30:宴の後で
十月下旬の月曜日、昼休憩開始から五分後。
(……や……や……)
中間テスト結果が貼り出された三階廊下の掲示板の前で、沙良は両手を強く握り、かつて感じたことのないほどの感激に打ち震えていた。
「えっ、今回花守さんが一位なの? 不破くんじゃなくて?」
「へー、珍しいこともあるもんだなあ」
「不破くんが五位以下になるとこ初めて見たよ。体調でも悪かったのかな」
周囲の生徒たちは掲示板を見て意外そうに囁き合っている。
『1位 花守沙良 463点』
目を擦って何度見ても、成績順位表には美しい毛筆でそう書かれていた。
頬を摘まんで引っ張ってみても痛いし、これは夢ではなく現実だ。
(やったあああああああああ――!!)
沙良はその場で飛び跳ねたい衝動を堪え、胸中で涙を流して万歳三唱した。
秀司はといえば、今回はたまたま調子が悪かったのか、それとも文化祭のダンス練習とバイトが響いたのか、七位という結果だった。
すなわち、いまこそ復讐のチャンスである。
(これまで散ッ々馬鹿にされてきたんだから、やり返しても罰は当たらないわよね!!)
沙良は元気よくその場で90度回転し、隣に立つ秀司に狙いを定めて一等星よりも強く目を光らせた。
「負けたわね? 負けちゃったわね? とうとうついに負けちゃったわね!?」
「ああ、残念ながらそうみたいだな……」
悔しいのか、秀司は目を逸らした。
「あらあらまあまあ。一応今日も念のため手作りケーキを用意してたんだけど、その必要はなかったわねえ。あのケーキ、一週間かけて作った力作だったのに、食べてもらえなくて残念だわあー。長いこと秀司の胸で光ってたそのバッジも今日から私のものねー」
ニヤニヤしながら右手の人差し指を伸ばして持ち上げる。
「いまどんな気持ち? ねえねえ、どんな気持ち?」
ここぞとばかりに秀司の頬を人差し指でグリグリする。
(これまでのお返しよ!! この一年半、積もりに積もったこの屈辱、倍返してやるんだから!!)
「止めろよ」
秀司は弱々しい声で言って逃げようとしたが、沙良は腕をがしっと掴み、逃げることを許さなかった。
「いーえ!! 負けましたごめんなさいってひれ伏すまで私はこの手を止めないわ!! 約束は覚えてるわよね、秀司にはウェディングケーキ張りに大きなケーキ作ってもらうから!! 秀司の手作りケーキ楽しみだわーあーはははははは!! とうとう私の時代が来たー!!!」
「にいんちょ、これ以上ないくらいわかりやすく調子乗ってるなあ……」
斜め後ろにいる歩美の小さな呟きを、沙良の耳は聞き逃さなかった。
「石田さん! 私はもう二位じゃないんだから『にいんちょ』は廃止!!」
沙良は『ぐりんっ』という擬音がつくほどの勢いで首を巡らせ、ビシッと歩美を指さした。
「あ、はい、すみません。仰る通りです。今日からは委員長に格上げですね、失礼しました」
逆らえば面倒くさいことになりそうだと思ったのか、歩美は即座に頭を下げた。
「そうよ! わかればいいの! なんたって私、1位ですからー? あの不破秀司を抜いて1位ですからー学年トップに君臨しちゃった女ですからー!!」
片手で腰を掴み、顎の下に手をやり、高飛車なお嬢様ポーズで高笑いしていたときだった。
「いっけなーい、大変大変ー」
少女漫画でよくある『いっけなーい、遅刻遅刻ー★』のテンションで誰かが廊下を走ってきた。
そちらを向けば、走ってきたのは食パンを咥えたうら若き女子高生ではなく、左手に大きな定規を、右手に筆ペンを持った強面の学年主任(五十歳前後の男性)だった。
通りで女子高生の高い声ではなく、野太い声がしたわけである。
「……
沙良は驚いてお嬢様ポーズを解いた。
「すまん、花守。この成績順位表は間違いだ。不破の点数には化学の一教科分、点数が加算されていなかった。つまり、不破だけ五教科ではなく四教科の総合点になってしまっている」
「………………は?」
その言葉が意味することを理解した沙良の顔面はさーっと青ざめた。
「正しくはこうだ」
権平は秀司の順位と名前と点数を二重線で消し、沙良の上に『1位 不破秀司 489点』と書いた。
「……………………!!!?」
沙良は目を見開き、トップに返り咲いたその名前を愕然と見つめた。
「さて」
ぽん、と。
横から肩を叩かれて、沙良は身体を震わせた。
「いまどんな気持ち?」
太陽のような笑顔で秀司はそう尋ねてきた。
「ああああああああああ――!!」
沙良は頭を抱えて絶叫し、キッと秀司を睨みつけた。涙目で。
「順位表が間違ってること知ってて言わなかったわね!? どういうことよ、まさかこれ全部秀司が仕組んだ茶番なの!?」
「その通り。順位が変わってしまう人たち全員から承諾を得ました」
秀司は右の掌全体を使って右手を示した。
「……」
無言で右手を見ると、順位が変わってしまったらしい生徒たちは何故か揃ってVサインした。
強面の権平までVサインしている。
「……なんでうちの学校は無駄にノリの良い人ばっかりなの……」
先生までOKしているのなら文句など言えるわけもなく、沙良はがっくりと項垂れた。
「今回こそ勝ったと思ったのに……!!」
血涙を流す。
「沙良もまだまだ甘いなあ。自分が一位になった時点でおかしいと思わなきゃ」
「私が一位になったらおかしいと思わなきゃいけないのっ!?」
「それはもちろん。俺に勝つなんて百年早いよ?」
「百年って――」
言い返そうとしたそのとき、さっきの仕返しとばかりに頬を突かれた。
ぎくりとして動きを止めると、秀司は笑顔で頬をグリグリしてきた。
「『負けましたごめんなさい』ってひれ伏すまでこの手は止めないって言ったよなー? そっくりそのまま返そうかなー? さーて、いつまで我慢できるかなー?」
「……うう……」
形勢逆転。
またも敗北を突きつけられた沙良は半泣きで呻くしかなかった。
「『にいんちょ』の称号は今回も廃止できなかったね、残念だねー。この分だと卒業まで『にいんちょ』かなー? ああ、さすがに卒業までずっとクラス委員長をするわけじゃないか。だとしたら、クラス委員長を辞めた後のあだ名は『二位さん』になるのかな? それとも『二位ちゃん』?」
「ううう……私絶対好きになる人間違えた……!!」
「えー、そんなこと言わないでよ、悲しいなぁ。そうだ、罰として左頬もグリグリしよ」
「!?」
「沙良の頰はぷにぷにで気持ち良いなー。屈辱に耐えるその顔がいいね、最高だねーあははは」
「うわあ、不破くん、めちゃくちゃ良い笑顔なんだけど……」
「不破くんの愛ってちょっと屈折してるよね……」
「受け止める花守さんは大変だな……」
「頑張れ……」
ついに「負けましたごめんなさい」と泣き出した沙良を見て、生徒たちは深く同情したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます