寧々は音々と覇権を取る

甘夏

寧々と音々の初ライブは音楽室だった。

「このBlessブレスと歯擦音。特徴ありすぎ……DeEsserディエッサーで削るかな――でも」


 録音済みのVocal DataのWavファイルをDAWソフトへインポートして、元オケとなるオフボーカルの2mixファイルと組み合わせる。

 Mixingミキシングという作業にはなるけれど、ボーカルだけの処理のため比較的作業自体はイージーなもの。

 依頼者はあまり名前も聞かないVtuberの女の子だったけれど、その丁寧なメールの文面に好感がもてた。

 いくつかのサンプル音源を聞いた限り、歌唱力は悪くなかった。

 その中にはわたしの作った曲を歌ったものもあった。

 

 しかし、2つ欠点があった。

 Mixの下手さと、特徴のなさ。


おそらく自身で行ったのだろう。本来、Mixingという作業は単にカラオケ音源の縦横を合わせて音量をあわせるだけの作業ではない。

音を直接加工するダイナミクス系で音を作り、そして空間系エフェクトで奥行きをつくる。

主に加工につかうのはCompressorコンプレッサーEQイコライザー。 空間系はReverbリバーブDelayディレイ


「この子、多分BlessをWavから切り離してるのね。あと……歯擦音もだいぶ削って丸くしてる。2khz2キロヘルツあたりをEQでがっつりカットしちゃってるから、伸びがなくなってる」


 歌を歌うときに必ず発生する息継ぎ、そのときの息を吸う際の音がBless。喉から音が出るときに歯の間を抜けるときの雑音が歯擦音。サシスセソの音で起きやすいノイズ。


 上手なボーカリストというのは、このブレスが上手い。

 加工して消すこともあるけれど。きっと、この子の場合は残さなきゃダメなやつ。


「どんな子が歌ってるんだろねー、同じくらいの歳だと思うんだけど。たぶんこの子はMIX次第で化ける。特徴ないっておもったのは撤回ね」


 さて今夜は徹夜かな。


       ***


 わたしの予想は的中した。


 vtuber『さくら音々ネネ』。

 わたしと同じ読み方をする名前のその子は、その存在感を増していった。


 Mixを手掛けた曲のYoutube再生数は10万を超えVtuberとしての活動の幅が広がったことで、登録者数も著しく増加したようだった。

 彼女からは感謝を示すメールとともに、連絡を取り合う機会が増え、いまではちょっとしたネットの友達といった感じの関係となっていた。


 わたしの話をしよう。


 名前は、峰月 寧々ミネツキ ネネ

 都立高校の2年、一応女子高生になる。

 彼氏は居ないし、友達も居ない。

 趣味はソシャゲと作曲、あとはSNS。

 好きな音楽ジャンルは、アニメソング。

 

 スクールにカースト制度があると知ったのはネット小説を読んでからだけど、わたしの位置はおそらく最下層で、リアルでのコミュニケーションをとることが苦手だった。

 クラスではいつも大きめのヘッドフォンをして、アニソンを聴きながらスマホを弄っていた。そうすれば誰からも声をかけられないし、わかりやすく一人になれた。


 でも分かっている。

 音楽は一人で作ることができないし、人と向き合うのが苦手なわたしのこの弱点は致命傷なんだってこと。


 Vocaloidと打ち込みで曲は作れるだけでもいい時代なんだけどね。

 ボカロP『Ne2』という名前で、ちょっとした人気であることくらいが、わたしの自慢だった。


「じゃあ、櫻木続き読んでみてくれ」

「あ、あの。はい……」


 櫻木 七海サクラギ ナナミ、わたしが言うの何だけど、目立たない子だ。

 たぶん同じカースト層だけど、関わることもなかった存在で、厚ぼったい眼鏡をかけた見るからに大人しそうな女の子。

 いつも眠たそうにしていて、そんなに成績も高いわけでもない。

 何にも特徴がないのが特徴といった……。

 

 言い過ぎね、たぶんわたしも同じようなものだ。


――っ!


 音読する教科書の文章、日本史のつまらない単元だったのだけど、気になることがあった。

 櫻木さんの、息継ぎの仕方に既視感があったのだ。

 思えば……声も似ている。2khz帯がくっと持ち上がったような、EQで処理しなくても自然と透明感を出す、抜けの良さ。

 声優とか、声劇とか、そういうのに向くような声質ではないけれど。

 ボーカリスト向けのその声。さくら音々の特徴と同じ。


 何時間と聞いて、繰り返し処理をしたわたしだからわかる。

 櫻木七海は、Vtuberのさくら音々だ。

 

 だからといってどうするわけでもないのだけど……

『あなた、さくら音々だよね。わたしボカロPのNe2だけど……』なんて、人違いだったら恥ずかしいし、本人同士だとしてもそれ以上どういうコミュニケーションをとればいいのかもわからない。

 

 気にしないことにしよう。

 似た人が3人はいる世の中だ、声が似てる子だっているだろうし。


 でも、もし彼女が本当にわたしの知る『さくら音々』だったら。

 理想的なボーカルで、彼女となら、諦めかけていた夢を一緒に目指せるかもしれない。


       ***


『ときどき放送見に来てくれると嬉しいなー。Ne2さんの曲とかも歌ってたりするんだから』

『んー、忙しいんだよね、それに特定のVtuberの推し活はしない主義なの。一応いろんな子から依頼もあるからね』


 ビジネスライクにそう返信をしたのは、彼女が同じクラスの櫻木さんだとどこか確信していたからだった。

 これ以上近づきすぎたら、わたしはきっと彼女に依存する。

 彼女には他にたくさんの視聴者ファンがいて、そのうちの一人になることもなんだか嫌だと思った。


 彼女の特別になりたいという気持ちは、もしかすると一種の恋なのかもしれない。でも、そんなこと言えない。

 女の子同士ってだけでも間違えっているのに。

 

――ネットの中の、櫻木さんは、私には眩しすぎるから。


 だから、秘密にする。この気持ちに蓋をする。


 無性に鍵盤が弾きたくなって、わたしはSynthesizerのキーに指を置く。

 むしゃくしゃするときにも曲は浮かぶ。

 でも、彼女のことを考えてつくる曲をVocaloidに歌わせてもしっくりこなかった。多分、彼女のあの声の特徴に合わせた楽曲だからだろう。

 だから、またきっとお蔵入りになる。分かってるけど、浮かぶものは仕上げないと気が済まない。

 

 鍵盤を叩き、シーケンサーに打ち込んでいく。

 多少の粗はクォンタイズで自動修正して、ベロシティをマウスで修正する。

 Kickの音はサンプラーに読み込ませたVengeance社のsample音源から――。いつもの作業手順。


「ギターは、生で録るかな……」


 伸ばした先にあるアコースティックギターに目をむける。

 そこには挟まれた千円札の束が見えた。

『さくら音々』から振り込まれたMIXの依頼料だった。わざわざ下ろしたものの、使う気にもなれず、以降、振り込まれる度に弦の間に挟んで貯金箱代わりにしていたのだった。


 て、どれだけギター弾いてなかったのよ。

 チューニングを直して……弦も張り替えたほうがいいかもしれない。そう思うとその作業が億劫に感じ、手にするのをやめた。

 

「やっぱり……打ち込みますか」


 わたしの人生は、妥協でできている。

 それを創作にまで持ち込むのは、たぶん良くないことなんだと思うけど。

 

       ***


 週に1回の音楽の授業。

 音楽担当の教諭がなかなか来ないまま、授業時間が始まってもなお休み時間の延長のような様相だった。

 

 わたしは実は学校のこの音楽の授業が一番嫌いだ。

 音楽は好き。それはクラシックであれ、シャンソンであれ。音が鳴っているだけでジャンルは問わず心が躍る。

 でもクラスの中では別で、目の前にピアノという鍵盤楽器があって、それに手が伸びそうになるのを我慢しないといけない。


 目立ちたくない気持ちと、無駄に湧き出てくる承認欲求と。

 そんな気持ちがある事自体が嫌だった。

 わかってくれる人が居たら良いんだけど。そんな気持ちでちらっと目線を向ける。

 

 櫻木さんは、今日も相変わらず眠そうな顔をしていた。

 それもそうか、と思う。深夜の放送に、朝までTLタイムラインも流れてきていたのだから。多分寝てないのだろうしね。

 そこまで考えて思った。わたしはなんで彼女のことを追ってるのだろうって。


「ねえ、櫻木さんってさー、Vtuberやってるんじゃなかったっけ? 歌うまいんだよね」

「へー、じゃあいいじゃん! ちょっと歌ってみてよ!」


――あの、えっと。わたしそんなこと言ったこと……


「この前教室に置いてたスマホ勝手に見ちゃって! あ、ごめんね、内緒にしてた??」


 そんな会話のやりとりが耳に入ってきた。

 クラスの中心人物的なメンバーに絡まれているのは櫻木さんで。その内容はVtuberの身バレといったところで……。


――あ、ううん……内緒とかじゃないんだけど……。いま、音源とか機材もないし……


「じゃあアカペラでいいじゃん!」

「加工しないといけないんじゃないの? 知らないけど」


 加工しないと……いけないような声にわたしは惹かれたりしない。

 知らないなら口に出すな。

 ああ、だめだな。感情が表に出そうだった。特別な機材も、エフェクトも櫻木さんの、ううん、さくら音々の声には必要ないものなんだとわたしは知ってる。

 

 音源だって、きっと鍵盤ひとつあればいい。それだけで彼女は誰よりも高いPerformanceができるんだ。


「ほら、歌ってみてよ」


 困惑した姿の彼女を見て、わたしはいてもたってもいられなくて。

 でも、正直なところ怖くて。

 言い返すような言葉も、彼女を助けるための力もわたしにはなくて。

 

 わたしは、音楽室に置かれたグランドピアノの椅子を引いた。 

 他人の曲なんて即興で弾けるほどじゃなかったけど。


 自分のつくった曲くらいなら弾けるから。

 そっと、指先を鍵盤にのせる。ソフトなタッチのキーボードとは違い、ピアノは重い。ピアノは打楽器だと言う人もいたことを思い出す。


 イントロのピアノだけで、彼女ならわかると思ったから。

 

 ワンフレーズで、教室がざわついたのがわかる。

 櫻木さんと目が合った。

 わたしは、彼女に笑顔をむけた。それはきっと下手なものだったんだろうけど。それでも彼女は同じように笑みを返してくれた。


 歌の入りはサビから。すべてはその前、Blessで決まる。だって彼女の声は特別だから。


 寧々と音々の初ライブは音楽室だった。

 アニソンで覇権を取る。そんな夢を目指す最初の一呼吸だった。

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寧々は音々と覇権を取る 甘夏 @labor_crow

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