「にわか」雨
かどの かゆた
「にわか」雨
好きだった漫画の四十三巻を買う。
小学校の頃は発売日を楽しみにして、カレンダーに赤丸をつけていた。そして、学校が終わるとすぐに、近所の書店に駆け込んだものだった。
でも高校生になった今は、何となく書店に寄って「あ、新刊出てたんだ」と気付いて買うようになった。
どうしてだろ。
書店にくっついているカフェへ入って、コーヒーを一杯頼む。そして、私は、買った漫画についてぼんやりと考えていた。周りには夢中になって本を読む人たちがいる。私だけが蚊帳の外だった。
小学校の頃、女子なのに男子と少年漫画の話ばかりしていて、周りに随分からかわれたっけ。それでも私は「好きなものの話をして何が悪い!」と陰口を意に介さなかった。私は、自分がオタクであるという自負があった。
何となく、買った漫画のタイトルをスマートフォンで検索してみる。
通信制限がかかったスマートフォンは、嫌がらせのように私へ検索結果を見せつけてくる。
『○○徹底考察! 実は△は☓だった!? 衝撃の伏線5選』
『□□ちゃんのグッズ、全部そろえました!』
『今回は△△くんのイラストを書きました!』
画面をスワイプする人差し指が、震える。
物語を必死に考察する人。コンテンツにお金をかける人。二次創作で作品を応援する人。そこには様々なオタクの姿があって、まるでそれが当たり前みたいだった。
オタクって、何だっけ。
どうして私は、同じものが好きな人たちをこんな冷めたグラタンのように塩っ辛い気持ちで見ているのだろうか。
自問自答の解答は、既に出ていた。
私は、この漫画のオタクじゃないんだ。グッズ欲なんてあんまり無いから、新刊を買う以外にお金を使ってないし。絵も小説も作れないし。ただぼんやり読んで「おもしれー」で感想は終わるし。
そもそも新刊をすぐに買わない時点で、お察しだった。飽きがきてるんだ。惰性で買ってるんだ。そういえば最近始まった新章はいまいちだった。ネットでも叩かれてるし。もうこの作品は潮時なんだ。ああ、こうやってネットの意見で作品の面白さを考え始めた時点でファン失格、そんなのはオタクじゃない。
思考がぐるぐるで、ぐちゃぐちゃで、膝の上に乗せているビニール袋の重みが増す。この漫画にかけた600円で、デザートを追加注文した方が良かったんじゃないか。ほぼ同じ値段のブルーベリーチーズケーキが頭をよぎる。
一人で漫画を買って、勝手に落ち込んで。私は何をしているのだろう。
うなだれていると、店員がコーヒーを届けに来た。私はそれを受け取って、コーヒーカップの温かく滑らかな触感に少し癒やされる。いい香りだ。味が苦いのも良い。今の気分にぴったりだ。
「なんか、他の趣味でも探すかなぁ」
何となしに、そんなことを思ってみる。例えば、自分でコーヒーを淹れてみるとか? と安易な想像をした。ちょっと面白いけど、コーヒーって覚えること多そうで、敷居が高いイメージがある。中途半端に手を出したらその界隈の人に失礼だったりしないだろうか。
そこまで考えてみて、私は自分の無趣味さに気が付いた。
私って、何が好きなんだろう。胸を張って好きだと言えるものが、私にあるのだろうか。学校の先生は耳にタコが出来るほど「個性を大切に」と言っていた。好きなことを伸ばすべきだと、そう言っていた。でも、まんまるツルツルの心を持った私は、どこにもつまんで伸ばすところが無いし、どこかに引っかかるようなこともない。
花の女子高生が、折角の放課後に、一人書店隣接のカフェでぼーっとしている。この事実が、何より私の空虚さを示している気がした。
私は買った漫画を取り出して、特典でついてきたシールをスマートフォンに貼った。せめてもの抵抗だった。
でも、もう私は気付いてしまっている。私は既に、オタクじゃない。
というか、私がオタクだった時なんて無かった。
ただ私は、自分の空虚さを誤魔化すために、漫画にしがみついているだけなのだ。挙句の果てには惰性で漫画を買って、ろくに読み込まずに部屋のインテリアにする。
気分が完全に落ちきって、なんだか不思議と笑いがこみ上げてきた。口角が自然と上がって、それから、思い出したかのように唇を噛む。
冷えたコーヒーは、いやに酸っぱい味がした。
書店を出て、家に帰ろうと思ったけれど、このまま自室に籠もるのは良くない気がした。また、ぐるぐるぐちゃぐちゃ考え込んでしまう。私は面倒な女だ。現に、私自身が最も私を持て余している。
他のことを考えたくて、私は無理やり散歩をしてみた。内側へ目を向けないように、見つけた野良猫へシャッターを切る。白い猫は右目に傷を負っていて、私のことを無視し、空を見ていた。ひげがぴくりと動くと、建物と建物の間へ、縫うように進んでいく。
「あー……」
もう一枚くらい撮りたかった。
私はスマートフォンを胸に抱えて、猫の行った先を見つめる。
「あ!」
すると、横から誰かの声がした。
反射的に声の方を向くと、そこには、同じ制服を着た女子高生が立っていた。ショートカットで、見ようによっては男子みたいにも見える子だった。リボンの色からすると、後輩らしい。
「え、えっと。私、なにかした?」
後輩に発見されて「あ!」と言われる心当たりは無かった。同じ学年になら友達はいるけれど、後輩の知り合いはいない。
「そのスマートフォン! ってか、シール!」
「あ、これ?」
「その漫画、私すっごい好きなんですよ!」
後輩ちゃんは一応敬語を使って、私のスマートフォンへと顔を近づける。その勢いがすごすぎて、私は後ずさりしてしまった。
「そうなんだ。でも、私は別にファンってわけじゃ」
「へー、そうなんですね」
「全巻揃えてるってくらいで、全然……」
書店での思考が後を引いて、私は自嘲的な笑みを浮かべずにはいられなかった。ストレートに「すっごい好き」と言える後輩ちゃんが羨ましかった。
きっと彼女は、この漫画をたくさん読み込んでいるのだろう。
「へー、全巻。じゃあ、貸してくれません? 私その漫画、一巻から十五巻と三十
一巻しか読んだこと無いんですよね」
そう思ったのもつかの間、彼女はさらっとそう言って、屈託のない笑みを浮かべる。私は頭が真っ白になった。
「……え。それで好きなの?」
言ってから、私は「あ」と声を漏らす。
失言だった。
確かに一瞬「すっごい好き」って、どの口が言うんだどの口が、って思ったけど。でも、私にその好きって気持ちを否定する権利なんて無い。
後輩ちゃんはきょとんとしていた。私の発言っていうより、急に慌てだしたことにびっくりしているみたいだった。
私が自責の念にかられて俯いていると、そんな私をどう思ったのか、後輩ちゃんはまた話を始めた。
「よくわかんないですけど、好きですよ。兄貴が中途半端に持ってるのを、何度か読んだりして。面白いですよねー」
「……うん。面白いよね、あの漫画」
この後輩ちゃんみたいな子を、ニワカって言うんだろうか。巻を飛ばして平気で読んじゃう辺り、ストーリーも結構適当に読んでそうだ。
でもやっぱり、私は、彼女が羨ましくて仕方なかった。
私だって、この漫画が好きだ。この漫画が面白いって、よく知っている。
なのに、どうして私は、胸を張ってこの漫画が好きだと言えないのだろう。一体、誰と比較して、何を悩んでいるのだろう。
ああ、やっぱり思考が巡る。こうなると、駄目なんだ。他人からすればどうでも良いことを悩んで、最終的にどんどん暗くなっていく。
「うわっ!? 雨!」
すると、後輩ちゃんが叫んだ。
シャツの袖に、水滴が落ちてくる。空を見上げると、明るいのに、雨が降ってきていた。
「雨……」
顔にかかった雫を感じて、それから、はっとする。
そういえば、私、漫画持ってるんだった。
「まずいまずい」
私は漫画の入ったビニール袋をお腹に抱えて、絶対に濡れないように防御する。突然の雨だったから、傘なんて持っていなかった。
「急にどうしたんですか? お腹痛くなりました?」
「いや、折角買った漫画が、濡れちゃうかも」
「……ビニール袋に入ってません?」
「それでも、万が一ってあるでしょ?」
私は背中に雨を受けながら、なんとか屋根のある場所へ行こうと移動する。後輩は雨に降られながら、私の姿を「ダンゴムシみたい」と言って笑っていた。失礼な後輩だ。
雨に降られて、足元のコンクリートが、濡れて濃いグレーに変わってゆく。
雨粒が背中を叩くのを感じながら、私はゆっくりと歩いた。
「にわか雨だから、もう止みますよ」
すると、笑い混じりに後輩が声をかけてくる。
にわか雨?
「シャツ濡れて、めっちゃ下着透けてるし。そんなんなるまで守るなんて、その漫画、めっちゃ好きなんですね」
好き。
その瞬間、雨が止んだ。本当に、一瞬の雨だった。背中を叩く感覚がなくなって、私は、後輩ちゃんの方を向いた。
街は何かフィルターをかけられたように、全部が濡れてやや濃い色になっていた。一瞬の出来事。でも、確かにあったにわか雨。
「うん、すごく、好きなんだ。この漫画」
そう口に出して、ようやく、しっくりきた。
すぐに過ぎ去り、見える景色を変えて、そして、きっとすぐ乾く。
そういう雨が、確かにある。
そういう感情にも、意味はある。
「やっぱり。だと思いました」
後輩ちゃんは、濡れたまま笑った。
「にわか」雨 かどの かゆた @kudamonogayu01
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