アイシングオンザケイク

66号線

アイシングオンザケイク

 とある歌謡曲に、わがままは男の罪でそれを許さないのは女の罪みたいな歌詞があるけど、男の中にある女々しさにはどうすればいいのか。あれから数年経った今でも私にはわからない。


 きっかけは友達に誘われて行ったライブだった。彼の同級生がバンドとして舞台に立つというので、たまたま休みだった私は新宿のライブハウスへ向かった。白塗りの顔でベースを弾いていた友達の友達は、初対面では奇抜な印象だったけどメイクを落としたらイケメンだった。どうしてせっかくの美貌を隠すのかよくわからなかったが、正直にいえば舞台とのギャップにドキドキした。もうひとり、やはり友達に誘われてライブを見にきた先客がいた。ノリがよくて陽気で、どこにでもいそうな普通の青年だった。この出会いが長きにわたって大きな影響を与え続けるとは想像もしなかった。


 便宜上、ベースのイケメンを彼が心酔する某バンドから「ヨシキ」、普通の青年は後にいろいろと普通ではないことが発覚するので「イカれてる」から「テル」、事の発端を作った私の友達を「ペコ」と呼ぼう。理由は見た目も中身も赤ちゃんぽいから。もっとも、このペコが独自の展開を見せたせいで、話は意外な方向へと向かうのだが。


 連絡先を交換し、数ヶ月後。どーいうわけかペコ抜きで私たちは桜を見にいく流れになった。これまでもやりとりはしてて、


「今日、会社の先輩に連れられてキャバクラに行きました。66号線さんはキャバクラで働いたことはありますか?」


 深夜にこんなメールをテルからいただいたこともあった。どう答えてよいかわからず無視していると、今度は花見のお誘いメールが来た。実はちょうどヨシキにも遊びにいこうと誘われていたので、ペコも交えて4人で出かけようと考えた。本音を明かせば、ヨシキとふたりきりで出かけるのはまだ少し恥ずかしかったのである。ところが、ペコは何度も集合場所と日時を送っても既読がつかず「また携帯壊れてるのかよ」と呆れて放置した。そんなこんなな3人だけの奇妙な「お出かけ」がスタートした。


 目黒川沿いに咲く満開の桜を堪能しながら私たちは歩いた。ヨシキは無口でほとんど喋らず、代わりにテルが質問してもいないのに身の上話をとくとくと喋り続けた。テルは実家が相当な資産家で、田園調布を含め都内にいくつか土地を所有しているらしい。お父様は地元では指折りの権力者だそう。私がふんふんと聞いていると、たくさん話せたのが嬉しかったのかテルは満足げだった。その日は適当なところで解散した。ついにペコは最後まで姿を現さなかった。


 その後も何度か遊びに出かけたが、組み合わせはまちまちだった。主に誘ってきてくれたのはテルからで、ヨシキは都合があえば参加するという感じだった。多い時では土日連続で彼らと会っていた。私はペコが沈黙しているのが気になっていた。


 ある時、テルとヨシキがそれまでとは違った一面を見せる出来事があった。

 実はライブにはもうひとりペコの友達が来ていた。彼は知人から譲り受けたベンツを乗り回していたので「ベンツ」と呼ぶことにする。ベンツ君も少し変わった人で、人見知りが激しいために突然現れたペコと仲が良い先輩の私に慣れるまで数ヶ月かかっていた。ようやくフランクに接してくれるようになったベンツ君と私は、全員が参加するグループチャット内で雑談を楽しんでいた。ひょんな弾みで「私が好きなバンドが仙台でライブするからでベンツで送って」とチケットもないのに冗談でお願いしてみた。ジョークを楽しんでくれたのか「ノった笑」とベンツ君は返事してくれたが、そこに割り込んだのがヨシキであった。「僕も車で行く」とほとんど勝手に私を自宅までピックアップしに向かい始めた。こんなに強引なヨシキは初めてだった。私たちは沈黙のペコとテルを残し、大慌てで甲州街道沿いのある駐車場で落ち合うことにした。


 土曜日の夜11時にこれから仙台まで車を走らせるのは非現実的なので、話し合って近場をドライブすることに決めた。ベンツ君は(ややこしいことに)バイクで来ていたため、私はヨシキが運転する車の助手席に乗せてもらうことになった。ベンツ君おすすめの場所があるというので彼がバイクで先導する形で夜通し車を走らせると、朝焼けにキラキラと輝く狭山湖と宇宙船みたいな流線形の西武ドームが目に飛び込んできた。自然と人工物が織りなすスケールの大きな絵画に心が洗われる思いがした。紛れもなく彼らがいなかったら知るはずのない美しさで私の心は満たされたし、その感動を一緒に共有できたのが純粋に嬉しかった。あの景色はきっとこれからも忘れないだろう。ペコやテルともぜひこの感動を味わいたかったけど、この場にいないことがとても悔やまれた。

 相変わらずペコはグループメッセージ内での沈黙を続けていた。一方、テルは意外な反応を見せた。私たちは狭山湖の前に立ち寄った某温泉施設で「途中参加もアリだよ」と念のため場所の住所をグループに送った。しばらくして、テルからメッセージがきたと思ったらそれはニュースサイトのURLで、開くと有害ガスで清掃中の従業員が亡くなった某温泉旅館の記事だった。

 テルはただ一言だけ添えていた。


「ふっ。楽しんで」


 せっかく楽しい気分になっていたところに水をさされてしまい、私たちはため息をついた。私はこんなに子供っぽく拗ねたテルの態度にただただびっくりした。ところがテルの「異変」はこの日を皮切りにどんどんエスカレートしていった。明らかに私に対するグループチャット内での「当たり」が強くなっていったのである。


「30手前で焦らないのか」

「さっさと彼氏見つけて結婚しなさいよ」


 なぜテルにこんな親戚のおじさんみたいな余計なお節介なことを言われないといけないのか。はっきり言って腹が立った。男性による女性に対する無神経な発言だと受け止めた私はテルに意図を尋ねると、彼は突発的にグループチャット内を脱退してしまった。

 一部始終を見ていたヨシキとベンツ君は「テルは66号線さんが好きだから俺たちと出かけたのが面白くなかったんだろう」と彼の複雑な心情を代弁した。


「さっさと彼氏見つけて結婚しなさいよとは俺と付き合えという意味ですよ」


 などというヨシキの予想外な解説には絶句しかなかった。

 もし仮にヨシキが察する通りテルが私を好きだとしても、気を引くために意地悪を言うなんて小学生じゃあるまいし、いくらなんでも大人がやることとは思えない。アピールが幼稚すぎる。何かの恋愛教則本に書かれていたノウハウでも実践したのだろうか。それにしたって常識で考えたら通用しにくいことくらい分かりそうなものだが。少なくとも私には効かなかったし、それどころかテルの言葉は思うようにいかないストレスの塊で、腹立ちまぎれにぶつけられたとしか思えなかった。


 グループチャットを抜けた後、テルはしばらく私の前に現れなかった。代わりといっては語弊があるけど、私はヨシキとふたりで出かける機会が増えていった。お互いの好きなバンドのライブに行ったり、仕事帰りに渋谷や六本木でご飯を食べたり、多い時では週一のペースで会っていた。


 ヨシキはバンドでベースを弾いていたが、とんでもなく音痴だった。ある時、彼がいつもしている白塗りメイクの仕方を教えてもらった。新宿の専門店で揃えたという歌舞伎役者が使う本格的な化粧道具を借りて、カラオケでメイクの練習をすることにした。まずヨシキが手本を見せる。慣れた手つきでドーラン用のスポンジを使いこなし、あっという間に顔を白くさせた。続いて、ヴィジュアル系の独特なアイラインを器用に手早く引いていく。その手際の良さに私は素直に感心した。一通り作業工程を見た後で私が実践する番になった。待っている間、暇になったのかヨシキはある曲を歌い始めた。どこかで聞いたことあるようで、それでいて何かが違うメロディーだ。鏡と睨めっこしながら脳内で曲名の検索をぐるぐるかけていると、歌はサビに差し掛かった。


「あ! これBUMP OF CHICKENの『アルエ』だ!」


 BUMPは大好きだけど、ヨシキのはあまりにも原曲とかけ離れてしまってもはやオリジナルソングになっていたのである。気がついた瞬間に動揺のあまりアイライナーを持っていた手が震え、線があさっての方向へ派手にはみ出てしまった。歌い終わってすっきりした顔のヨシキに、私は目元を指差しながらこう言った。


「ここ失敗したのは君の歌に驚いたせいだからね」


 大袈裟に茶化すと、彼は困ったようなそれでいて照れてるみたいな作り笑いを浮かべて見せた。びっくりするぐらい歌下手っぴさんなのに、どうしてそんなに楽しそうなんだろう。まぁ、そんなところも面白くて、悪くないけど。

 ちなみに台無しにしてしまったメイクは急遽目の周りを星の形にぐりぐり塗りつぶしてKISSのメイクに変更することにした。


 

 ある日、会社の休憩室でスマホをいじっていたら、BUMPのオフ会グループの幹事の男性から電話がかかってきた。要件はテルのことだった。以前、BUMPのファン同士が集まるオフ会に誘ったら、テルは私に気を遣ったのか参加してくれた。もちろんヨシキたちにも声をかけたのだが断られてしまった。オフ会の幹事はテルの実家の近所に住んでいるらしく、頻繁に連んでいたようだった。


 オフ会の幹事に告げられたのは実に不可解な内容だった。テルは66号線のことが好きだと思われているようだが、それは勘違いだ。テルは仲間にフラれた男だと思われるのが耐えられないようだ。だから誤解しないでほしい。


 彼はそれだけ伝えると電話を切った。意味がわからなかった。第一、テルが私を好きだと解釈していたのはヨシキやベンツ君で、それは限られたメンバーで構成されたグループチャット内での秘密であり、当然、BUMPのオフ会関係者には知られるよしもない。テルが誰かに話さない限り、だ。それをわざわざ泣きついたせいで関係ない幹事までこうして首を突っ込んできた。このおっさんも相当ズレててあまり頭の働きがよろしくなさそうだが、事情を知らない人まで巻き込んで引っ掻き回そうとするテルも大概だ。なんていうか、ずいぶん女々しいなと思わざるを得なかった。


 残念ながら、男の女々しさを見せつけられたのはそれだけではなかった。ベンツ君から聞くところによると、テルはペコとも会って、あることないことを話し自身の窮状を訴えていた。その際にペコが放った言葉が今でも信じられない。テルに同情して慰めるつもりだったのかは知らないが、ペコの口から出たのは私への罵詈雑言だった。成り行きを見守っていたベンツ君ですら「俺たちと引き合わせた張本人なんだから、お前くらいは66号線さんの味方をしてやれよ」と可哀想に思うほどだったという。ペコのことは弟のように可愛がっていたつもりだっただけに裏切られた気持ちになった。

 さらに追いうちをかけたのが、しばらく経ってある関係者筋から明かされたのだが、仲良くしていたと思っていたヨシキもテルやペコに同調し、どういうノリなのかは不明だけど私をネタに「盛り上がって」いた事実だった。これは流石に参った。

 全く、とんでもないどんでん返しである。これが誰かの考えた三文小説なら、書いた作者は間違いなく無能だろう。そのほうがずっと良かった。傷ついた人は現実にはいないのだから。


 その後もしばらくヨシキとは焼き肉を食べたり作った曲を聞かせてもらったりなんかしていたが、本人にどういうことなのか真相を聞くのはかなりの勇気を振り絞らなければならなくて、臆病な私にはできなかった。こんなモヤモヤを抱えたまま、これまでのようにふたりで会う関係を続けるのは難しかった。


 ひとつだけわかったのは俗にいう「男の友情は女のそれよりも清々しい」は単なる神話に過ぎないという事実だ。実際には保身のために女性のメンツを潰し貶めてまで、内輪で傷ついた自尊心を慰め合うドロドロとした未練がましさがある。ちっともさっぱりしていない。私はいい勉強になったと自分に言い聞かせている。この身に起きた全てを前向きに捉えれば無駄にはならないはずだ、たとえそれが望まなかったものであっても。私らしささえ見失わなければ、いつかこの苦い経験も「アイシングオンザケイク」のように素敵に感じられる。そんな日を待っている。

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