29:まるで夢のような
(そうよ、みんな、私を見て)
口元に笑みを刻んで腰を振り、腕を振り、軽やかにステップを踏む。
(いまは私が世界の主役よ。私こそが世界の中心なの)
一曲目の『Eternal Flower』が終わり、二曲目の『REVERSE』に入ると、観客がリズムに合わせて手を叩き始めた。
『REVERSE』は世界的にも有名だし、一曲目よりアップテンポな曲なのでノリやすいのだろう。
ノリ始めた観客を見て、沙良のダンスにはますます磨きがかかった。
難しい振付を問題なくこなし、両手両足を動かして滑らかにステップを踏む。
観客席の誰もが沙良たちのダンスに釘付けだ。
よそ見している観客は誰もおらず、もはや西園寺もどうでも良かった。
ただ曲に合わせて身体を動かす、それだけに夢中になる。
やがて『REVERSE』が終わると、観客の手拍子が止んだ。
瑠夏と大和が下手へと退場し、舞台の上でスポットライトに照らされるのは沙良と秀司の二人だけになる。
黒子役の女子が早足で歩いてきて、沙良と秀司に扇子を手渡して去った。
沙良と秀司はそれぞれ右手と左手に扇子を持ち、舞台の中央に立った。
(これが私の一週間の集大成ね)
夢の時間はもうすぐ終わりだ。
だからこそ、精一杯、想いを込めて踊ろう――。
『夜想蓮華』 が流れ始めると同時、沙良と秀司はぱっと扇子を開いて舞い始めた。
扇子を持って踊りながら、思い出すのは辛く苦しかった練習の日々ではなく、懐かしい秀司との思い出。
(ねえ、秀司。覚えてる? 入学式の日のこと。私と目が合ったのに、あなた、無視したわよね。物凄く悲しかったのよ。悲しかったし、悔しかった)
沙良はいまでも鮮明に覚えている。
三駒高校の入学式の日、沙良は真新しい制服を着て青空の下を歩いていた。
校門から昇降口まで続く道には桜が多く植えられていて、薄紅の花弁が青空に舞う様は幻想的ですらあり、新入生代表挨拶を控えて緊張していた沙良の心を和ませた。
桜があまりにも綺麗だから、沙良は新入生たちの流れに沿って昇降口へ向かっていた足を止め、最も大きく見事な桜の元へ向かった。
校舎前のちょっとした広場のような場所で立ち止まり、無心で桜を見上げていた沙良は、桜並木の中で同じように立ち止まっている彼を見つけた。
彼を一目見たその瞬間、電撃を浴びたような衝撃が全身を貫いた。
人目を引かずにはいられない、中性的で端正な顔立ち。
陽光を浴びて輝く艶やかな黒髪。
ネクタイを締めたブレザーの制服は他の生徒たちが着ているものと全く同じなのに、まるで彼のために作られた特別衣装のように見えた。
晴れ渡った青空も、舞い散る桜さえも、全てが彼のために用意された舞台演出装置のように思え、沙良はただ一人の観客と化し、美しすぎる主役を呆然と見つめた。
沙良の視線に気づいたらしく、彼がこちらを見た。
風に舞い散る桜を間に挟んで、確かに目が合った。
どきりと心臓が鳴り、顔の温度が上がった。
しかし、彼はお愛想の笑みすら浮かべず、すぐに目を逸らして歩き出した。
あんな目で見られては、声をかけようという気すら起きなかった。
彼が沙良に向けた目は、温かくも冷たくもない、心底『どうでも良いモノ』を見る目だった。
(入学式で立派に新入生代表挨拶をすれば、少しはあなたに印象付けられるだろうかと思ったわ。でも、秀司は退屈そうな顔をするばかりで
必死に勉強したというのに、秀司は涼しい顔で一位を取り、ショックで呆然としている沙良の前で言った。
友人に褒め言葉に対して、心底つまらなそうな顔で、『大したことじゃない』と。
(あの言葉は本当にショックだったのよ。私は学力しか取柄がないのに、あなたに負けた。おまけに一位を取ったあなたは『大したことじゃない』なんて言うんだもの。あの言葉が私に火をつけたのよ。あなたのそのつまらなそうな顔が気に入らなくて、二度とこいつには負けたくない!! って思って、気づいたら勝負を持ちかけてたの。クラスメイトとはいえ、それまでほとんど交流のなかった女にいきなり勝負を申し込まれてさぞ驚いたでしょうね。でもあなたはきょとんとした後、面白い玩具でも見つけたような顔で笑った。あの笑顔を見たとき、『あれ、王子様みたいな外見なのに、中身は割と子どもっぽい性格なのかしら?』って思ったの。その直感は正しかったわ。あなたは全然王子様なんかじゃなかった。テストで負ける度に私をからかって、楽しんで――ほんとムカつくけど、好きなの。大好きよ。世界で一番あなたが好き。この想いだけは西園寺さんにも、他の誰にも負けないわ)
曲の転調と同時に足のつま先の向きを変えて、秀司と向かい合って立つ。
彼と目が合ったのはほんの一瞬だけ。
沙良と秀司は腰を曲げて顔を伏せ、それぞれ腕で顔を隠すようにしながら手首の関節を柔らかく使い、手に持った扇子を動かした。
風に揺れる枝葉のような動きをする扇子を見て、観客席から感嘆の声が聞こえてくる。
(瑠夏や西園寺さんみたいに、私より美人な女性なんていくらでもいるでしょう。私より性格の良い女性も、声の美しい女性も――それこそ私より魅力的な女性なんて、星の数ほどいるわ。それでも断言できる。私ほど秀司を好きな女なんてどこにもいない)
向かい合わせで踊る場面が終わり、くるりと90度回って観客席に向き直る。
いよいよ曲も終盤。
夏の終わりを思わせるような、どこか切なく儚げな音楽に合わせて左右対称の踊りを美しく踊りながら、それでも思うのは秀司のことだけ。
(愛してるの。だから、これからもずっとあなたの傍に居させて――)
曲が、終わる。
「…………」
心地よい疲労感と達成感に包まれながら、沙良は乾ききった喉に唾を送り込んだ。
秀司と共に扇子で顔を隠したポーズを取ったまま、肩で息をしながら審判の時を待つ。
(ああ、神様。お願い――)
果たして、一秒後に訪れたのは講堂を轟かすような、割れんばかりの拍手。
拍手に交じって口笛と歓声まで聞こえた。
「…………!!」
その音に驚いて扇子を下ろし、観客席を見る。
観客は皆一様に、興奮に頬を上気させ、何度も手を叩いている。
山岸たちは立ち上がってまで拍手してくれていた。
「すごーい、上手だった!」
子どもの高い声が聞こえる。
沙良は一瞬、何が起きているのかわからず、ぽかんとしてしまった。
困惑して秀司を見る。
「拍手喝采だな」
秀司は沙良を讃えるように笑い、沙良の左手を掴んだ。
繋いだ手を高く上げた後、観客席に向かって深々と頭を下げる。
沙良も同じく腰を曲げて頭を下げると、ひと際大きな拍手が贈られた。
(……拍手喝采だと秀司が認めた。ということは、賭けは私の勝ちってことでいいのよね? つまり……)
いまだに現実が信じられず、足元がふわふわしている。
「ありがとうございました!」
秀司は観客に向かって笑顔で両手を振り、女性の黄色い声を浴びながら舞台の下手へと向かった。
夢見心地の沙良はそんなことをする余裕もなく、親鳥の後を追うひよこのように、ただ秀司の後について歩いた。
「お疲れ様。素晴らしいダンスだったよ」
舞台の下手では大和が笑顔で迎えてくれた。
「カップル成立おめでとう」
こちらにタオルを渡しながら大和が言う。
「あ、ありがとう……で、いいのよね?」
沙良はタオルを受け取り、両手に持ったまま秀司を見た。
「いまから私は秀司の彼女ってことでいいのよね? 偽じゃなく、本物の」
「あれだけの拍手をもらっといて、確認する必要ある?」
顔の汗を拭いながら秀司が苦笑する。
「だって。ちゃんと言葉にしてくれないとわからないわよ」
一人だけ余裕な態度が気に入らず、ムッとして言う。
「ほら、秀司。ちゃんと言えって!」
大和がばしんと秀司の背中を叩いた。
「いって。わかった。賭けは俺の負けだしな」
秀司はタオルを首に引っ掛けた状態で沙良の正面に立ち、右手を差し伸べた。
「花守沙良さん。俺の彼女になってください」
沙良の目をまっすぐに見つめて、秀司は真摯な口調でそう言った。
(……これは夢なのかしら)
完全に無視された入学式の日からは考えられないような未来にいることを自覚して、目から涙が溢れる。
「……はい」
瞳を潤ませながら、沙良は彼の手に自分の右手を乗せ、その手をしっかり握った。
秀司もまた、その手を強く握り返してくれた。
「おめでとー」
大和が明るく笑う。
照れくさくなり、沙良はタオルを掴んで自分の顔に押し当てた。
(感動に浸るのは後にしないと。人前で号泣するわけにはいかないわ)
乱れ狂う感情の波を苦労して落ち着け、沙良はふと気づいて辺りを見回した。
舞台の袖にいるのは文化祭のスタッフ数名だけで、瑠夏がいない。
「瑠夏は?」
「ああ。長谷部さんなら、西園寺さんと話したいからって、秀司たちのダンスを見届ける役を俺に任せて行っちゃったよ」
苦笑する大和を見て、沙良と秀司は思わず顔を見合わせた。
きっと、いま秀司は脳内で沙良と同じ想像図を描いている。
すなわち――普段かけているリミッターを外した瑠夏の全力全開の毒舌攻撃を受けて、尻尾を巻いて逃げる西園寺の姿を。
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