ハッピーエンドは義務ですか?

卯堂 成隆

ハッピーエンドは義務ですか?

 ――推しが死んだ。

 俺も死のう。


 そう思い立って訪れたのは、廃ビルの屋上だった。

 管理の甘いこのビルは、前々から死ぬのに向いているなと思っていたのだ。


 さて、事の起こりは三日前。

 俺の最愛の推しであるアイドルが、握手会の途中で頭のおかしいファンにナイフで刺されて死んだのだ。


 犯人はその場で捕まり、すぐに裁判にかけられるだろう。

 だが、奴にどんな罰が下ろうともいなくなってしまった推しは帰らない。


 もう、何もかもどうでもいい。

 まるで風船のように軽い気持ちで、俺は手すりをこえた。


 その直後である。

 携帯のメール着信の音が鳴った。


 あぁ、飛び降りる前にポケットから出し忘れたなと、どうでもいい事が頭をよぎる。

 この世で最後に思うことがコレか。

 なんとも空虚な言葉を胸の中で唱えた直後に、衝撃と激痛が訪れる。 


 ――そして俺は、自分の部屋のベッドの中で目をさました。


「なにこれ。

 俺、死んだはずでは?」


 なんとも不可解な感情と共に体を起こし、状況を確かめる。

 なにげなく時計を見ると、そこに示されていた数字は……。


「え、今日じゃない?」

 そこに示されていた日付は、なんと三日前の朝。


「ま、まさか!

 まさか、まさか、これってタイムスリップと言う奴!?」


 念のためにスマホでも時間を確かめるが、やはり日付は三日前だ。

 そしてふと、俺はメールが届いていることに気づく。


 差出人は……空欄だ。

 こんな怪しいメール誰が開くというのか。


 だが、なぜか俺は無意識にそのメールを開いていた。

 差出人のアドレスは……これも空欄だ。


 なに、このあり得ないメールは?

 いったいどうやったらこんなメールが作成できるのか、そんな事を考えながら中身を確認すると、そこには短いメッセージ。


 「ハッピーエンド希望。 がんばれ」とだけ書かれていた。

 なんだろう、これは。

 もしかして、神か悪魔が俺に何かさせようとしているのだろうか?


「あ、そうか!」

 そこで俺はふと気づく。

 この世界、この時間ならば、俺の推しはまだ生きている!

 ……これは俺の推しを取り戻すチャンスじゃないか!


 気が付くと、俺はスマホを握ったまま部屋を飛び出していた。

 推しが殺されるまで、あと3時間ある。

 余裕で間に合うぜ!

 

 と、思っていた時期が俺にもありました。


「……方面の電車は、事故のため30分ほどの遅れがでています」


 茫然と立ち尽くす俺の耳を、駅員の無情なアナウンスが通り過ぎる。


「ひとつ前の駅で……」

「トラックが居眠り運転をして……」


 周囲のボソボソとしたつぶやきを総合すると、どうやら近くの駅で踏切にトラックが突っ込んでしまったらしい。

 これ、30分遅れで効くのだろうか?


 いずれにせよ、移動手段はこの電車だけではない。

 タクシーやバスをつかうなり、他の路線の電車をつかえばまだなんとかなる!


 とりあえず、今は路線などを調べる時間も惜しい。

 俺は近くのコンビニでお金をおろすと、タクシーを拾って別の路線の駅を目指すことにした。

 タイムリミットはあと2時間半。

 まだまだ余裕はあるはずだ。


 だが、運命はまたしても俺の邪魔をするつもりらしい。

 背もたれを殴りつけたい衝動を抑えつつ、俺は運転手のオジサンに話しかけた。


「おじさん、止まって!」

「どうしたんです?」


 そう問い返す叔父さんに、俺はつい先ほど視界に入ったものについて告げた。


「いま通った場所、歩道でお婆さんが倒れて……」


「どこですか!」


 車はすぐさま路肩に泊り、俺とタクシーの運転手はいまきた道をたどって走り出す。

 やがて、胸を抑えたままうずくまっている老婆の姿が見えてきた。


「大丈夫ですか!」

「しっかりしてください!」


 抱き起すと、老婆は目を開けたまま弱弱しくつぶやく。


「あ……たす……けて……」

 幸い老婆の意識ははっきりとしているようだ。


「119番に電話を!」

「あ、わ、わかった」

 タクシーの運転手さんはすぐさま病院に連絡をし、その結果、このまま老婆を車で病院に送り届けるということになった。


「じゃあ、俺はこれで……とりあえずほかのタクシーを拾います」

 そう告げて立ち去ろうとしたその時である。

 誰かが、俺の腕を強く握りしめた。


 その手の主は、目の前で苦し気にしている老婆。

 おそらくこの状況が不安なのだろう。


 だが、このままここにいたら……大切な推しが死んでしまう!

 しかし、彼女はつぶやく。


「お願い……行かない……で……」

 息も絶え絶えにそう告げる老婆を振り切ることは。俺にはできなかった。


 結局、俺は老婆と一緒に病院まで行き、そのまま老婆の家族を待つことになった。

 幸い、老婆の家族は病院の近くにいたらしく、待ち時間は30分ほどで済んだ。


 しかし、そろそろ時間がない。


「すいません、このあととても大事な用があるんです!」

 俺はそう言い残すと、返事も待たずに病院を飛び出した。

 次のタクシーはすぐにつかまり、少々財布に厳しいがそのまま現地へ乗り込むことに。


 そして俺が会場にたどり着くと、時間はギリギリ。

 もう、走らないとヤバい。


「あっ、君ちょっと!」

 会場の入り口で入場整理をしていたスタッフを一気に振り切り、俺は推しの握手会の会場へと飛び込んだ。

 見れば、ニュースで見た男がまさに推しの目の前にいる!


「危ない! そいつから離れて!」


「え?」


 戸惑いながら俺の方を見る推し。

 だが、そうじゃない!


「ちっ!」

 俺が叫んだことで犯行がバレたと悟や否や、殺人鬼は刃物を取り出した。

 その状況を見て、周囲でいつくも悲鳴が上がる。


 そして殺人鬼は刃物を構えて推しに向かって走り出し……。


「させるかぁぁぁぁっ!!」


 俺は走りこんだ勢いのまま殺人鬼に抱き着くと、力ずくで床に転がす。

 その瞬間、腹に激しい痛みと冷たい感触がもぐりこんだ。


 ……まずい。

 しくじったか!?


 全身かに力が入らない。

 もしかして……俺は死ぬのだろうか?


 けど、どうせ死ぬはずだった命だ。

 推しが無事ならば、それでいい。


「だ、大丈夫ですか!

 しっかりしてください!!」


 駆けつけてきたスタッフが俺の様子を伺い、遠くから救急車の手配をする声が聞こえる。


 そんな司会の片隅で、俺のさあいぁの推しは蒼褪めた顔のままスタッフに連れ去られていった。

 いや、彼女はそのスタッフの手を振り払うと、俺の方に近づいてきたではないか。


「あの……私をかばってくれたんですよね?

 どうして……私のために……」


 心配げな彼女に向かって、俺は精いっぱいの笑顔を向けてこう告げた。


「君は……俺の……推しだから」


 それだけ告げるのが限界だった。

 意識が遠のく。

 あぁ、また俺は死ぬのか。


 やがて意識が真っ白になり……気が付くと、自分の部屋のベッドの中だった。


 時間は3時間前。

 スマホから音楽が鳴り響き、メールが届いた事を告げる。


「また……アドレスが空欄になってる。


 中を開くと、こんな短いメッセージが記されていた。


 バットエンドだから今の無し。 次はもっとうまくやるように。


 どうやら、今日の神様はずいぶんと気前がいいらしい。

 いや、これはもしかして……。


「なぜ、俺に力を貸してくれるのですか?」

 そうつぶやいた瞬間、誰かの気配を背後に感じた。


「そのまま振り向かずに聞いてね。

 それはね……君が私の推しだからよ」


「俺が!?」


 驚きうろたえる俺に、その女性の声は優しく語り掛ける。

 だが、その内容は驚くべきものだった。


「私にとって、君は創作の中の人物なの。

 君は私の大好きな物語の主人公でね。

 本来の君は、推しが死んだ悲しみを抱えたまま自殺して、こことは違う世界に生まれ変わり、そこでいろんな冒険をするのよ。

 その物語は、最後にハッピーエンドで終わるんだけど……」


「全部読み終えた時におもったの。

 その物語って、本当に君にとって幸せだったのかな?」


「……違う」


 即答だった。


 俺にとって幸せなのは、自分の推しと同じ世界に生きることだ。

 推しのいない世界なんて、太陽がないのと同じこと。


 すなわち、闇だ。

 それがどんなに幸せな結末を迎えていたとしても、この持論だけは譲れない。


 すると、背後に立つ存在は、我が意を得たとばかりに喜んだ。


「でしょ?

 だから、君が本当に幸せでいられるよう推し活をすることにしたの。

 次はもっとうまくやってね。

 ハッピーエンドを願っているわ」


 そう告げると同時に、後ろの気配は消え去った。

 最後に……。


「だって、君は私の推しだから」


 そんな、優しい言葉を残して。


 さぁ、行こうか。

 俺はスマホを手に取り、財布の中身を確かめると、再び玄関のドアを開けた。


 今度こそは自分も幸せな結末を迎えて見せる。

 なにせ、俺は推しなのだから。


 ハッピーエンドは義務だろう?

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