第17話 そして、旅立ち
冬休み中は、中島も実家に帰っている。竹下の家に行っても二人だと、間が持たなかった。年が明けて、中島が帰ってきたら、3人で会う約束をして別れた。
この時期は驚くほど受験勉強に集中できた。森下からは、決まって夕方に電話があって、その日何があったかをおれに話したがった。おれは、黙って聴いていた。正月が来ても、その生活は変わらなかった。
3学期が始まる前に、中島の下宿で3人集まった。部屋には中島のお気に入りのディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』が流れていた。5分も話すとネタも尽きてしまった。目の前に迫った『受験』のプレッシャーがおれたちを無口にしていたんだろう。試験が終わってから再開することを約束して別れた。ほんの20分くらいのことだった思う。
約束は守られず、あれ以来3人で集まったことはない。
3学期の授業が始まると、それまでとは全く違った学校生活になった。すぐに私立大学の受験が始まり、学校でも問題を渡されて解いて、答えの解説を聴く授業になった。受験科目以外の授業には出なくなった。出席日数が足りていればそれでいいらしい。
森下は第一志望の私学に合格した。引っ越しの日取りも決まった。2月12日だ。
図書館の工事は1月19日から始まり、もう使えなくなった。学校での大事な居場所がなくなった。森下はもう来なかったが、いつもの場所に座っているだけで、彼女が隣にいるような気がして、心が落ち着いたのに。
森下とは2月10日に学校で会った。髪型を変えたせいか、随分大人びて見えた。歌謡曲の歌詞ではないが、季節が彼女を大人に変えていた。図書館は工事中だったから、保健室を訪ねた。福ちゃんはおれたちを温かく迎えてくれた。
おれの家の近くの喫茶店で、20分ほど話し込んだ。雨の日に森下が雨宿りしていた文房具屋で買ったメモ帳の最初のページに、お互いの連絡先を書いて、別れた。その時、これっきり会うことはないかもしれないと、どこかで感じていた。彼女もきっとそうだったと思う。
おれは一期の入試で、得意のはずの化学で失敗し、もうだめだと思ったが、ふたを開けるとなぜか合格していた。
二期の地元の大学の試験に向けて、家に籠って勉強した。決して手を抜いたわけではなかったが、生物環境学科はレベルが高く、倍率も14.5倍だった。あえなく惨敗。
九州の片田舎にある国立大学に進学することになったおれは、久しぶりに街に出かけた。別に目的はなかった。仲間と行った馴染の喫茶店に顔を出したり、服屋の丸文に行ってみたり。
名画座の前を通った時、上映中の映画ポスターを見て、驚いた。そこには『ある愛の詩』のポスターが貼ってあった。何で、今頃。思わず、切符を2枚買って中に入った。その頃は、入れ替えなしだったから、上映途中でも入れた。
古くて、ベルベットの生地がところどころ剥げ落ちている椅子は、座るときに独特の枯れた音を立てた。スクリーンを見ると、父親との関係修復を勧めるアリ・マッグローに対して、心無い言葉で傷つけたことを必死に謝るライアン・オニールに対して、彼女が語り掛ける場面だった。
「愛情とは後悔しないことよ」
まるで目の前で森下がおれに語りかけているような気がした。その時に買ったもう一枚の切符は、今も大切に持っている。
映画館から出た時、すべての風景が違って見えた。馴染のあった町並みが、どこかよそよそしく感じられた。
中島は首都圏の私立大学工学部に合格。竹下は第一志望、第二志望の国立大学の受験に失敗。近畿の私立大学工学部に進学することになった。
卒業式は3月20日。中島は家庭の事情で来れない。竹下の家の前で待ち合わせた。
竹下は学校ではなく、おれが通い慣れた丘の上の神社へ行きたがった。登ってみて、その理由がわかった。北側に廻ると、おれたちの母校香南高校がよく見えた。
おれたちの教室も窓が開いている。教室の中のやつも見える。
「行かなくていいのか?」
「おれはいいよ。山村、お前は行ってこいよ」
「おれもいいや。瀧さんには、このあいだ3人で挨拶に行ったろ」
森下は来ない。卒業証書は神奈川に送ってもらうと言っていた。
校内放送がかかったようで、みんな教室からいなくなった。
竹下がポケットからセブンスターを取り出して、ライターで火をつけた。二人で、天赦園でのタバコ事件を思い出して、笑った。森岡も卒業式に行ったのかな。
二人でしゃべっている間に、卒業式も終わったようで、教室にみんなが戻ってきた。
しばらくすると、校門のあたりや、運動場で記念撮影しているのが見えた。ここではもう間が持たない。竹下を誘った。
「頂上に行ってみないか」
頂上まで、20分くらいかかったと思う。頂上の広場に着いたときは、二人とも汗をかいていた。
天気が良かったので、遠く離れた海岸線もよく見えた。
「山村、お前、狙い通りに、この町を出れてよかったな」
「ああ、そうやけど、複雑やな」
「どうして?」
「弟がおる。弟は頭がええけん、県外の大学に行く。だからな、親父はおれに地元の大学に行けっていうとった。二人とも外へ出す金がないんやろ」
「大丈夫なんか」
「ああ、奨学金とか、アルバイトで何とかするよ。行ってみんと分らんけどな。嫌やったら、辞めてもええ」
「そんな風に考えるな。おれな、この町に残りたかったけど、京都に行く。もう、この町には帰って来んかもしれん」
「それこそ、行ってみんと分らんやろ」
「その通りやな」
二人顔を見合わせて笑った。
家に帰ると親父に呼ばれた。親父の書斎で、向かい合った。
「よう頑張ったな。ここに10万ある。無駄遣いはするな。毎月必要な金は送る」
郵便貯金の通帳が机の上に置いてある。名義はおれ。開くと10万円の残高が記入されていた。
「雪叔母さんがお前のために積み立ててくれた金もあるさかい、大丈夫や。心配するな」
涙が頬を伝うのがわかった。おれは何故、泣いているんだろう。自分でもわからなかった。
雪叔母のことを思い出したからか、それとも親父がおれを県外の大学へ送り出してくれるからなのか。
靖叔父から合格祝いの電話がかかってきたが、おれは出なかった。親父が、代わりに礼を言ったらしい。
その夜、親父がおれの部屋にやってきた。
「無理に付き合えとは言わん。靖叔父のことはおれも知っとる。お前より、よっぽど詳しい。けどな、お前を可愛がってくれたことは間違いない。そのことは忘れるな」
「父ちゃんは、あの場におらんかったけん、そんなことが云えるんよ。香典の金を巻き上げて、お母ちゃんを怒鳴りあげたあの姿、、、」
「あの時はお前に悪いことをしたと思っとる。すまんかった」
それっきり、二人とも押し黙っていたが、沈黙を破って、親父はおれに注文を付けた。
「冷静に聴け。お前は情は深いが、かっとなると、何をするかわからんところがある。相手の話をよく聴いてな、しゃべる前によう考えて、言葉を選んで話をせえ。感情をそのまま相手にぶつけてはいかん。素直になるんや」
正論を述べる親父に対しておれは、感情をそのままぶつけた。
「ああ、その通りなんやろ。父親があんたでなかったら、おれも、もっと素直な男になれたやろ」
云い終ってから、しまったと思ったが、もう遅い。
二人の間には絶望的な深さの断崖が現れた。
肩を落とした親父が、俯いたまま呟いた。
「そんなことを言うな」
おれは、いたたまれなくなり、部屋を飛び出した。足は自然といつもの神社に向かっていた。歩きながら、おれは自分に悪態をついていた。
「親父が正しい。おれはくそじゃ」
それから、3日後、おれは家を離れた。お袋は玄関先まで出てきて、電停まで歩くおれの姿をずっと見送っていた。次の曲がり角を右に曲がるともう、家は見えなくなる。おれは振り返った。
玄関先には親父がお袋のそばに立っていた。その光景は今もはっきり覚えている。
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