彼方なるハッピーエンド〜学者峰岸浩太郎の転機〜

達見ゆう

決断のとき

 僕の名は峰岸浩太郎。アメリカの研究所で働くウイルス学者でもある。しかし、現在はいわゆるポスドクのためステップアップのための就活や、新しいプランをボスに提案したり、研究の実績を上げたりと忙しい。

 さえない私生活も賑やかになってきたが、先月は痛恨のミスをやらかして同居人のボブに怒られた。


 〜〜〜


「え?」


「君には日本に言ってもらいたい。君の希望する研究分野を行っているのが、うちの日本支部なんだ。五月に異動となるから引継ぎはしっかり行ってくれ」


 コロナウイルスの影響もあって、数年帰れなかった日本に帰れる。実家の親やきょうだい、甥っ子や姪っ子にも会える。

 ちょっと前なら喜んでいたのだろう。でも、アメリカの生活も長かった。ここでできた縁もある。それらに別れを告げることにもなるのだ。


「イエス、ボス」


 驚きと困惑を抱えながら僕はとりあえず、今日の細胞チェックを始めた。


 まずは職場内の不用品の見極めと片付け、今の研究の引継ぎは後輩の西山くんに頼もう。あの研究はジョージの方が適任だな。他のはどうするか。

 意図的にそんな事ばかり考えてるのは、一番大事な決断を先延ばしにしているのは自分でもわかっていた。


「あらまあ、峰岸さん日本に帰ってしまうの。ここには五年も住んでくれていたから寂しくなるわね。盛大にパーティーしなくちゃ」


 大家さんにも惜しまれた。時々夕食にも誘ってもらっていたし、クリスマスパーティーはよく混ぜてももらった。


「せっかく日本のボケとツッコミを覚え始めたのに残念だな、コータロー。次に来る人も日本人ならいいのだが」


 当然だがボブにも惜しまれた、いや、いじられたと言うべきか。


「で、どうするのだ? 曖昧なまま三角関係だか三・五角関係だかになってるアレ」


「えーと、わかってると思うが、まずエリカちゃんはない。姪っ子というか娘のようなものだし、それ以前に犯罪になる」


「OK。対象だったらパンチかますところだ。

で、二人はどうするのだ? どっち付かずのまんま帰国するのか? それともきっぱり別れを告げることにするのか? いきなりは連れていけなくてもハッキリさせろ」


「う……」


 先送りにしていたことをボブにズバリと指摘された。確かにこの年まで浮いた話が無かったのに、三・五角関係みたくなってややこしくなっていたのだ。先月のポカもあって、エミリーさんともギクシャクしている。エリカちゃんは進路をまだ決めかねているようで、医者や薬剤師の資格も持っている僕に医療関係の仕事の内容や、どんな勉強をしたらいいのかと頻繁に相談をしてくる。典子さんはそれを微笑みながら見守る保護者ポジション。

 そして、典子さんの姪がエミリーさん。偶然が生み出したとはいえ、ややこしくなったものだ。


 もしかして、全部空回りしていて、実は最初から何も無かったのではないのか?!


「……とりあえず今日は寝る」


「先延ばしにしていると余計にややこしくなるぞ」


「わかっている」


 いや、わかっていない。いろいろなことがありすぎて頭がキャパオーバーしている。こんな時は寝るに限る。


 と言っても、こんなメンタルだから寝られるはずもなくゴロゴロと寝返りばかり打っている。改めてさっきの考えを反芻する。


 エミリーさんは確かにきれいな人だ。名字がニイガキだからガッキーだと食いついてしまったが、年齢も十歳近く離れているし、ウイルス蔓延中にアポ無しで来るなど、ある意味アメリカ人らしく少し重たい部分もある。


 典子さんは中学時代の同級生という点では安心感というか気さくに接することができるが、娘の進路相談に乗ってくれる人くらいな気がする。


 エリカちゃんの進路が決まったら連絡頻度は少なくなるだろう。帰国したらもう接点無くなるのではないか?


 もしかしたら、これはどっちもダメなフラグじゃないか?


 ううう、余計に眠れなくなった


 とりあえず、帰国するということだけは連絡しよう。しかし、それからは、うーん。


「お前、心の声が全部ダダ漏れだぞ。ご丁寧に英語でだ。静かに寝てろ」


 ううっ、全部口に出していたか! じゃ、羊が一匹、羊が二匹……。


「日本語ならいいってもんでもない」


 はうあ! 黙食じゃない、黙眠だ。


 そんな傍から見ればコミカルな夜を過ごし、数日が過ぎた。


 二人にはそれぞれ異動で日本に帰ることを告げよう。まずはエミリーさんをカフェに呼び出して異動のことを告げた。


「……わかりました」


 エミリーさんはただ一言だけ言ったきり、黙りこくってしまった。彼女も僕がずっとアメリカにいると思っていたのだろう。一緒に日本へ行けるのか、言葉や仕事などの現実がのしかかってしまったようで、そのまま席を立って出ていってしまった。


 フラレた……さすがの僕でもわかる。


 〜〜〜

「あら、残念ですね。せっかく再会できたのに日本に帰られるのですか。でも、異動なら仕方ないですね」


 典子さんは淡々と友人らしく惜しんでくれたが、脈を感じない。やはり友人兼娘の進路を見守る保護者ポジションだったか。


「えー!! コータローおじさん、日本に帰っちゃうのー! 医者や研究者のお話や相談先はどうしよう!」


 エリカちゃんはある意味現代っ子でドライだ。半分アメリカンだけあって、ドライさが日本よりマシマシな気がする。


「あんまり甘えていちゃダメよ、エリカ」


「うーん、おじさんの研究者仲間って、複数の医者の資格も持っている人多いよね。行ける学部を行けるだけ行って、取れる資格を取りまくるのもありかな。成績上位なら授業料免除も効くし」


 サラッと言っているあたり、本当に成績優秀なのだろう。


「まあ、それでこの日に大家さん達と送別会してくれるそうなので、ブースター接種が間に合ったらでいいですから、来られるなら来てくださいね」


 そう言って、典子さんの家を後にした。なんだろう、サクサクとスムーズに話せた。こういう気楽さがもしかしたら自分に合っているのかな。いや、あちらは保護者ポジションだ。今さら気づいても遅い。


 そうして、ささやかながら送別会が終わり、出発の日が来た。


 空港にはボブと他の同僚、大家さんまで来てくれた。エミリーさんの姿は無い。典子さん親子の姿も無い。まあ、平日だから仕方ない。フラレたのもあるし。


「日本でも研究頑張れよ。恋の方もな」


「ボブ、一言余計だ」


「コータローさん、またメリーランドに来ることあったら遊びに来てくださいね。ごちそうするから」


「ありがとうございます、大家さん」


 さて、そろそろ搭乗手続きの時間だ。


「では、お別れで……」


「峰岸さんっ!」


 息を切らして典子さんが走ってきた。


「よ、良かった、間に合って。この花束を用意していたから時間かかって」


「典子さん……」


「これ、エリカというお花なの。白い花のは珍しいからと娘と探して、日本に持ち込めるように証明書も発行してもらったから、是非日本へ持ち帰ってください。それから、私のとエリカからの手紙も」


「わざわざありがとうございます。花束と手紙、しっかりと受け取りました。落ち着いたらまた連絡します」


『間もなく搭乗手続きを締め切ります……』


「あ、本当に手続きしないと、では皆さんお元気で」


 花束と手荷物を抱え、小走りに搭乗手続を終えた。

 流石に花束は荷物入れに入れるとつぶれる。手に抱えてそっと脇に置き、手紙を読み始めた。典子さんの手紙には

「せっかくの再会だったのにわずかな期間しか会えず残念です。何か記憶に残るものをと思い、娘の名前と同じエリカの花束を贈ります。白い花はスズランエリカと言って珍しい種類だそうです。

 もし、日本のクラスメートに会うことがあればよろしく言ってください」


 やはり友人ポジションだったか、と思いつつエリカちゃんの手紙を開いて読み始める。


「私、進路を決めたよ。

 まずは医学部へ入って医学を学ぶ。途中で何か別の興味が出たら大学院へ進むなり、留学も視野に入れる。もしかしたら日本の大学へ留学するかもね。

 それからね、ママの手紙には書いてないだろうから私がバラすね。白いエリカの花にこだわったのはママなの。でも、男性、特にコータローおじさんは鈍いから花言葉を検索してね。いい? 「白いエリカ」の方だよ!」


 白いエリカの花言葉? 機内Wi-Fiは使えるから僕はタブレットで検索してみた。


『エリカの花言葉は『孤独』です』


 ぐはっ! 渾身の一撃っ! と思ったが白いエリカの方だと書いてあった。そういえば同じ花でも色によって花言葉が違うのだった。アジサイはコロコロ色替えするから『移り気』だったが。


 気を取り直してタブレットの続きを読む。


『エリカには数百種類あり、大抵はピンク色の花を咲かせますが、スズランエリカはスズランに似た白い小花を咲かせます。花言葉は『幸せな愛』です』


 え? タブレットの花と手元の花は同じ。つまりこれはスズランエリカであって、ネット時代なのに奔走して取り寄せて、なおかつ日本に持ち込めるように証明書まで手配して空港まで届けに来たってことは……ことは……。


 僕はおそらく一人で真っ赤になっていたに違いない。僕も日本に着いたら返事を書こう。いつか推しに出すために買ったガラスペンで。今度は推しではなく愛する人のために。


 〜完〜


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