妻の推し活は俺の推し

葵トモエ

第1話

俺は、ガチの理系である。だから、はっきりいって、歴史なんぞに興味はない。江戸時代なんて何年続いたか知らないし、将軍なんて、家康と暴れん坊ナントカしか覚えてない。幕末なんて、黒船が来たら次は井伊直弼が暗殺されて、大政奉還されたんだろ?その前に坂本龍馬が殺されたんだっけ?


「違〜う!!逆、逆!!大政奉還の方が先よ!龍馬は大政奉還の立役者なんだから」

とクレーム。これが妻だ。大河ドラマとか、歴史クイズを見ると、ウンチクを語り始める。はっきり言ってウザい!俺は、素直に番組を楽しみたいんだ!


妻は幕末と新選組が大好きだ。しょっちゅう土方歳三や沖田総司の漫画やアニメや、関連本を読んでいる。片道2時間もかけて、有名な先生(俺は知らない)がやっているという講座を聴きにいく。土方の命日には、墓参りに行くと言って出ていった。俺の実家の墓参りなど、何年も行ったことがないのに、だ。『推し活』というらしい。特に、娘が結婚してからは、暇ができるとさっさとひとりで、聖地巡礼とかに出かけるのだ。まあ、どうせ俺はわからないからいいけど。


そんな俺らだが、一緒に京都に旅行に行くことになった。だが観光先で揉めた。妻は新選組の聖地巡礼がしたいなどとぬかす。俺はそっちは全く興味ないから、東寺とか、三十三間堂とか、清水寺とか、絵になるところを回りたい、というと、

「じゃ、別行動」

と勝手に決めてしまった。


俺はで旅がしたかったのだ!!


ひとりで観光地を巡るのはつまらん。観光ガイドもいるが、ほとんどが高齢者だ。悪いが、俺も還暦過ぎ、今更、同年代の尻について歩けるもんか。


「東京から来はったんどすか?」

という、可愛らしい声に顔をあげると、若い娘だった。いや、指輪をしているから、人妻か。

「よろしかったら、ご案内させてください」

その女性は、首から下げたカードを見せた。『後守』と書いてある。

「あともり、と読むんです。京都以外では珍しい名字なんです」

と言った。観光ガイドだということがわかり、俺は、

「いや、けっこう。ひとりで観光しているんで」

と断った。若い女だからといって、ホイホイ付いていくと思ったら大間違いだ……だが、結局、まだガイドを始めたばかりで、観光案内の練習だけでもさせてほしい、という彼女の願いにほだされ(?)俺は彼女にガイドをしてもらうことになった。


「西本願寺、行かはるんですか?」

と彼女が聞いた。

「え」

その時、俺は初めて、自分が西本願寺の前にいることに気がついた。夕べ、妻が絶対ここだけは見たい、と強調していた寺だ。別に意識はしていなかったのだが、通りで寺の名前と矢印を見て向かってしまったようだ。

「行きましょ」

と彼女が俺の手を引いた。なんだか力強い。雰囲気はか弱そうなのに、不思議だ……不思議といえば、彼女はなんとなく、懐かしい感じがした。服装がそうさせるのだ。今時の若い女性の服、というよりは、俺たちの若い頃に似ていた。ファッションは繰り返す、というから、また流行っているんだろう。


ひととおり説明をうけながら廻った最後に小さな城みたいな建物の前に来た。

「これが、太鼓楼です。幕末に、新選組が使うたんで有名なんです」

と彼女が説明した。それを聞いた俺は、なんだか自然に、本当は妻と旅行に来ていたのだが、妻の新選組聖地巡りに閉口して、別々に観光する羽目になったことを、彼女に話してしまった。言った途端、恥ずかしくなって目をそらすと、

「奥さまは、一緒にいたかったのと、違いますか?」

と彼女が言った。俺は、はっとした。別行動、と言ったときの妻の顔を思い出した。どこか遠くを見ていたような、寂しそうな……

「ひとりで観るより、ふたりが楽しいのは当たり前ですやろ。奥さまは、ご自分が好きなもんを、旦那さんにも一緒に見てもらいたかったはずです。でも、わかってもらえへんのがわかってるから、諦めたんです」


そういえば、俺はいつも、妻に

『~に行くんだけど』

と言われても、

『ああ、行ってくれば』

としか答えなかった。どうせ俺にはわからない、関係ない推しの話だ、と無関心だった。最初に別行動をとったのは、俺だった……

「夫婦って、『連れ合い』って言いますやろ。いろんなとこに連れ合ってこそ、長い時間を一緒に生きていけるんや……」


「もし、あんた、こんなところで寝ていては風邪引きますよ」

という声に、俺は目が覚めた。うっかり太鼓楼の前で寝ていたらしい。初老の男が、俺に声をかけた。

「あれ、観光ガイドの方は?」

「あんた一人どしたよ。すんまへん。不手際あったらわしが受けますんで」

と出された観光ガイドのカードには、『後守』という名が。

「あなたも、あともりさん?」

すると、その男が、

「この名字を一度で正しゅう読む方は、あんまりいらっしゃらへんのに。ようご存じどすな」

と言って笑った。この男、ずいぶん彼女とは歳も離れているようだが、親戚かもしれないし、クレームをつけても、彼女が叱られるだけだ。案内の練習中に寝てしまったおっさんが置いていかれたって、文句は言えないだろう……と、そんなことを考えた俺は、

「いや、以前、観光ガイドをしてくれた方が、そんな名前でしたから」

と言葉を濁した。後守という男は、

「……同じ名のガイドが、他にもおるなんて……聞いてへんな……」

とぼそっと言ったあと、

「すんまへんな。今日は、妻の命日どして、ガイドは休みなんですわ……もう、うなって30年にもなるんやけど、つい、ここに来てしもうて。お客さんも、新選組のファンなんどすか?最近は、太鼓楼だけ見に来る方が増えましたな。『推し活』とかいうて」

と言った。俺は慌てて弁解しようと、

「いや、俺じゃなくて妻がファンで……奥さん、亡くなられたんですか?」

気になってつい聞いてしまった。余計なことを言ったかな、と後悔したが、後守さんは微笑んだ。

「わしは、妻が亡うなってから、観光ガイドし始めたんどす。仕事人間どしてな、妻の好きなこと、ちいとも知らんかったんで」

「奥さんもガイドを?」

「あの頃は、ガイド始めたばかりで、一生懸命どした。京都の歴史と新選組が大好きなおなごどしたが、わしは京都で生まれ育っても、そっちには全く興味があらへんかったんで、あいつはいつもひとりで歩いとったんです」

俺と同じだ。

「もしかして、理系ですか?」

と聞くと、彼は頷いた。

「ガッチガチどす。工学系の会社で、設計士しとりましたから」

と笑った。

「まだ若かったわしは、働いて稼ぐことが妻を幸せにすると思うとった。だから、妻をひとりにするんは仕方ない、好きなことできるんやからええやろ、とほったらかしやったんです。妻は京都が好きで、歴史調べとるうちに、ガイドのボランティアをやるようになってな、それはそれで楽しそうやったけど、たまには一緒に町を歩きたい、言われて……」

「気恥ずかしかった?」

俺ならそうだ、と思いつつ聞くと、やはり後守さんも頷いて、

「あいつは、自分の好きな、ここで待ち合わせしようと言い出して、わしは仕事終わってから……約束の時間にずいぶん遅れてここに来たら、パトカーや救急車と野次馬がぎょうさんおって」

と言って口をつぐんだ。

「事故……ですか?」

「暴走した車が、歩道に突っ込んで来て、そこで観光客に道案内していた妻が跳ね飛ばされた……即死だったそうどす。お腹ん中の子も一緒に……」

俺は言葉を返せなかった。

「わしがちゃんと、時間通りに行っとったら、お寺さん中で会えとったら、妻は歩道で待つことなかった……後悔しました。ちゃんと妻の好きなことに向き合わなかったわしに腹立って、会社も辞めました。そして、妻が好きだったもんを見るために京都歩いて、歴史学んで、観光ガイドになったんです。小学生レベルから始めて、ずいぶんかかりましたよ」

後守さんは、昔を思い出すように語った。

「そこまで思える奥さんて、どんな方なんでしょうね」

何気なく聞くと、後守さんは照れながら写真を見せてくれた。その写真を見て、俺は愕然とした。俺はガチの理系である。科学的なものしか信じない。ましてや、幽霊なんて存在するはずが……


その写真に写っているのは、紛れもない、俺に西本願寺と太鼓楼の説明をしてくれた彼女だった。服装は30年前のものだった。懐かしいはずだ。俺たちがまだ若かった頃、妻もよく着ていた、『スタジアムジャンパー』を着ていたのだ。


俺はホテルに走って帰った。妻はもう戻っていた。

「お帰り。どうしたの?そんなにあわてて」

俺は、妻を見つめた。こんなに近くで妻を見つめたのは、何年ぶりか?

「明日は、俺も一緒に行く。お前の好きなもの、教えてくれ、一緒に見よう!」

妻は目を丸くしていたが、やがて微笑んで言った。

「あたりまえじゃない。明日は二条城に行くのに、ひとりじゃつまらないでしょ。ふたりで来たんだから、一緒に歩きましょうよ」

(そうだよな。『連れ合い』だもんな。まだまだ、連れ合わなくちゃ……)


あれ以来、夫婦の旅行は、俺が計画している。中心は妻の『推し活』旅行だ。俺はガチの理系なので、計画は綿密。長崎に行ったり、函館に行ったり、時間と費用に無駄はない。きっちり遂行できたときの満足感はなんともいえない。


妻の『推し活』を一緒に楽しむことが、俺の『推し』なのである。


終わり












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