再婚したこと、合わせて3人の子供がいること、現在の仕事のことなどを話した。
「安心したわ。あなたはブレーキが利かないところがあったから」
「親父にも言われました。今はだいぶ落ち着いたと、自分では思っているんですけど、、、」
時刻は、会の開始時間を5分過ぎていた。世話役らしき女性がやってきて、村上先生を恩師の席に誘導していった。彼女は後姿もお洒落だった。
7時10分になって、やっと会は始まった。恩師代表のあいさつは西本先生だった。
先生の音頭で乾杯があり、一気に会場は賑やかになった。
おれは、西本先生を取り巻く人垣が消えたころを見計らって、挨拶に行った。
「おお、山村君か。君のことは覚えてるよ。なにせ、有名人だからな」
「そんな言い方、大袈裟ですよ」
「いや、君たちが卒業したころに比べると大人しくなったよ、生徒は」
「そうですか。そんなに変わりましたか?」
「変わったね。君らみたいに無鉄砲な奴はいなくなったな。時に、山村君、本当は森岡たちと酒飲んだんだろう?」
「飲んでません。行ってないんです。先生、よくそんなこと憶えてますね」
先生は体を揺すって笑い出した。
おれはちょっと躊躇したが、こんな機会はもうないだろうと思い、訊いてみた。
「先生、体育祭の直前、天赦園でのこと、覚えていらっしゃいますか?」
「さて、なんのことかな?」
先生は穏やかに笑っていた。
その後もいろんな人に会って、思い出話をした。マイクを持たされて、例の校内放送事件の再現劇もやらされた。会場の雰囲気に逆らえなかった。それなりに、ウケていた、と思う。少なくとも、『村ばあ』は笑っていた。
おれは、森下を探していたが、最後まで見つからなかった。何人かに消息を聞いたが、その後の彼女を知る人は誰もいなかった。
会の3日前に、森下が参加者名簿に載っていないか、同窓会の事務局に尋ねたところ、彼女の現住所がわからないので、案内状を送っていないと云われた。
でも、何となく、ふらっと現れる気がした。だが、現れなかった。
中学3年で都会から転校してきて、周りから浮いていた彼女にとって、高校時代の思い出は、おれを含めて温かいものではなかったのだろうか?
おれは、1年生の時の音楽教師、渡辺さんの存在も気になり、座席表を確認したが、見当たらなかった。これなんかな、森下が同窓会から背を向けるのは、それとも、、、。
段々と酔いが醒めてきた。その頃ちょうど、閉会セレモニーが始まり、参加者がクラスごとにひな壇に集まって、集合写真を撮って、お開きとなった。
竹下と中島を探し、帰ることを告げた。竹下にもう少し残らないかと誘われたが、丁重に断った。
思い出の商店街は、会場のホテルから歩いて10分くらいの所にあるので、寄ってみることにした。
30年の月日は街の姿を変え、おれを浦島太郎に仕立て上げた。丸文も無くなっている。初めてレコード(ズーピン・メータ指揮、ロンドンフィルハーモニーのホルスト作曲『惑星』)を買った店は、吉野家に姿を変えていた。
商店街から道一本外れた場所に『名画座』があったが、その場所はビルそのものが立て直され、映画館の面影さえ残っていなかった。時の流れには抗えないのか。
襟口から侵入する寒気にさっきまでの熱量を奪われたので、近くの路地裏におでん屋を見つけて、おでんを肴に焼酎のお湯割りを呑み、ホテルに帰った。
楽しくもあり、森下のいない寂しさもあり、複雑な気分で床に就いた。感情が高ぶっているのだろう。なかなか、寝付けない。カーテンを開き、南向きの窓から外を見ると、南の空高く、月が昇っていた。今日は確か、十六夜だったはずだ。
おれは荷物の中のポシェットから、最近飲み始めた睡眠導入剤ゾルビデム5㎎錠剤を取り出し、ミネラルウォーターで飲み干した。
アルコールを飲んだ時には服用しないように、と言われたが、深酒はしていないから大丈夫だろう。こんな考え方がいけないのだろうが、眠れずに朝を迎えるのは避けたかった。
30分ほどして効果が表れ始めた。瞼が重くなる感覚に陥る。やがて、おれは眠りについた。
翌朝10時過ぎの飛行機で、伊丹に到着した。同じ飛行機に同級生が乗っているのではないかと思ったが、気づかなかったし、話しかけられることもなかった。
バスと電車を乗り継いで、1時間30分ほどかけ、我が家に着いた。
ダイニングで自分の入れたコーヒーを飲みながら、朝刊に目を通していると、今年から小学校に上がった娘が話しかけてくる。最近、おれに当たりが強い。
「お父さん、森下さんって、だれ?」
耳を疑った。
「ちーちゃん。電話がかかってきたの?森下さんから」
「ちがう。お手紙が届いてるの」
玄関に走って行った娘は、手紙を持ってきた。しまった、旅の疲れで郵便物のチェックを怠っていた。
「この名前、何て読むの。森下 えーっと」
「貸してごらん」
「女の人でしょ」
「そうだよ。お父さんの高校の時の同級生だよ」
「同級生って、同い年の人よね。そういのって、よくないんじゃないの。お母さんは笑ってたけど」
最近、やたらと攻撃を受けることが多い。脱いだ服を脱ぎっぱなしにするな、髭の剃り残しがある、お酒を飲み過ぎだ、、、。
「だいじょうぶだよ、ちーちゃん。お母さんも笑ってたんだろ」
「読み終わったら、私にも見せてね。お母さんには黙っといてあげるから」
最近の学校では一体何を教えているのだろう。
「ちーちゃん、少し黙っててくれるかな」
「私、もう小学生よ。ちゃんと名前で呼んでください。千里って」
「千里さん。お父さん、お部屋でお手紙読んでくるから、このコーヒーカップ、キッチンに持って行ってくれるかな」
「しょうがないわね。もう」
おれは自分の部屋に退避した。
一週間前、ひょっとしたらと思い、高校時代の物をしまっている段ボール箱を開け、二人で買ったメモ帳を発見した。そこに記されている住所に名画座のチケットを入れた手紙を送ったが、どこをたらいまわしになっているのか、戻ってこなかった。たぶん、届いてはいるけど、返事がないのかもしれないと思い、諦めていた。
封筒の表を見た。おれの住所と名前が書道のお手本のような字で書かれている。見覚えのある字だ。裏には、「森下 琴美」とだけ、書いてある。
はさみで封筒を開けると、かすかにコロンの香りがする。森下だ。間違いない。
「突然届いたあなたの手紙で、私は30年前の日々を思い出しました。名画座に来たんですね。『ある愛の詩』。懐かしく思い、先日DVDを借りて観ました。あなたと観られたら、きっと忘れられない思い出になったと思います。
仕事帰りに満月を見ると、あなたと並んで夜空を眺めたテニスコートを思い出すことがあります。次の満月は、来年の1月24日ですね。あなたが見る満月を、私も遠く離れたこの地で、一人眺めたいと思います。あなたと、皆様のご多幸をお祈りします」
おかしいな。あの時、空に月は出ていなかったはずなのに、、、。まあ、そんなことはどうでもいい。封筒の中をよく調べたが、入っていたのはこの1枚だけ。住所は書かれていない。切手の消印を見ると、神奈川のある街だった。
とりあえず、彼女が生きているのはわかった。それだけで、ほっとした。
妻のみどりが年末年始の買い物から帰ってきた。リビングの所定の場所に腰を下ろした妻に、さっそく娘がチクっている。
「お母さん、お父さん、あのお手紙、自分の部屋に隠れて読んでたのよ」
妻は笑っているが、娘は真剣な表情である。おれは、部屋に戻って、彼女の手紙を持ってきて見せた。再婚した時から、面倒になりそうなことは抱え込まないことにしている。
「あら、素敵じゃない」
手紙を見たがる娘のために、妻は手紙の内容を分かりやすくかみ砕いた文章にして、読んで聞かせた。そして、読み終わると、
「お父さんはね、若いころ、女の人にモテたみたいよ。ちーちゃん、いけませんね」
どこの家もこんなものなんだろうか。
夕食後、部屋で仕事の資料を整理していたら、かみさんがおれの携帯を持ってきた。着信表示を見ると、別れたかみさんとの間に生まれた長男からだった。
「ありがとう、スキー楽しかったよ。お父さんはスキーやったことないの?」
「あるよ、昔、白山の方でな」
大学の集中講義で、大山にスキー合宿に行ってきた帰りらしい。費用を送った礼のつもりなのだろう。話は妹の話に移った。
「元気にしてるよ。大学へは行かないみたい」
「そうか、あれなりに考えがあるんだろう。そっとしてやれ。何かあったら連絡をよこせ」
短い通話だったが、礼の電話をよこすだけ、おれよりましだ。
「千里がやっと寝たわ。ずっと、あなたが浮気してるかもしれないって、大騒ぎよ」
「いったい、どこで、そんなこと憶えてくるんだろう」
「テレビで芸能人の浮気話も流れてるし、まあ、こんなことも今だけよ」
「そうだろうな。そのうちに、相手をしてくれなくなるんだろう?」
職場仲間の会話では、悲惨な状況を耳にすることが多い。不潔だとか、いやらしいとか、臭いとか、、。
「息子さん、元気にしてるの?」
先ほどの会話を伝えると、
「バツイチは大変だね。頑張って!」と肩を叩かれた。
おれの部屋は南向きなので、窓から昨日より少し痩せた月が観える。おれの人生の中で変わらないのは、月の満ち欠けだけだろうと思う。
1月24日の満月は、近くの温泉の露天風呂で、家族と一緒にゆっくり眺めよう。
アテナの横顔 @nobu65
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