31:ベタ惚れなのはどっちでしょう?
十五分後、沙良たちは多くの生徒が集う食堂の二階で食後のデザートを食べていた。
「うん、美味しい」
幸せそうな顔で秀司が食べているのは沙良の作ったモンブランケーキだ。
あのモンブランケーキには市販のマロンペーストではなく茹でた栗を使っていた。
(ひとつひとつ、ちまちま皮を剝いて、茹でて、フードプロセッサーでペーストにして、口金をつけた絞り袋で絞り出して……大変だったなぁ)
理想の味と形を追求し、試行錯誤した一週間を振り返る。
作るには一週間かかったが、食べるには五分も要らない。
それでも、秀司が喜んでくれるのならどんな苦労も帳消しだ。
この笑顔が見られるのならば、沙良はそれこそなんだってするだろう。
(毎回苦労に見合うほどのお返しをもらってるしね)
今回秀司がお返しにとくれたのは偶然にも沙良と同じく栗を使ったマロンスイーツだった。
香ばしい香りが食欲を大いに刺激し、口に入れれば栗の甘さと旨さが広がる贅沢な焼き菓子。
恐らく自分で買うことは一生ないだろう高級な焼き菓子を噛みしめ、嚥下する。
氷の浮いた水を飲みながら、沙良は食堂の一階に目を向けた。
食堂の一階では名前の知らない生徒たちに交じって、瑠夏が歩美たちのグループと談笑している。
今日は瑠夏のほうから「お昼一緒に食べていいかしら」と歩美たちに声をかけていた。
その変化がとても嬉しい。
教室では大和とよく話している姿を見かける。
沙良としてはこのまま二人がくっつけばいいのに、なんて思っていたりする。
沙良が言えた義理ではないが、瑠夏も相当面倒くさい女なので、大和のように寛仁大度な人間でなければ受け止め切れないだろう。
「文化祭が終わってもう二週間か。時間経つのは早いな」
秀司が発言したため、沙良は視線を戻した。
秀司の前のモンブランケーキは残り三分の一まで減っている。
「そうね。『大衆賞』を受賞できたのは予想外だったわ」
参加した有志団体の中で人気投票の得票数が最も多かったらしく、沙良たちは金色のメダルを貰った。
「ダンスを頑張ったのは秀司の彼女になりたかったから。そんな不純な動機でメダルを貰っていいのかしらとは思ったけれど」
「動機がどうあれ頑張ったのは事実なんだから、気にしなくていいだろ。メダルはその頑張りを正当に評価された結果だ。ありがたく受け取って、部屋にでも飾っておけばいい」
「もう飾ってるわ」
「俺も。自分の部屋に飾ってる」
微笑むと、秀司もまた微笑んだ。
「そうなの。なんだか嬉しい。秀司は何でも1位だから、メダルもトロフィーもたくさん貰ってるでしょう? あのメダルは机の引き出しにでも放り込まれてるか、最悪、捨てられたかと思ってたわ」
「捨てるわけないだろ。沙良との大事な思い出なんだから」
若干怒ったような口調で言われて、沙良は目を丸くした。
「この先も、ずっと大事にするよ」
秀司は視線と声のトーンを落とし、フォークでモンブランケーキを切り裂いた。
「……私も。大事にするわ」
照れくさくなり、沙良は話題を変えた。
「ところで、ねえ。秀司」
「なんだよ、改まって」
口の中のモンブランケーキを飲み込んでから、秀司が不思議そうな顔でこちらを見る。
「もし踊り終えた後に観客からブーイングを浴びてたら、私に何を要求するつもりだったの?」
「なんだ、その話か。いいだろ、拍手喝采で終わったんだから」
「良くないわよ。気になる」
秀司は逃げるように手元のモンブランケーキに視線を落としたが、沙良は無言で彼を見つめ続けた。
それこそ、彼が音を上げるまで、じっと。
「……彼女になって、って。言うつもりだった」
やがて、小さな声で秀司は白状した。
「え。じゃあ、どっちに転んでも結果は同じだったってこと?」
きょとんとする。
「そうだよ。当たり前だろ。観客の反応が芳しくなかったから、やっぱり彼女にはなれません、なんて、許せるか。やっと沙良が自分から付き合いたいって言ってくれたんだ。このチャンスを逃がして堪るかって、こっちも必死だったんだよ」
恥ずかしいらしく、秀司は目を泳がせた。
その頬はほんのり赤くなっている。
(そんなこと思っててくれたんだ……)
胸の奥が熱くなった。
「……いっつも余裕ぶってるけど、本当は秀司って照れ屋なの?」
笑みを堪えつつ、テーブルに上体を乗り出して顔を近づける。
「うるさいな。これまで人を本気で好きになったことなんかないから、どういう対応すればいいのかわからないんだよ」
秀司は頬を赤く染めたまま水を飲んだ。
「え。本当に? 私が初彼女だなんて、意外過ぎるんだけど。そのルックスなら『女子百人斬り』とかしててもおかしくないのに」
「なんだそれ? 沙良は俺をそんな奴だと思ってたのかよ」
秀司は不満げな顔で沙良を睨み、また目を逸らした。
「小学生のときは女子と話すより、大和たちとゲームしてるほうが楽しかったし。中学ではアイドルとして振る舞ってたから。彼女なんて作れるわけないだろ」
「ああ、そうか。彼女がいたらアイドルはできないものね」
納得して頷き、考える。
(西園寺さんの一件のせいで秀司は皆のアイドルを辞めた。完全フリーになったわけだけど、戸田くんの話によれば私に出会うまで女性不信に陥ってて、特定の彼女なんて作る気にもならなかったらしいから、つまり――)
「……本当に、私が初彼女なんだ」
「だからそう言ってる」
こちらを見ずにそう言われて、沙良の心の中には喜びの花が咲き乱れた。
脳内にもあっという間に花畑が出来上がり、自制しようとしても口元が緩む。
「あのね、私も秀司が初彼氏なの。本気で人を好きになったのは秀司が初めてなのよ」
沙良は立ち上がって秀司の隣に移動した。
まだ拗ねたような顔をしている秀司の耳元に顔を寄せ、そっと囁く。
「大好き」
「…………!?」
これまで割と酷いことばかり言ってきた反動だろうか。
素直な愛の告白が信じられないらしく、秀司はぎょっとしたような顔をして固まった。
「あ、固まった」
事実をそのまま告げると、秀司はたちまち仏頂面になり、ぎくしゃくとした動きでガラスコップを掴んで水を飲んだ。
彼が酷く動揺しているのが顔の赤さと挙動から伝わってきて、沙良はクスクス笑った。
十一月十日は沙良の誕生日だ。
誕生日を伝えると、大抵の人間から「あと一日生まれるのが遅かったら美しく1が揃ったゾロ目だったのにねえ」と惜しまれるのだが、そんなこと言われても……と、いつも反応に困って曖昧に笑うしかない。
ともあれ、朝からソワソワしていたこの日、秀司は食後に沙良を裏庭へと連れて行った。
曇天の下、木造のベンチに並んで座る。
今日は肌寒く、雨が降りそうな天気だからか、裏庭に沙良たち以外の人影はなく、冷たい風に樹木や花が揺れるばかり。
校舎からも離れているため、内緒話には好都合である。
「渡したいものって何?」
平静を装って尋ねる。
「誕生日おめでという。というわけで、はい。プレゼント」
秀司は黒いランチバッグから丁寧にラッピングされた立方体の箱を取り出し、手渡してきた。
(え……これ、もしかして。指輪じゃない?)
だとしたら秀司は凄い。
指輪は一番欲しかったものだ。
「……開けてもいい?」
「どうぞ」
上品なピンクゴールド色のリボンを解いて包みを開けると、予想通りに指輪ケースが出てきた。
(やっぱり!)
ドキドキしながら指輪ケースを開く。
ケースに入っていたのはシンプルなシルバーの指輪だった。
彫り込まれた波のようなデザインが綺麗で、一目で気に入った。
「これ……」
指輪から視線を上げて見つめると、秀司は得意げに笑った。
「小林さんのペアリング、羨ましそうに見てただろ?」
「……本当に、秀司は私のことよく見てくれてるのね……ペアリングが欲しいなんて一言も言ってないのに、私の表情だけで欲しがっていることを見抜くなんて」
感嘆する。
「好きな子のことは、いつだって見ていたいものなんだよ」
さらりとそんなことを言われたものだから、沙良の顔はトマトのように赤くなった。
(な、なんて答えれば良いのかわからない……)
赤い顔を伏せていると、秀司がケースから指輪を摘まんで取り上げ、沙良の左手を取って薬指に嵌めた。
不思議なことにサイズはピッタリだった。
「え、ピッタリなんだけど。どうして? いつ測ったの?」
再び驚いて秀司を見る。
「梨沙ちゃんに協力してもらった」
「ああ」
同じ家で暮らしている妹ならば、沙良が寝ている隙にこっそり部屋に入ってきて指のサイズを測るくらい朝飯前である。
梨沙は秀司のことが大好きで、「秀司さん」と呼んで慕っている。
この前は趣味で集めている『猟奇ウサギシリーズ』のレアグッズを貰ったと喜んでいた。
最初から「イケメン」とはしゃいでいた母は言わずもがな。
秀司のことを嫌っていた父すらも最近では「月末の日曜日は店を臨時休業にして秀司くんと釣りに行く」と宣言し、張り切って釣り道具の手入れをする始末だ。
(中間テスト結果発表後の茶番に付き合わされてた権平先生だってそうよ。権平先生は厳しくて、絶対あんなことするキャラじゃないのに、秀司は一体どんな魔法を使ったのかしら。他の生徒たちも、誰一人文句を言わずに協力するなんて、ちょっと普通じゃないわよね)
みんなが秀司の虜だ。
そして沙良も、いつの間にか虜になってしまった。
(きっと、出会ったその瞬間から、私は恋に落ちていた)
いまはもう、秀司のいない人生なんて考えられないくらい彼に夢中だ。
惚れた方が負けというのなら、この先沙良に勝ち目などあるわけがない。
「どう? 気に入った?」
秀司は自分の左手首をくるりと回し、手の甲をこちらに向けた。
彼の薬指ではお揃いの指輪が光っている。
「気に入らないわけがないでしょう。初めて秀司を見たときと同じく一目惚れよ。もうベタ惚れだわ」
「それは何より。実は、俺も沙良にベタ惚れなんだ」
秀司は愉快そうに笑い、ベンチから立ち上がって両手を広げた。
此処には二人きりで、何をしようと目撃者はいない。
冷たく無視されたあの春の日とは違い、彼はその美しい瞳でまっすぐに沙良を見つめて微笑っている。
だから、躊躇う理由など何一つなかった。
「……ああ、全く! 秀司には敵わないわ!」
指輪のケースを宝物のようにそっとベンチに置いて、笑いながら秀司の腕の中に飛び込む。
「今頃気づいたの?」
そう言って、秀司は沙良の唇に優しいキスを落とした。
《END.》
不破くんには敵わない 星名柚花 @yuzuriha
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