生贄少女と神様ごはん

綾坂キョウ

白神さまの卵麵麭

「わたしね、大きくなったらステキなお嫁さんになりたいの」

 ほっぺたを赤くしながらそう言った、ナナちゃんの笑顔を。特にしたいことなんてなにもない自分に気がついた、あのときの気持ちを。あたしは忘れられない。


 この辺りを守護する白神しらかみさまへのを選ぶ日。対象となる十歳の女の子は、村にはあたしと、ナナちゃんだけだった。


「クジを引きなさい」

 そう言うオンババ様の手には、二本のが握られていて、あたしとナナちゃんは顔を見合わせた。


「短い方を選んだ子が、供物となる」

 後ろでは、トトさんとカカさん、それからナナちゃんの父さんと母さんが、じっとこちらを見ていて、背中にじっとり汗をかいてしまう。

「わ……わたし、は。こっち……」

 震える声で、ナナちゃんがクジの片方を握った。あたしも慌てて、余った方をつかむ。それを確認したオンババ様が、手を緩めたとき——「あ」と、声を上げかけてしまった。

 だって、なんとなく分かってしまったのだ。あたしが握っているの方が、きっと長いって。


 頭に浮かんだのは、いつだったかの、ほっぺたを赤くしたナナちゃんの笑顔だった。


「——あたしです!」

 さっと引き抜いたクジを、ぐしゃりと握りしめながら、あたしは宣言した。


「あたしが、白神さまの……供物に、なります」


 うぅっ、と。母さんのうめく声がした。ナナちゃんが、目をまんまるくしてこちらを見つめる。それに、ぎこちなく笑い返すことしか、あたしにはできなかった。


***


 白神さまがどんな神様なのか、あたしはよく知らない。ただ、供物になったからにはもう村に帰れないんだってことは、分かっていた。

 出発の日。母さんはぼろぼろと涙を流し、ずっと泣いていた。父さんは泣いてなかったけれど、真っ赤な目をずぅっと見開いていた。

「ユニ。ユニ……ごめんなさい。なにもしてあげられない母さんと父さんを……憎んでも良い……ッ」

「そんなことしないよぉ」

 あたしは笑った。声が少し、鼻にかかってしまったけれど。

「母さんと父さんが、美味しいものいっぱい食べられますようにって、白神さまにお願いしとくね」

 ますます泣き出してしまった母さんを、父さんが慰める。

「ユニ」

 近づいてきたのは、ナナちゃんだった。

「ユニ。わたし……」

「ナナちゃん、あたし、こんなキレイな着物初めて」

 まっさらな白い絹の着物。それを、軽く広げて見せる。

「ナナちゃんも、お嫁さんになったらきっと、ステキな着物を着てね」


***


 あたしが運ばれた先は、白神さまが住んでるといわれる山の奥だった。小さなお社があって、そこに他の供物と一緒に置かれる。

「どうか……村のみんなを助けると思って。宜しくな、ユニ。わりぃな」

 あたしを運んだキダおじさんが、申し訳なさそうに手を合わせて去っていく。

 あたしはと言えば、足を荷台にくくりつけられていて、その場を動くことができないでいた。


「お腹……すいたなぁ」

 空を見上げると、高い木々の枝葉の隙間から見える青空を、鳥が飛んでいた。


「……うん? なぜ子どもが、こんなところに」

 不意に聞こえた声に、はっと視線を戻す。いつの間にか、あたしと同じような白い着物を着たキレイな人が、目の前に立って首を傾げていた。

 髪も白いし、肌も白い。目だけが、お月様みたいな金色に輝いている。

「……白神さま……?」

 おそるおそる訊ねると、その人——白神さまは、軽い感じで「うん」と頷いた。

「貴女は?」

「ゆ……ユニ。あの、あたし。麓の村から、その。供物で」

 言わないと。代わりに、村のみんなを、幸せにしてくださいって。日照りで、食べ物があまりとれなくて、みんな困ってますって。

 言わないと。


「供物……?」

 あたしの足の縄をほどきながら、白神さまが大きく首を傾げる。さらさらっと白い髪が流れるように揺れて、お日様の光がそこから透けて見えて、とてもキレイだ。


「この、周りの食べ物はともかく。なんで貴女みたいな子どもまで」

「えっと。白神さまは、十歳の子を好んで食べる、って……言い伝えだって、オンババ様が」

 どうして、白神さまが不思議そうにしているんだろう。黄金色の目が、ぱちくりしている。


「何故そんな……十歳? あぁ……もしかして。百年前のことが歪んで伝わったかな。あのときは、戦で家を失くした子を保護して……まぁ、貴女に言ったところで詮無いことですね」

「はぁ」

 よく分からないけれど、つまりそれは、あたしを食べないってことなんだろうか。

「あの、食べてもらわないと困るんです。そのために、あたし、ナナちゃんの代わりに来たんだもん。村を、助けてほしくて」

「村を……」

 呟くと、白神さまはお供物を物色し始めた。

「燕麦……」

「それ。ほんとは、小麦を納めたかったけど、今年はそれしか取れなかったって、父さん言ってました。馬とかに食べさせるものだけど、人間も食べられるからって。ただ、神さまのお口に合うかは分からないけどーって」

「卵に、雉肉、チーズまで。村が大変なときに、こんなにたくさん」

「白神さまなら、きっとなんとかしてくれるから、大丈夫だって、運んできたキダおじさんが」

「そんな期待をされても、困ってしまうなぁ」


 また首を傾げる白神さまは、ほんとに困ってるようにも見える。くきゅるる、と。そこにあたしのお腹の音が割入った。慌ててお腹を押さえたけれど、黄金色の目がこちらを見る。

「……とりあえず、食事にしましょうか」

 そう言うと、白神さまはあたしの足の縄を解いて、荷台から抱き上げて降ろした。

「ユニ。食事の用意を、手伝ってもらえますか」

「は、はい!」

 よく分からないけれど、白神さまがお手伝いしなさいと言うなら、そうした方が良いに決まってる。あたしはぴょんと、荷台から飛び降りた。


***


 白神さまは「よいしょ」と、荷台を社の奥まで運んだ。小さな屋敷が、山の中に場違いな感じで建っている。

「ここが私の家です。入ってすぐが炊事場になっています」

 言いながら、白神さまが指を鳴らすと、カマドにぼっと火が灯った。

「ユニ。鍋に水を入れて、沸かしてくれますか」

「えっと。はい!」

 言われた通り、水瓶から掬った水を鍋に入れて火にかける。くつくつと水が沸騰したところで、白神さまがお塩と燕麦を入れた。

「お粥ですか?」

 訊ねると、白神さまはちらっとこちらを見て、「うーん」と唸る。


「せっかくだから、もう少し趣向を凝らそうかな」

 そう言いながら、お湯でふわりと柔らかくなった燕麦をカゴにあげて、水をきる。

「ユニ。卵を二つ器に割って、ほぐしてもらえますか」

「は、はい!」

 卵! しかも二つも!

 卵なんて、村だと病気のときか、お祭りのときくらいしか食べられないのに!

 黄身が大きく、ぷるんと新鮮な卵を、箸でよくよく混ぜる。

「できたら、白っぽくなるまで、よく泡立ててください」

「は、はいっ」

 これは、結構手が疲れるぞ。


「その間に、ふやかした燕麦に、甘蔓の蜜と、蘇を混ぜます」

 甘蔓は、噛むとなんとなく甘みが出てくる植物で、お腹がすいたときにみんなで齧ったりするやつだ。白神さまが出したものは、とろりとしたキレイな琥珀色で、鼻先まで甘い香りが漂ってきた。こんなの、見たことない。

 目を丸くして見ているあたしに、白神さまはくすりと笑って「南方の、特別な甘蔓です」とだけ言った。


「これがよく混ざったら……ユニ、溶いた卵を貸してください」

「はっ、はい!」

 慌てて、持っていた器を手渡す。

「うん、よく混ざってますよ。ありがとうございます」

 そう言うと、白神さまは卵を少しずつ、さっくりと燕麦たちに混ぜていく。

(お粥と全然違う……)

 強いて言えば、どろりとた見た目なのはいっしょだけれど。

「これで食べられるんですか?」

「いえ、仕上げに焼きます」

「えっ。焼くんですか?」

 ますます、ふだん見知っているお粥から、離れていく。


「鉄板を熱して、小さく切っておいた蘇を溶かしますよ」

「てっぱん……」

 うちで煮炊きをしている鍋とは、形も色も違う。思わず手を伸ばすと、「危ないですよ」と後ろから、白神さまに抱き留められた。甘い、優しい匂いがする。

「これは、火がついてるときには熱くなりますから。触ったら怪我をします」

「は、はい……ごめんなさい」

 白神さまはにこりと笑って、あたしから手を離した。その代わりに、さっき混ぜた器を取って、鉄板の上に流し込む。途端、じゅぅっと大きな音がした。


「生地の表面がふつふつしてきたら、ひっくり返しますよ。やってみます?」

「え? あ、えっと。失敗、しちゃうかも」

 卵にたっぷりの蘇に、おまけに特別な甘蔓まで使った、ぜいたくで特別なお料理だ。怖くて、触ることなんてできない。

「大丈夫ですよ。一緒に、ゆっくりやってみましょう。鉄板には、気をつけて」

 そう言うと、白神さまは右手であたしの右手をそっと取り、平たいを持たせた。


「いきますよ……せーの」

 返しが、そっと生地と鉄板の間に滑り込まされる。

 ごくりと、喉が鳴った。

「それ!」

 白神さまの声と共に、ぐいっと手が引っ張り上げられて、生地がぱたんと音を立てて裏返った。

「あぁっ⁉」

 まん丸だった生地が、くにゃりと曲がって半月みたいな形になってしまった。慌てて上を見上げると、白神さまは三日月みたいな目をしてこっちを見ていた。

「大丈夫。味は美味しいままですよ」


 またしばらくじゅうじゅう焼いて、それからまた白神さまったら、あたしの手をお人形みたいに操って、焼きあがったそれをお皿にのせた。

「また、蘇と甘蔓の蜜をたっぷりかけて……せっかくだから、すぐりの実を甘く漬けたものものせましょうか」

 そう言って白神さまが取り出したのは、赤紫色の可愛い実だった。お日様みたいに黄色くふわりとした生地に、雪みたいに白い蘇と、ちょこんとのっかった木の実。甘い甘い、良い香り。


「これ……一体、なんて言うお料理なんですか?」

「南方の麵麭めんぽうという料理を、自分なりにしたものなんだけれど……燕麦の卵麵麭たまごめんぽうかな?」

「卵麵麭……! すごぉい、おいしそう……!」

「さぁ、食べて食べて」

 言うなり、白神さまが器ごと、あたしの前に差し出してくる。

「え、え。あたしが、食べて良いんですか……?」

「うん。私はね、誰かが美味しそうに食べているのを見るのが、一等好きなんです」

 その顔が、あんまりにも優しくて、きらきらしていて。

 あたしは言い返すことができなくて、じっと目の前の料理を見つめた。それからパンパン、と。両手を叩く。

「神さま、おめぐみをどうもありがとうございます」

 お祈りと共に、両手で卵麵麭を持って、がぶりとかぶりつく。


「っ、ふわっふぁ……あまぁい! でも、ちょっぴりしょっぱい!」

「甘い蘇と、塩が含まれている蘇の両方を使ったからね。あまじょっぱくて、美味しいでしょう」

「はひっ!」

 なんだか止まらなくなっちゃって、はぐはぐと食べ進めていく。手がべたべたするけれど、気にしてられない。すぐりの実は、甘いけれど酸っぱくもあって、卵麵麭のおいしさが余計に引き立てられた。

「これに、野菜や……あとは、今日一緒にもらった雉肉なんかを燻して挟んで食べても、美味しいんですよ」

「そ、そんな……! ぜいたくすぎて、バチがあたっちゃいますっ」

 慌てて答えると、「そっか」と白神さまがクスクス笑った。そっか、白神さまは神さまだから、バチなんてあたらないんだ。


 あたしは、器についていた蜜を最後の一かけらで拭うようにして口に入れ、お皿を空っぽにした。

「お……いしかったぁ……」

「ユニも、初めてなのにたくさんお手伝いしてくれましたからね」

 そう、ニコニコと白神さまが頷く。


「……白神さまは、その。あたしを……食べないんです、よね……?」

「はい、そうですね」

 白神さまの返事は、あっさりとしていた。

 膨らんだお腹を撫でつつ、どうしようと眉を寄せる。

 村を守るためにここに来たのに。美味しいモノ食べさせてもらって、なんの役にも立たないなんて。

「どうしたら、あたしのことを食べてもらえますか?」

 少し泣きそうになりながら、訊ねる。村を出るときだって、泣くのをがまんしたのに。


「どうしたって、食べませんよ。貴女のことは」

 そう、白神さまの手のひらが、あたしの頭を優しく撫でた。

「さっきも言いましたけど、私は食べるより、誰かが美味しく食べているところを見るのが好きなんです」

「でも……あたし、村を……白神さまに助けてほしくて」

 ふと、白神さまの手が止まった。

「私には、残念ながら天候を操る力はありませんが……でも、ほら。向こうをごらんなさい」

 そう、白神さまが指さしたのは、隣の山の空だった。

「雲の色が濁ってきています。二、三日中に雨が降るはずです。そうすれば、日照りも解消される」

「ほんとですか……! よかったぁ」

 これで、母さんも父さんも――みんなみんな、助かるんだ!


「……貴女は、どうしてここへ来たんですか?」

「え?」

 白神さまの言葉に、あたしは首を傾げる。

「だから、あたしは白神さまの供物になるために――」

「でも、来る必要など、なかったはずでしょう」

 そう、白神さまが着物の袂から取り出したのは、一本のこよりだった。くしゃりと丸まっている、長いそれは、あたしがクジで引いたヤツだ。

「なんで……」

「貴女は、友人をかばってここに来た。どうしてそんなことをしたんですか?」


 怒っているのかな、と。そう思った。クジで選ばれた方じゃなくて、あたしが来たから。だから、白神さまはあたしを食べようとしないのかな――。

 でも。

 白神さまの目は、変わらずに優しくて。


「……なにも、ないから」

「……?」

「あたしには、なりたいものとか。なにもなかったから。だから!」


――大きくなったらステキなお嫁さんになりたいの。


 そう、笑顔で言うナナちゃんの笑顔は、本当になんだか眩しくて。とても、手が届きそうな気がしなくて。

「あたしは……せめて、ナナちゃんのお手伝いができたら良いなって。そしたらあたしのお願いごとも、いっしょに叶ったような気持ちになれるかなって」

「……そうですか」

 白神さまの手が、そっと離れて行く。それでも、その温かさだけはまだ頭に残っているような気がした。

「夢や、希望というのは、日々の生活に追われる中では、なかなか浮かばないものです。あなたはそういった日々を、頑張って生きてきた。それを友人と比べて、劣等感を覚える必要なんてないんです」

「……白神さまのお言葉は、ちょっとむずかしいです」

 おそるおそる答えると、白神さまはくすっと笑った。

「ユニはユニで、良いってことですよ」


 さて、と白神さまが軽く首を傾げてみせる。

「雨が降ったら、麓の村まで送りましょうか?」

「え……あ、でも……」

 今更あたしが帰ったら……みんな、どう思うだろう。

 それに――村を出ていくときの、みんなの顔を思い浮かべる。

 泣いている母さん。その肩を撫でている父さん。困ったような顔のナナちゃん。

 みんなきっと、もう、あたしなんて。

「――なるほど」

 あたしの顔を覗き込みながら、白神さまがぽつりと呟いた。

「ユニは、怒ってるんですね」

「え?」

「自分を犠牲にした村の人々に。助けようとしなかった、親しい人たちに」

 その、思ってもみなかった言葉が、すとんと胸に降りてきたかと思うと、顔が急に熱くなった。

「やだ、あたし。そんなんじゃ!」

「怒って良いんですよ」

 白神さまは笑っている。ずっと笑っている。その笑顔と言葉が、ざわざわと波だった心を、すっと落ち着かせてくれる。

「怒って……いい?」

「えぇ。自分のことは、自分が一番大切にしてあげないと、心を壊してしまいます」

「……」


 よく、分からない。あたしは、村のために白神さまに食べられるのは、仕方ないことだと感じていて。それで村のみんなが助かるなら嬉しいって、そう思っていたはずなのに。なのに、心の奥底では、そんなことになったのを――誰も助けてくれようとしなかったのを、怒っていたんだ。


 そう思った途端、今度こそ涙がぽろぽろと溢れてきた。でもなんだか、イヤな感じじゃない。


「では、こうしましょう」

 白神さまが言う。

「貴女が、やりたいことを見つけるまで。ここで、私のお手伝いをしてください」

「え……お手伝い、ですか?」

 えぇ、と。白神さまは頷くと、しゃがみ込んであたしの目を見つめた。

「今日みたいに料理をしてもらったり、美味しそうに食べる姿を見せてもらったり、一緒に屋敷を掃除したり……そうやって、毎日を過ごしていきましょう。もし、やりたいことが見つかったら、そのときはまた、一緒にどうするか考えましょう」

「……あたし、そんなことしてて……良いんですか……?」

「良いんですよ。貴女は、その小さな身体でもう充分に頑張りました」


 白神さまの言葉一つ一つが、あたしの涙をぽろぽろと増やしていく。でもそれは、嫌な感じじゃなくて。赤ちゃんの頃、とんとんと母さんが背中を軽く叩きながら子守唄を歌ってくれたときの感覚を、思い出させるような。そんな、ほっとする気持ちにさせてくれる。


「いっぱい食べて、少し働いて、それからたくさん遊んでください。そうすれば、心の声もどんどん大きくなって——きっと、やりたいことが見つけられますよ」

「……はい」

 真っ直ぐ白神さまの目を見返す。泣き腫らした情けない、でもどこかすっきりした顔のあたしが、そこにいた。


「……白神さまって、なんの神さまなんですか?」

 こんなにも、キレイで、優しくて、それでお料理も上手で。でも、天気は動かせないって言う。

 そんなあたしに、白神さまはくすっと微笑んで、白い唇に指を一本、立ててみせた。


 お月さまみたいな黄金色の目が、さっき食べたばかりの卵麵麭みたいに、ほんのりと甘く歪んだ。






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